やたらと腹回りがゆるく感じられ、穿いたパンツがずり落ちてくるのを、あらわたし痩せたのかしらと思いきやベルトをつけ忘れていただけだったと気づいた瞬間の悲しみを何に喩えよう。

 最近はなんだか日付の感覚がおかしくなり、月日の流れがやたらに早く感じると思ったら実際には2、3日しかたっていなかったり、そうかと思えばあっという間に一週間ならばともかく一月近くも経っていたりしていてこれは何ぞと驚いたりと、これはあれか、何かの異常か主に精神のと思うもそんなこともないようで、ただたんにぼんやりと生きているだけだからのようだ。

 そういえば書店の店頭で蜂飼耳の新刊『秘密のおこない』を見つけて狂喜して買ったのは、京都は百万遍知恩寺の古本市にいった前だったか後だったかも覚えていないのだけど『秘密のおこない』は素晴らしかった。一行目を読んだだけで陶然とする。「日が落ちて訪れた闇に、闇そのものがまだ慣れずにいるような時刻」(「闇の結晶」)とか。ああ、いい。彼女の文章を読んでいると身体の奥深いところをそっと撫でられているような、もうそれは本当に身体的な快楽を覚えてしまう。句読点の打ち方一つとっても、そのリズム、屈折、あるいは視覚面での、字の配列(タイポグラフィ)のレベルで、そこで何が語られているかではなく、物質的な語の配列を眼でおっているだけで陶然としてしまう。白い紙の上に何か黒くうねうねとしたものがある。その上を眼が這う。その手触りというか、読んでいるのに手触りとはこれ如何に、とも思うのだけど、私は本当に好きな文字群に出会うと、その一文字一文字に、はっきりとした手触りを感じてしまうので、その一文字一文字の輪郭を撫でるように眼で追ってゆく。ただ、それは今のところ何故か、彼女に限って言えば、エッセイ(あるいは随筆)と呼ばれる形式の文章に限られるようで、彼女の詩、あるいは小説を読んでいても、なんというか、入り込む、あるいは文字がこちらに飛び込んでくることはあっても、身体の深いところを優しく撫でられているような、あるいは手でその文字を撫でるような、あの陶然とする身体的な快楽は得られないのだ。不思議だ。おそらく、物語や強い意味がある文字群だと、その手触りを感じる前に、そこで語られていることが現前化してしまう事によるのだろうけど。いや、もちろん内容レベルでも心地良く。作者は学生時代、神話(「古事記」)を専攻されていたということで、度々、そういう話がでてくる。この作品だと「案山子は何でも知っている」とか「崩れる島々」とか。「紅水晶の遠近法」では「学生時代に神話(古事記)を専攻していた私にとって、近代以降の意味での〈小説〉における人間の顕れ方というものは、どこか異様なものだった」(p206)という一文に出会い、どきどきする。『空を引き寄せる石』だと「玄関のない家」に胞衣の話がでてくるし、『孔雀の羽の目がみている』だと「橋の名は」に「播磨国風土記」がでてきてなんだかどきどきした。どきどきしっぱなし。

 あとは「港の観覧車」は詩集『隠す葉』の「太陽を持ち上げる観覧車」のプロトタイプの物語のようで、なんだか良いものを見た気になる(発表された順としては「太陽を持ち上げる観覧車」の方が早い)。それにしても私は蜂飼耳のエッセイを読むと、何故か三浦しをんの文章を思いだしてしまう。何故だろう。ぜんぜん違うだろうと友人にも不思議がられる。不思議だ。三浦しをんのエッセイの中にそこはかとなく見えるような気がする親父さんの影響みたいなもの(島根に行ったときの話しとか)とか、二人の年代とか、の所為かとも思うも、いやまさか。

 
 知恩寺の古本市は境内にみっしりと古本屋が軒を連ねていた。お参りをし、お店をぶらぶらと。あまり欲しいものはなかったのだけど、一冊だけ懐かしい本に再会したので購う。『両翼の騎士―笠井潔の研究読本』。昔、後輩に貸して帰ってこなかった本。懐かしい。笠井潔小松和彦の対談とか読めて、中々楽しい本なのだ。

 古本市を見終え、同行してくれた方と、嶽本野ばら『カフェー小品集』に「制服が可愛い」と書かれていた喫茶店を探して木屋町の辺りを彷徨う。路地に入り込みさんざんに探しみつからず次第に迷子の様相を呈してきたので警察にかけこみ道を問うと、苦笑しながら入り口から指をだして「そこ」と言われる。本当にすぐそこだった。どうやら目的地の周りをひたすらぐるぐるしていたらしい。お店に入り喫茶。確かに制服は可愛かった。それ以上に、入り口にいた店主らしいおばちゃんが格好良かった。

 同行してくれていた方が、用事があるからと言うので鴨川の上で別れる。さて、どうしたものか。こちらは古本市以外のことはなにも考えていなかったので、足の赴くまま盲滅法に歩き回り気づくと八坂神社の境内にたどりついていた。石段に腰かけ日が暮れてゆくのを見ながら、さてこれからどうしようと途方に暮れる。途方に暮れていてもしょうがないので、とりあえず境内をぬけて清水寺の方に向かって歩きだすも周りにはカップルしかいやしない。夜の7時過ぎにだ、何で君らはだ、こんなにも暗い道を歩いているのだ。いや、私もなのだが。横では「暗すぎて恐いな」「なんだか夢の中みたい」という甘い睦言が聞こえてくるというか、嫌でも耳に飛び込んできて、そのまま夢の世界へいってくれと真剣に願う。

 携帯が振動したので何ぞと思えば友人から飲みのお誘い。残念ながら500kmばかりはなれていたので飲めない。道の小脇にベンチがあったので返信しようと腰かける。照明灯のぼんやりとした緑色の明かりのなかで背中を丸めメールを打つ私の姿は、おそらくはたから見たらそうとうに不気味だったと思う。返信を終え、また一人、清水寺の方を目指して歩く。なんだかやたらに起伏のある道をもういい加減ついてもよいだろうと思うくらい歩いていると、いきなり道が開けなにやら三門のようなものが見える。すわ、着いたか、と思いきや、何故にか知恩院にでてしまっていた。知恩院って、清水寺とは逆方向ではなかったかと脳内の京都市街図を呼びだすも、ところどころ穴があいていて使い物にならない。しょうがないので知恩院の三門の辺りをぷらぷらすると、闇の中、ぼんやりと光るものが。自販機だった。喉が渇いていたので一服と、何があるかと見てみたら、お茶しかない。しかも一種類。その名も「知恩院のお茶」。爆笑。あまりの面白さに写真を取る。


 茶を喫しながら、人気のない真っ暗な道を適当に歩き続けることしばし、賑やかな通りにでる。いや、やっと人里に降りられたと一息ついて、見るとそこには朱塗りの楼門が。さっき私が出発したはずの八坂神社の裏門だった。この一時間は何だったのだろうかと呆然とする。どうやらぐるぐると回っていただけだったらしい。狐か狸にでも化かされたのだろうか。それともこれが噂に聞く奇門遁申の陣というやつか。さすが京都だ。翌日は蚕の社広隆寺と、名付けて「秦氏の夢の跡」コースを歩く。そのままてくてくと西へ歩をすすめ、化野念仏寺とか祇王寺とか嵐山周辺を散策し二日目を終える。久しぶりに行ったけど夕暮れの祇王寺は人気がなくて良かった。苔をみてしばしぼーっとする。



 最後の日は、昼のバスを利用して帰るつもりだったので、少し空いた時間で、行きたかった古本屋に行く。開店と同時にお店に入る。非常にガチな人文書の充実したところで、くらくらしながら棚を見てまわる。あまりにもガチすぎて、欲しい本はなかったのだけど凶区の特集をしていた「現代詩手帳」と岡井隆の特集をしていた「アルカディア」を購入。それと、京都の大学の学生の方達がつくった同人誌があった。聞くとフリーだというのでいただいて帰る。若さが滾っている感じで良い本でした。


 書店に行くと水村美苗日本語が亡びるとき』と『倉橋由美子 夢幻の毒想 KAWADE道の手帖』が並んでいたので、ひゃっほー、と小躍りして購入。『本格小説』以来の水村美苗。しかも小説ではなく評論のよう。好きな作家の小説論(=小説をどう読むか)を読むのが好きなので非常に楽しみ。一方の『倉橋由美子』は、その執筆人の豪華なこと。巻頭を飾るは川上弘美桜庭一樹の対談に、松浦寿輝と古屋美登里の対談はあるは、鹿島田真希のオマージュがあるは、エッセイの執筆人がまた良くて、穂村弘、蜂飼耳、齋藤愼爾、と大好きな書き手に加え、論考には千野帽子栗原裕一郎といま注目(私的に)の書き手まで! おまけに『人物書誌大系38 倉橋由美子』というすばらしい仕事をされた、川島みどり、田中絵美利のお二人になる全作品の解題まで付されていて、いや、もう、たまらないです。

 とりあえず千野帽子

前期の、『貝のなか』『蛇』『囚人』『どこにもない場所』『人間のない神』『輪廻』『死刑執行人』『結婚』『共棲』『スミヤキストQの冒険』といった架空世界の話が、好きすぎて苦しい。それに次いで『暗い旅』『夢のなかの街』『妖女のように』など、作者ゆかりの土地を書き換えてしまう小説も胸に迫る。これらについてならいくらでも書ける気もするが、書きながら自分の思春期のことまで吐露してしまう危険がある。もっと客観視できるまで、もう少し時間をください。

文学少女殺し。倉橋由美子と『小説』」(『倉橋由美子 夢幻の毒想 KAWADE道の手帖』河出書房新社 p104)

という文章。まるで穂村弘みたいだと一瞬思うも、いやいや、こちらとしては客観視なんていわず、対象となる作品の内側に入り込むような、距離を無くしてしまったような、くんずほぐれつ行間からその書き手が透けて見えるようなずるずるべったりな文章も読んでみたいのですよ千野帽子の、といったところ友人に、それは単に覗き趣味なだけでは、と言われる。そのとおりです。

 で、水村美苗日本語が亡びるとき』。アイオワに留学していた日々をつづる文章はとても心地良く、読んでいて陶然としたのだけど、何だか後半になるに連れて「である」体になり文書が乾燥してくる。うーむ、どうも真面目な論調になってきたなと思い読み進める。なんでも言葉には「普遍語」「国語」「現地語」という三つのカテゴリがあるらしく、「普遍語」とは場所や時間や空間を越えて読まれるべき言葉の連鎖をつくりだすような「共通の言葉」。「国語」は「普遍語」の影響の下に誕生した、国民国家の中で共通性を持って事実上流通している言葉。「現地語」はある社会の中で実際に使用されている言葉、らしい。で、どうやら英語が「国語」としてのあり方を超えて世界を覆いつくす「普遍語」になる一方で、「国語」としての日本語はどんどん「読まれるべき言葉」から外れ幼稚な「現地語」になりつつあるらしい。そうすると心ある人たちはさっさと幼稚な「現地語」である日本語に見切りをつけ、「普遍語」である英語にアクセスをするようになる。そうすると「国語」としての日本語は何の(美学的に)魅力のない「現地語」に成り果てますよ、それって日本語が亡びるってことですよ、という話らしい。

 ほえー、そりゃ大変だと読んでいたら、ちょっと気になる一文に出会う。
 もしかしたらもう鬼の首でも取ったかのように言っている人がいるかもしれないけど、いや、でもこれは気になるでしょ。
カンボジアクメール・ルージュにいたっては読書人をすべからく虐殺した」(p303)


「すべからく虐殺した」


「すべからく」という言葉は漢文の訓読で「須」を「すべからく〜べし」と読むところからでてきたもので、後半に「べき」を補い、「当然〜すべきである」というような意味で使われるものだと思っていたのだけど違うのだろうか。私にはこの文章は、前後の文脈から見ても、「カンボジアクメール・ルージュは、全ての読書人を虐殺した」という意味にしか読めないのだけど。まさか、「すべからく」を「すべて」の意味で使われているのだろうか。いや、まさか。「国語」としての日本語の先行きを憂う著者がこのような間違いをおかすわけがない。そうか、もしかしたら、これまで著者が読まれてきた日本語では、「すべからく」に違う用例があったのかもしれない。しかしそうすると私にはこの一文の意味が判読できない。残念。さすが日本近代文学の「読まれるべき言葉」を読まれて育った方は違う。色々な用法をご存知だ。
 もし、仮に、そんなわけはないけど、万が一、そうではないとしたら、つまり著者が「すべからく」を「すべて」の意で使われているのだとしたら、そこにはどのような企みがあるのだろうか。そうか、もしかしたら、そうやって、身を持ってリアルタイムで日本語が亡びる様を示して下されているのかもしれない。このまま進むと、日本語は「現地語」に成り下がってしまい、このような「書き言葉」としての日本語が途絶え、滅茶苦茶な、それこそ「すべからく」が「すべて」の意で使われるような文章が蔓延ると。あなたたちはそれで良いのかと問いかけられているのかもしれない。そうだとしたら、我々「現地語」の民としては、彼女のような憂国の文学者があえて、その身を挺して、日本語が亡びる様を見せてくれるその姿勢にすべからく感謝するべきであろう。いや、非常にありがたいことであります。なむなむ。呉智英。なむなむ。

 あと、こんな文章がひっかかる。

だが、これから先、日本語が〈現地語〉になり下がってしまうこと―それは、人類にとってどうでもいいことではない。たとえ、世界の人がどうでもいいと思っていても、それは、遺憾ながら、かれらが、日本語がかくもおもしろい言語であること、その日本語がかくも高みに達した言葉であることを知らないからである。世界の人がそれを知ったら、そのような非西洋の〈国語〉が、その可能性を生かしきれない言語―〈叡智を求める人〉が読み書きしなくなる言葉になり下がってしまうのを嘆くはずである。〈普遍語〉と同じ知的、倫理的、美的な重荷を負いながら〈普遍語〉では見えてこない〈現実〉を提示する言葉がこの世から消えてしまうのを嘆くはずである。

水村美苗日本語が亡びるとき筑摩書房 p322

 これって、「珍しい芸をする猿がいるから保護しましょうね。いなくなったらもうその芸見られないし」と言われているようにしか聞こえないのは、「現地語」しか使えないこちらの僻みなのだろうか、とも思うも、どうなんだろう。僻むからには、著者のいうところの「普遍語」に対する劣等感がなければいけないと思うのだけど、意識レベルでは別にどうでも良いしなー。いや、確かに、「普遍語」になりつつあるという英語は全然皆目全く駄目だけど。意識下については責任が取れないのでなんともいえず、そりゃもしかしたら物凄い劣等感があって、それに過剰に反応している可能性はあるのだけど(そうするとこの文章はある種の症例か)、でも本当に、「叡智を求める人」なんざ、知るかいな、気持ちさえよければいいんだよ、と思ってしまうのは如何ともし難く。いや、でも、おそらくは私のこの身体レベルでの快楽を誘発する言葉の群れも「普遍語」の関係の中からつくりだされた「国語」によって可能になっているからには、そういう事は言ってはいけないんだろうな。でも今後、仮に数十年後に日本語が著者のいう意味で「亡び」たって、これまで書かれた本が残っていれば私が死ぬまでは何とかそこから快楽を引きだして楽しめるだろうしなぁ、とか思ってしまうというこれは、反動なんだろうな。読み終わった後、そういえば倉橋由美子も「アイオワの青い空の下で〈自分たちの言葉〉で書く人々」の一人だったのだという事に気づき、なんというか、この偶然に楽しくなる。