花は自分が美しいことを知らない


 さて、山本夏彦によると明治の昔、「岩野泡鳴は桃中軒雲右衛門の浪花節をきいて、しきりに落涙して、拳固〔げんこ〕で涙をぬぐいながら、この涙はウソだウソだと、言いはってきかなかったという」*1が、本日、私はでたばかりの成田美名子の『花よりも花の如く』の12巻を、モツ焼き屋で飲みつつ読みながら、溢れでてくる涙を抑えきれず同じことをつぶやいていた。この涙はウソだウソだ。いや、思いきり泣いているのだけど。でもウソ。

 一日千秋の思いで新刊がでるのを待ちようやく今日という日をむかえ、近所の本屋さんで購入し、さてどこで読もうかと思案、お腹もへっていたので近場のモツ焼き屋に入り瓶ビールと枝豆に、串をお任せで頼み準備万端。馬手にビール、弓手に『花よりも花の如く』を構え、読み始める。コマの運びと物語に加速され、ぐいぐいと読み進めているうちに、ある場面で、ん、と一瞬なにか込みあげてくるものがあり、気づくと温かいものが頬をつたっていた。あれ、私、いま泣いているよ。モツ焼き屋のカウンターで。マンガを読みながら。と現状を冷静に認識する私がいながら、一方で、物語世界に深く入り込んでいる私がおり、どうしようもなく涙が溢れてくる。驚いた。久しぶりに物語に振り回された気がする。ああ、それにしてもこの巻の終わり方は凄い。物語を自在に操作するその技巧、成田美名子、いま円熟期なのではないだろうか。ああ、それにしてもお店の方に、カウンターで隣に座っていた人、ごめんなさい。周りから見たら、串とマンガを片手にぽろぽろ泣いているって、けっこう怖かったかも。私なら話しかけるかもしれないけど。

 そういえば、物語中、青森の神社で矢を放つ神事があり、これは以前同じ作者が描いていた『NATURAL』の中でも扱われていたので、そのことを思いながら読んでいたら、一コマだけ、その『NATURAL』のメインキャラクターである山王丸がでてきて、しかも大学四年生になっていてびっくりする。理子さんはどうなったのだろう。時は流れる。年々歳々花相似、歳々年々人不同。

 最近、前田英樹と安田登の対話集、『身体で作る〈芸〉の思想―武術と能の対話』(大修館書店)を読んだせいもあるのかもしれないけれど、成田美奈子とこの二人の、あるいは内田樹との、能に関する対談読んでみたいなと思ったことであるよ。仄聞するところでは内田樹、マンガ結構読んでいるみたいなので、ちょうどよいのではと妄想之云爾。

*1:山本夏彦『茶の間の正義』p15(中公文庫)