読書


 白洲正子を読んでいてこんな文章を見つける。
 以下、小林秀雄との出会いについて、インタビュアーの質問に対する答え。

 ―小林さんとは、"青山学院"*1入学以前からのお付き合いですね。……戦後、小林さんがここ(町田市の白洲邸)をお訪ねになったのが初めてとか……。


 白洲 そう。吉田満さんの『戦艦大和』(のちの昭和二十七年『戦艦大和ノ最期』として刊行)の出版の話でした。旧軍に関係のある本だから、GHQの検閲で出版できなかったのね。そこで、主人が終戦連絡事務局にいた関係から、GHQに顔が利くんじゃないか、と訪ねてみえた。
「日本のためにどうしても出しておかなきゃいけない本だ」
 と、初対面から迫力が違うのよ。主人は、文学のことなんて何も知らない人でしたが、この人なら、と思ったのでしょう。その後は、親友になって付き合っていただいた。


白洲正子『対座』(「もうひとつの能舞台」p36〜37)


 『戦艦大和ノ最期』が世に出るまでにこんな出来事があったとは。驚いた。いや、驚いたというよりも、あり得そうな事が本当にあったのかという、歴史の面白さというか、物語のような展開の綺麗さに逆に唖然となった。吉田満という名前と白洲正子という名前がこんな形で繋がるとは思いもよらなかった。


 それにしても写真を見るにつけて思うが、白洲次郎良い男。写真写りが良いのかもしれんが凛々しい顔立ちの二枚目。晩年の顔も素敵だけど。品良く老いるというのも可能なのだなと何だかしみじみと見入ってしまう。白洲正子は若いころよりも、晩年の顔の方が好み。味があって良い顔。茶目に溢れた悪戯好きの元気なおばあちゃんみたいな。こういう人達を見ていると、何だな、老いるという事にも希望を持てるやね。老いる事に希望を持てないのは結構辛いからなぁ。
 どうでもよいけど、結婚式での二人を写した写真の白洲正子、誰かに似ているなと思ったら、浦沢直樹『Yawara!』に出てきた伊藤富士子に似ているような気がするんだけど、誰か賛同してくれる人はいないものだろうか。いないか。モデルだったら笑える。伊藤はバレエを挫折して柔道に目覚める。白洲は50年かけて研鑚を積んだ能を「あれは男の人のためにできたものだ」と悟ってすっぱりと舞うことを止める。別に共通点じゃないか。ははは。

*1:世に「青山学院」として知られる、青山二郎を中心としたサロン。そこには小林秀雄中原中也河上徹太郎大岡昇平中村光夫吉田健一永井龍男という、なんだか書いているだけで、日本の文化史を語る上で欠かすことのできない錚々たる顔ぶれにすぎて冗談のように見えてくるような面子が集っていた。白洲正子はこのサロンに憧れ、やがて青山二郎に「弟子にしてやろう」という言葉をもらい、酒を飲む事から学ぶことになる。この時、白洲三十代半ば。地獄と紙一重の極楽の始まり。少しでも賢しらな事をいうと叱られ、文章を見てもらうと「この文は借り物だ」とばっさり切られ、モノの道理が「分かってきた」などと言おうものなら「わかるなんてやさしいことだ。むずかしいのはすることだ。やってみせてごらん。美しいものを作ってみな。できねえだろう、この馬鹿野郎」と罵声をうけ、散々にしごかれ煩悶を重ねたという。むべなるかな。こんな人に遠慮会釈なく文章を批評されていたら気が狂いかねない。ちなみにこの頃の青山二郎の日記には毎日のように「白洲正子泣く」とあったらしい。でもちょっとだけ羨ましい。