一般に旬は秋だといわれるが冬に喰ってもカボチャはうまい

 『リバーズ・エッジ』の終盤に「この街は悪疫のときにあって」ではじまる、とても、とても素敵な詩がある。作者はウィリアム・ギブスン。そうあのサイバーでパンクなSF作家のウィリアム・ギブスン。『リバーズ・エッジ』を読むまで、彼が詩を書いていたと知らず、いやそもそもそこに引用された詩とギブスンという名前が、あのギブスンと繋がらず、友人に教えられて驚いたことを覚えている。その後、ネット上にあった(ある)「八本脚の蝶」で、この詩には三つのパートがあるということ、詩集があるわけではなくロバート・ロンゴという人の写真集に収録されているということ、その本は京都書院という版元からでていたということ、などを知り、読んでみたいとは思ったものの、版元は倒産し、現在は手に入らない、というようなことが書かれていた。ただ幸いなことに「八本脚の蝶」に三つのパートすべての和訳が引用されていて*1、それを読み満足していた。さて、それから幾数年。京都書院のサイトで在庫がある商品を販売している、ということを知ったのだけど、なんとなく、この写真集はもうないものだと思っていた。それがつい最近、別な調べものをしていて、何気なく、本当に何気なく、そういえばロバート・ロンゴの写真集、ネットの古本屋さんででも売ってないかなー、と色々検索してみたら、まだ京都書院のサイトで扱っている、というような情報を見た。まさかいやでももしかしたらと、半信半疑で京都書院のサイトをのぞいたところ、目録の「ArT RANDOM」というシリーズの一つに「71 Robert Longo」としてちゃんとのっている。いやでも、のっているだけかもと(なんでこう疑りぶかいのか)、おそるおそる在庫照会のメールをだしたところ、「在庫あり」との返事が来る。たまげた。おまけに、数日して到着した写真集には月岡芳年の素敵な絵はがきまでついていた。
 あまりにも素敵なので、全文引用します*2。ちなみに原文では最初のパートは見開きのページの左側に英文、右側に和訳。二つ目のパートは見開きの左側だけに英文と和訳が、三つ目のパートは見開きの右側だけに英文と和訳がのっている。

I.

UNDER THE LIGHTS 明かりの下

MACHINE DREAMS マシーンが夢見る

I REMEMBER 覚えている

THE CROWD 雑踏を

SHIBUYA 渋谷
TIMESQUARE タイムスクェア
PICADILLY ピカデリー

I REMEMBER 憶えている

A PARKED CAR 駐車場の自転車
AN ARENA OF GRASS 草の競技場
A FOUNTAIN STAINED WITH EARTH 土に汚れた噴水

IN THE SLOW FALL TO DAWN 夜明けへとゆるやかに落ちていく中

IN THE ARMS OF THE BELOVED 愛する人の腕の中

REMEMBERED 想い出される

ALONGSIDE NIGHT 夜に沿って
IN THE HYATT CAVES ハイアットの洞穴の中
IN THE HALF-LIFE OF AIRPORTS 空港の半減期の中
IN THE HOUR OF THE HALOGEN ハロゲン狼の
WOLVES 刻の中

THE HOUR REMEMBERED 想い出される刻

IN RADIO SILENCE ラジオの沈黙の中

RADIO SILENCE ラジオの沈黙
RADIO SILENCE ラジオの沈黙
RADIO SILENCE ラジオの沈黙

II.

IT'S ONLY THE HISTORY OF THE たかがミステリの歴史
MYSTERY たかが人間がどう迷うか、
IT'S ONLY HOW PEOPLE GO LOST, だろうが
ISN'T IT? ただ、どうしても迷うのさ、
ONLY THEY DO GO LOST, ACTUALLY 現に
IN ANY CITY AT ALL どこの街だろうと、

IT'S ONLY THE FLOW OF THINGS たかが物事の流れ
ONLY THE CROWD AT THE ただの
INTERESCTION 交差点の雑踏
ONLY THE RAIN ON THE PAVEMENT ただの歩道に落ちる雨
THAT'S ONLY THE HISTORY OF IT それが歴史というにすぎない
REALLY 実際

MY FATHER WENT LOST THAT WAY 父はそうして迷った
MY MOTHER TOO 母も同じ
MOTEHRS DO REALLY, IN THE WAY 母というのは
OF THINGS 実際そういうもの、
IN THE WAY OF THE MYSTERY I 物事のありかたとして
MEAN ミステリのありかたとして、
BUT GIRLS GO LOST IN THE DARK ということ 
PARK でも狼たちも暗い公園で迷う
BOYS TOO 坊やたちも同じ
THAT'S ANOTHER WAY これは別のありかた

DOWN ALL THESE DAYS 近頃の落ちかた

III.

THIS CITY この街は
IN PLAGUE-TIME 悪疫のときにあって
KNEW OUR BRIEF ETERNITY 僕らの短い永遠を知っていた

OUR BRIEF ETERNITY 僕らの短い永遠

OUR LOVE 僕らの愛

OUR LOVE KNEW 僕らの愛は知っていた
THE BLANK WALLS AT STREET 街場レヴェルの
LEVEL のっぺりした壁を

OUR LOVE KNEW 僕らの愛は知っていた
THE FREQUENCY OF SILENCE 沈黙の周波数を

OUR LOVE KNEW 僕らの愛は知っていた
THE FLAT FIELD 平坦な戦場を

WE BECAME FIELD OPERATORS 僕らは現場担当者になった
WE SOUGHT TO DECODE THE 格子を
LATTICES 解読しようとした

TO PHASE-SHIFT TO NEW 相転移して新たな
ALIGNMENTS 配置になるために

TO PATROL THE DEEP FAULTS 深い亀裂をパトロールするために

TO MAP THE FLOW 流れをマップするために

LOOK AT THE LEAVES 落ち葉をみるがいい
HOW THEY CIRCLE 枯れた噴水を
IN THE DRY FOUNTAIN めぐること

HOW WE SURVIVE 平坦な戦場で
IN THE FLAT FIELD 僕らが生き延びること


THE BELOVED (VOICES FOR THREE HEADS) 愛する人(みっつの頭のための声)
BY WILLIAM GIBSON ウイリアム・ギブスン 黒丸尚 訳

ROBERT RONGO: KYOTO SHOIN, 1991

 『リバーズ・エッジ』で引用されているのは三つ目の和訳。こうして英文の方を見てみると、やはり韻の踏み方が心地良いなぁ。「IN THE HYATT CAVES」「IN THE HALF-LIFE OF AIRPORTS」「IN THE HOUR OF THE HALOGEN WOLVES」の、H音の繰り返し、「CAVES」から「WOLVES」への音の移り方とか、「IT'S ONLY THE HISTORY OF THE MYSTERY」のO音の連なりと、口ずさんだときの丸くころころ転がる感じとか、あ、「THAT'S ANOTHER WAY」「DOWN ALL THESE DAYS」の対句を「これは別のありかた」「近頃の落ちかた」と訳したのはカッコいいなー。口ずさんでみると「これは別のありかた」で一拍置いて、すっと、「近頃の落ちかた」と終わるその感じがとても良い。この二つの句の間の沈黙が心地良い。「RADIO SILENCE」のくり返しが、視覚的に「IN THE SLOW FALL TO DAWN」のゆるやかに落ちてゆく感じに対応していているようで見ていて気持ちよいなー。あとは「OUR LOVE KNEW」の繰り返しを口ずさんでみると、「I LOVE YOU」と聞こえてきて、なんか、こう、恥ずかしくなったり。

 この三つの詩を通して、「夢」を見ているのは、最初にでてくる「マシーン」なのだろうか。いやそもそも、この三つの詩が一繋がりの夢なのかどうかもわからないのだけど、全てが終わってしまったところから、みているような、それは朽ち錆びたマシーンが一瞬の間に見ている夢なのではないか、とも読めて楽しい。楽しいのでそう読むとしたら、最初の詩の視点になっているのは、夢を見ているマシーンなのだろうか。夢見るマシーンがI=eyeになる? というか私ははじめこれを読んだ時、人間の記憶をもったマシーンの物語として読んでしまった。人間であった時の記憶をかすかに持つマシーンが雨ざらしになり壊れてゆく中で最後に見ている夢として。薄皮がむけるように次から次へと記憶が噴きだしてくる感じ。なんというか、「平坦な戦場」からぬけだしてしまった末期というか。イメージとしてはマルドゥック・ヴェロシティのボイルド(マシーンちゃうけど似たようなもんだし)。

 抽象化された街。
 「僕ら」は現場=「平坦な戦場(THE FLAT FIELD)」に降りたつ。生き延びるために注意深くなる。「深い亀裂をパトロール」し、「流れをマップ」する。日常の範囲を定め意識的にその中で生きようとする。
 始め読んだとき私は「相転移して新たな配置になるために」を「平坦な戦場」から抜けだすために、という風に読み替えてしまった。で、そうすると「平坦な戦場」には外側があるということになってしまうのだけど、それはどのような世界なのだろう。何か「本当の」「いきいきした」「あるべき」世界なのだろうか。でも、そもそものはじまりとして「平坦な戦場」とは、そういった何か「本当の世界」がある、という事の断念なり諦念、から生まれた意識なのではないかと思うのだけど。で、こっからは物凄い飛躍になるのだけど、私は上で書いたように、一読した時、これを人間であった時の記憶をかすかに持つマシーンが壊れてゆく中で見ている夢、として読んでしまったのだけど、そのマシーンとは「平坦な戦場」(それはつまり日常の謂いだ)を生きることに耐えらず、そこから抜けだしてしまった結果なってしまったものであり、そのようなものが最後に見る夢、として詩全体を味わってしまったというか。

 「永遠」とは、本来超時間的、というか、時間という概念を超えたところにでてくるものだろうと思うので、すると「短い」という言葉で限定された「永遠」とはそれ自体、ありえないものとなるかと思うのだけど、にもかかわらず、何というか、この言葉には、暴力的なまでのリアリティを感じてしまう。そう「短い永遠」なのだ。ある一瞬が「永遠」につづくように感じるときがある。それは例えば「夜明けへとゆるやかに落ちていく中」=「愛する人の腕の中」にいるとき。人はその一瞬が「永遠に」つづくような感覚に襲われる。だけど同時に「僕らの愛」は知っている。この、「永遠」にも感じられる瞬間が、一瞬でしかないことを。すぐに砕けることを。そして、その一瞬に留まりながら夢見るマシーンは壊れてゆくのではないか、「平坦な戦場」にとどまり、そこで「生き延びる」方法を考えるべきだった、という悔恨を抱えながら……という風には、読めないかなぁ。そうすると、「流れをマップするために」までは夢の中での過去の回想で、「落ち葉をみるがいい」からはリアルタイムでの夢の進行の中での意識(って変な言い方か?)で、何というか、僕らは日常が平坦な戦場だっていうことを知っていて、そこから脱けだそうと色々やってどうにか脱けだしたけど、あれだな、もうちょっとその日常でふんばってみてもよかったかもな、というような感じで夢をみているように読め……ないかなぁと思ったのだけど、冷静に読んでみるに読めないな。
 普通に読めば、主体的に日常を選びその中で生きようとした、という話になる。残念。「相転移して新たな配置になるため」の手段として「深い亀裂をパトロール」したり「流れをマップ」したりしていれば無理な解釈もできなくはないのだけど、文法的にこれらは同格だしなぁ。だから本来的な意味は私の最初の読みとは逆で、日常から非日常への脱出を試み失敗したという物語ではなく、日常を選び取りそこで主体的に生きていく諦念みたいな物語になるわけなのだな、多分。
 ああ、でも、落ちてゆく中で落ちる自分をみて、さらにその中で落ちる自分をみて、さらにその中で落ちる自分をみて……というのは一種の永遠か。無限退行。素敵だ。

 それはそれとして、実際問題、平坦な戦場でサヴァイブするためにはどうしたらよいものだろうか。あるかもしれない外側を志向するのでもなく、安易な決断主義に走るのでもなく、ニヒリズムに陥るのでもなく、ならばいっそと開き直って限られたパイを貪ろうとするのでもなく、それぞれの場所で、ただ「生き延びる」ためには、いや、本当にどうしたらよいものなのだろうか。

 そういえば気になっていた事を思いだした。「BUT GIRLS GO LOST IN THE DARK PARK」の「GIRLS」がどうして「狼」と訳されているのか、よくわからん。私の英語力が拙いのはもうどうしようもないので、黙殺するとして、それにしても、何故「GIRLS」が「狼」になるのだろう? 普通に「娘」とかじゃ駄目だったのだろうか? 「BOYS」を「坊や」と訳している対比で考えて、ただの「娘」ではなく、「坊や」を誘惑して、「暗い公園」に誘いだすような奸智に長けた「女」という意味を与えたかったのだろうか? 女が男を誘惑して無明の中に誘い込むことが、「母」と「父」の迷いかたとは違う、「近頃の落ちかた」だとか? うーん、無理やりにすぎるよなー。最初見た瞬間、これって部首間違えただけじゃないのか、というか誤植?と思ったのだけど、それもまさかだしなー。ううむ。わからん。英語って難しい。


 ちなみに、日々の雑感 (tach雑記帳はてな版) さんがこの日の文章で「HOW THEY CIRCLE IN THE DRY FOUNTAIN」と「HOW WE SURVIVE IN THE FLAT FIELD」の対句から『「平坦な戦場で僕らが生き延びること」は「干上がった噴水の中で風に吹かれた落ち葉が渦を巻くこと」と同じことなんですね』と喝破していて、なるほど!と思わず膝を打ってしまった。

*1:八本脚の蝶 2002年4月8日(月)

*2:うーむ。きれいに字組みができない……。