テレビから『タイムマシーンにおねがい』が流れてきた。見るとキリンビールのCMで木村カエラが歌っている。パッと見だったので自信はないが、高中正義とか高橋幸宏が演奏しているように見えた。えらく豪華なCMだなと思っていたら、え? 木村カエラがカバー? しかもオリジナルメンバーで? ひゃー。

 ちと調べたいことができたので行きつけの図書館に出向こうと思うも蔵書整理で休みらしい。しょうがないので都立図書館に向かう。時候がらまだまだ寒風吹きすさぶ中での遠出は面倒くさいけれど、柔らかな日差しにだいぶ春めいてきたなと思うと少しは足取りも軽くなる。資料を家に忘れてきたのに気づいたのは電車を降りる頃だった。おかげで調べものはあまりはかどらず。来週にでもまた調べにいかねば。その頃にはきっと蔵書整理も終わっているだろう。


 図書館をでたのは16時だった。日も長くなってきているのかまだ明るい。このまま広尾駅にゆき恵比寿で乗り換えて帰るつもりだったのが、何故か足が違う方へと向かいだす。どうやら恵比寿まで歩くつもりらしい。ほてった顔に風が気持ちよいので足のままにまかせているとやたらに警官の姿が目に付きだす。歩くにつれてどんどん増えてゆく。物々しい雰囲気に何だこれはと思っていると中国大使館の警備だった模様。それにしても、どうも警官を見ると、挙動不審なふりをしなくてはならないのではないかという妙な強迫観念に襲われてしまう。そして、その強迫観念が呼ぶ緊張感に耐え切れず「きょえー!」とか叫びたくなる。なんなんだろうこれは。そのまま歩き続けると六本木ヒルズにでてしまった。これはちょっとばかり方向が違いやしないかと思っている間にも足は止まらず、何時の間にか原宿にでてしまう。ついでだからとブックオフに立ち寄り物色。文庫を何冊かとハードカバーを数冊購う。荷物が増える。重い。歩きだす前でなくてよかった。はてこれからどうしようかと時計をみると18時。一時間近く本を見ていたらしい。しばし逡巡した後、せっかくここまできたからには好きなパン屋に立ち寄ろうと、代々木公園の方に歩を進める。公園に沿って歩いていると、中から太鼓の音が聞こえてきた。私は太鼓に弱いので、ゆらゆらとリズムに誘われるままに柵を跨ぎこし見にゆくと太鼓を打ち鳴らすような動作が見える。数人いるらしいけど如何せん黄昏時。定かには見えず、ぼんやりと影をまとった人らしき姿が浮かんでいる。そこから音が、拍子や音色の違う音が、ひとまとまりになって空気を震わせている。そのリズムに身体を合わせるようにゆらゆらと歩く。夜の代々木公園は怖い。まるで山の中にいるような心許なさを覚えはじめた頃、出口を見つける。ようやくパン屋にたどり着くと殆ど売れ切れていた。がっかりしながらも、大好きなカンパーニュとメランジェは購入できたのでよしとする。そのままさらに新宿まで歩く。さすがに疲れた。こんなことなら歩きやすい靴を履いてくるのだった。


 帰宅後、パンを頬張りながら小泉武夫『怪食対談 あれも食ったこれも食った』を読んでいると荒俣宏との対談のこんな一節が眼にとまる。

小泉 そう、かつお節はエライのです。一本あれば、人は一週間生きられる。その証拠に、女優でエッセイストの沢村貞子さんが浅草に住んでいらっしゃったときの話です。関東大震災が起きたとき、沢村さんの家の隣の乾物屋のオヤジさんが「貞子さん、これ二本、持っていけ!」とかつお節を渡してくれた。沢村さんはこの二本のかつお節を十日間食べて助かったそうです。


小泉武夫『怪食対談 あれも食ったこれも食った』小学館文庫(2006)p84

 この話どこかで読んだなと、家にある沢村貞子の本をひっくり返しているとこんな文章を見つけた。

 関東大震災の日、母は私に鉄瓶のお湯と一緒に、鰹節をもたせて上野の山へ逃がしてくれた。その晩、弟といっしょに野宿しながらそれをしゃぶった。
 私がこんなに鰹節をいとおしむのは、あのときの味と香りが、いまだに忘れられないからだろうか。


沢村貞子「けずる」(『私の台所』所収)暮らしの手帖社(1982)p163〜164

 この二人の文章をつなげて読むと、沢村貞子の母親=隣の乾物屋のオヤジさんとなってしまい、思わず「叙述トリックや!」と笑ってしまった。