祝!恩田陸『夜のピクニック』で第26回吉川英治文学新人賞受賞


 本屋に立ち寄ると、以前から気になっていた三浦しをん『格闘する者に○』が文庫落ちしていたので、パラパラと立ち読みし、購入検討と思いながら店を出て古本屋を冷やかしていたところ、店先の平台にハードカバー版が100円であるのを見つけてしまう。この僥倖に感謝し素直に購入。他に何かないかしらんと漁ってみたら、笙野頼子『金毘羅』、安原顯『し・つ・こ・く ふざけんな!』が100円であった。嬉しい。当然、購入。


 で、『格闘する者に○』を読み終わる。


 読了後、自分の就職活動を思い出そうと五分程ぼんやりしてみたけど、何も思い出せなかった。年は取りたくないものだ。


 それはさておき感想。


 本好きな大学生、藤崎可南子の就職活動と日常。


 文章と対象との距離に若干引っかかるものを感じるも、淡々とした文章とそれによって語られる物語世界のギャップに笑いを誘われる。話者である「私」が視点人物である「私」をきちんと客体化し、まるで第三者を語るように書く事で、面白味や滑稽味が生じている。ただ、やり過ぎると、ためにする文章に堕し空回りしてしまうきらいがあり中々難しいところ。作文が得意だと思い込んでいる人間が書く小説に往々にしてあるような、とぼけた味わいを出そうとしているのか、やたらに繰り返される自己言及の臭みが苦手な私としては、途中このままそういったこれ見よがしな文章に流れるのではと危惧した場面が少しだけあり、何だかはらはらしたのだけど、最期まで語り口が維持されていたので安心した。
 一人称小説の場合、ただでさえ自己言及的になるので、バランス感覚のない人が小説を書くと、話者と視点人物がべったりと張り付きとても読み難いものになるのだけど、この作品はその点バランスが良いと思う。
 言葉の選択のセンスはとても好みだし、何より通常の地の文と、時折はさまれる妄想部分の息の長いセンテンスの書き方は上手いと思った。


 物語中、気になった事を少し。
 台詞や描写の端々からどうにも勘ぐってしまったのだけど、世間と少しズレているように描かれている登場人物の中に、そのズレ方を自分達の何らかの特性だと思っているような、ナルシスティックで傲慢一歩手前な人間像を見てしまい、読んでいて、こう、小骨のようにチクチクと気に障り困ったのだけど、だんだん気にならなくなってきた。


 作品に出てくる老人の書かれ方があまりに類型に過ぎ気になった。「〜のう」「〜じゃのう」「〜おった」といった台詞を見るたび背筋がぞわぞわしてしまった。


 せっかく冒頭で老人との関係について上手くハッタリをかましているのだから、それをもう少し生かす方向で進めても面白かったのではと妄想。あー、でもそうすると、作品全体に漂うノンセクシャルな香りの中、ここだけ浮き上がったかな。いや、でもありだと思う。


 後半、六章辺りから書き込みが荒くなった印象を受ける。物語をまとめようとする焦りがでたのか駆け足になりすぎたきらいがあるかと。義母との関係にしてもうやむやの内に解消された感が。


 感想ここまで。以下雑感。


 この作品に出てくる出版社や作家名なんかの固有名詞は、実在する出版社や作家の名前を少し変えたものみたいなのだけど、"K談社"という出版社の面接の中で、可南子が敬愛している作家について話す場面がある。名前は"中田薔薇彦"。……薔薇彦? 中田という有り触れた苗字と、薔薇彦という奇妙な名の組み合わせに軽く笑いながら、出てきたのがページの一番最後だったので、次のページをめくる前に誰をモデルにしたのか考えてみたのだけど、考えるも何も直球で"嶽本野ばら"辺りかなと次のページに進んだ途端、こんな文章が眼に入った。

 「探偵小説界にその名を残し、孤独の中で真摯に自分の美的世界を表出しようとあがき続けた偉大な小説家」


三浦しをん『格闘する者に○』p166

 一瞬きょとんとして、次の瞬間強烈な笑いの発作に襲われる。飲んでいた珈琲を吹き出しそうになった。"中井英夫"か。この後、可南子が受けた出版社の一つ、"丸川出版社"の面接官が「彼は短歌の編集者としてうちで働いていた人ですよ」とかいっているし。芸が細かいというか何というか。
 それにしても"中井英夫"を"中田薔薇彦"って、そんな、あまりにもあまりな名前だろうて。変なツボに入ってしまった。中井英夫も草葉の陰で苦笑してるのではないかしらん。


 筆記試験で書いた寓話に対する、面接官の表層的な解釈に「そんな簡単なオチじゃないやい、と思」い、その寓話の意味を「『人の孤独についてについて描かれてる』の」だと思う場面がある。その中で可南子は次のようにいう。

 有名な少女漫画の中で、殺し屋が主人公の少年に、ヘミングウェイの『海流の中の島々』を、こう(注「人の孤独について描かれてる」)説明するのだ。私はこれを格好良いと思い、しかし日常会話では普通は一生使わないフレーズでもあるので、半ば諦めつつも胸にしまっておいた。あの面接の時が、唯一のチャンスだったのだが、やはり少し恥ずかしくて使い損ねた。


三浦しをん『格闘する者に○』p196

 これは吉田秋生『BANANA FISH』のブランカとアッシュの事だと思うのだけど、ここを読んだだけでこの作者への好感度が大幅に上がってしまった。


 何だか色々書いたけど、作者の語り口が気に入ったので他の作品にも手を出してみようかと云爾。