嘘のような話

 ヒヨコ舎編『本棚』の2巻がでていた。帯に「cocco」とみえて、少し驚く。寡聞にしてあの「cocco」がこの本にのるほどの本好きだということを知らず、でもあの歌詞をつくる感覚というか能力を思えば本好きであってもなんの不思議もなく、知らなかったのはこちらの問題でしかないな、と頁を繰ってみる。
cocco」と本といえばどうしても彼女の作る歌詞からの連想で、漠然と、野溝七生子尾崎翠森茉莉矢川澄子アナイス・ニン萩尾望都ヴァージニア・ウルフ大島弓子、エミリー・ディキンスン、吉野朔実榛野なな恵神谷美恵子シモーヌ・ヴェイユ須賀敦子、とか、そういう、なんというか、ぎりぎりの感じがただよう作家(つまり私はcoccoをこういった作家とのつながりの中で認識している、というだけの話なのだけど)と親和性の高いような気がして、本棚もこの辺の作家達の本がならぶのでは、とか、あるいは画集とか環境問題の本とか、音楽の本とか、なんかそういうものがならんでいるのでは、と思うというのはあまりにもステロタイプではあるのだけど、ステロタイプステロタイプなりに何がしかの一端は掠めているのでは、という思いは、本棚の写真を見た瞬間、打ち砕かれる。
 大きな本棚に上から下までぎっしりと詰め込まれるのはハヤカワの青背、創元のラヴクラフト全集、サンリオ文庫……と、どこからどうみてもガチのSFモノの本棚。彼女の歌う世界とその本棚のあまりにもなギャップに仰天する。まるでこれは早川さんの本棚ではないかと思いながら、次の頁を繰った瞬間、そこに、本棚を指して微笑む、明らかに早川さんにしか見えない絵を見つけ、またしても仰天する。な、なぜ早川さん? この棚を見た編集の人が、これならということで早川さんを描いている人に依頼したのか? それとも「cocco」が早川さん好きとか?ありえるよなこの本棚なら、とぐらぐらする頭をささえ、なおも見ると、国書のSFはあるは、SFマガジンもずらりとバックナンバーがそろっているは、他にも色々な本が詰め込まれていてまちがいなくガチのSFモノの棚。発言を見ても、やはりどうみてもガチのSFモノ。

 いや、まあ、考えてみれば、ある作品と、それをつくった人と、その人の生活環境がそれぞれに「整合性」を持っている必要もなければ義理もないわけで(しかもその「整合性」にしたって、たかだか私の感じる「整合性」でしかないのだし)、別に「cocco」という人の作った歌から連想した「cocco」という人物の姿と、その人の暮らす環境が、私から見て全然「整合性」がないように見えたところで、そりゃ大きなお世話というもので。別に現実の存在としての「cocco」がSFを好きだからといってなんの不思議もないわけでとは思うものの、いや、でも、しかし、よくよく考えれば、あの歌詞の世界、それは例えば「Raining」の明るい絶望感だったり、「うたかた」の変化することへの透明な諦念のようなものだったりするそれは、「生き続けることに対して、彼女が払っているぎりぎりの税金」(ⓒ穂村弘)のようなものなのではないかと思い、そして、その「税金」とこの本棚の間には何がしかの「整合性」があるのかもしれない……、って事はないよなー。全然思いつかない。無理。

S-Fマガジン』を読み始めたのは高校生くらい。高校生だと毎月買うのも辛かったのですが、オタクという言葉が生まれたあの時期にあの雑誌を読んでいたことが現在の活動の大きな燃料になっていると思います。
『本棚2』p46

「あの時期にあの雑誌を読んでいたことが現在の活動の大きな燃料になっていると思います」
 
 やっぱり無理。

 それにしてもと拭えぬ違和感に、ふと頁の最初をみたら、そこにはこう書かれていた。

 coco(漫画家)

 氷解。自分の注意力のなさに絶望した。あやうく友人に「cocco」の本棚が大変なことになっている!とメールし、また失笑をかうところだった。

おれはさあフランスママのアイディアは数千年古いと思うな あたしはちがうあたしは数千年未来のアイディアだと思ったわ


 品川をでた瞬間から嫌な予感がしていた、とはいわないけれど予定では名古屋まではたどりつけるはずが岡崎で終電がなくなり、そういえば右も左もわからない町を夜の11時過ぎに歩き回るというのは中々に心許ないものだったな、ということを思いださせてくれたのが、楽しかったといえば楽しかった。しかし何故、こうなったのだろう。

 京都は下鴨神社糺の森でおこなわれる古本市にいってみようかな、と思ったのは3日前くらいだったか。前からこの市のことは聞いていたものの、場所が場所だけにさほど意識していなかったのだけど、今回はたまたま市の当日からお休みが重なり、これも何かの縁と、とくに用事もなかったので、ではいってみようかと、市の前日の夕方5時に品川を発する電車にのったはいいけど如何せん各駅停車。直前に会った友人には、「いいかげんいい歳なんですから18切符なんて使わないで新幹線使ったらどうですか」といわれるも、新幹線の六分の一程度の値段で、三倍強の時間しかかからず連れて行ってくれるなら、お徳これに過ぎたるものはないだろう率的に、そりゃ15時間かかる、あるいは5000円くらいかかるなら考えるけどさこの率ならつかわにゃ阿呆だよ阿呆、というと、「阿呆はあなたですよ。とりあえずデジカメ壊さないで下さいね」と彼はいうのだった。そう彼からはデジカメを借りたのだ。ほとんど使わなかったけど。

 計算上は終電で名古屋に着き、その足でネットでさがし割引券まで用意しておいたホテルに泊まるはずが、どこで接続をまちがえたのか岡崎で降りるはめに。駅をでて呆然とする。何もない。本当に何も無い。降りた出口が悪かったのかと反対の出口に移動するも大差なし。典型的な地方駅。近くのコンビニにいき話しを聞くと、アンジョウ、というところまでいったほうがいいといわれる。アンジョウ?安生?安生洋二? とっさに変換されたのは今は懐かしき200%男の安生。岡崎から何駅くらいですか?「一駅です」歩いていけますか、と聞くと「こいつは何をいっているのだ」という目つきをされたので、お礼をいって駅にもどる。相変わらず駅前には何もない。と、みるとタクシーが止まっていた。ここからアンジョウというところまでいきたいのですけど、どれくらいかかりますかね、と聞くとドアがぱたりと開き、「まあ乗ってください」といわれる。普段はめったにタクシーなんぞ使わないのだけど、疲れで判断力が低下していたのか、ふらふらと乗り込んでしまう。久しぶりにタクシーにのったので、私の感覚がおかしくなっていたのかもしれないけれど、タクシーのメーターというのはあんなにくるくると勢いのついた水車みたいにまわってゆくものだっただろうか。気づくとさほどの距離も走っていないと思われるにもかかわらず、3000円近くいっていたので、ここで降ります、と宣言する。深夜に何処ともつかぬ道路わきから駅までたどり着くのはなかなかに大変だった。九マイルは遠すぎる。アンジョウは安城だった。

 京都に着いたのは朝8時過ぎだった。昔から大垣夜行や深夜バスなんかを使い、早朝に京都に着いた時は京都タワーの下にある銭湯に入るのが習いになっていたのだけど、今回も一風呂浴びる。待ち合わせしていた人と合流し、バスで下鴨神社を目指す。それにしても暑い。脳味噌がとろけそうなくらいに暑い。じんわりと遠火でローストされているのかと思われるほどに熱い。バス停から神社までの短い距離にも汗が止まらずしまいには視界が霞んできた。


涼しげな糺の森

一歩入るとこんなん

 糺の森に入り、入り口近くにあった休憩場で涼をとる。しかし、それにしても壮観。話しには聞いていたけど、これほど古本屋さんが軒を連ねているとは。比喩ではなく、端がみえなかった。その後も予定があったので、できる限り買い物は控えるつもりだったのだけど、まあ、無理ですわな。とりあえず10冊で500円、というコーナーにいった時点でもう無理。同行してくれた人ときっちり10冊選び購入。これで頭のどこかのスイッチが入り、買い物モードに。といっても、端からくまなく見ていくのは無理なので、店頭をざっとみながら一周する。途中、荷物をあずけるところがあったのはとてもありがたかった。なんだかだで、3時間近くいたかもしれない。購入したものは配送センターがあったので、そこから送ってもらうことに。送料800円少々。普段ならその分、本を買うところだけど負けました。
 それにしても神社と古本市、という組み合わせはとても面白い。東京だと毎年穴八幡の古本市にはいっているし、この間おこなわれた鬼子母神の古本市も良かった。神仏と市の関係。無縁の場での交換。

 この古本市の他、こんかいの目的は、三月書房とアスタルテ書房にいくこと。どちらも世評の高い本屋さん(前者は新刊書店、後者は古書店)で、以前から行ってみたいとは思っていたものの、何故にか機会がなく、というか、なんとはなしに敷居の高さを感じてひとりでいくのをためらっていたのだけど、こんかいは同行者がいてくれることに気を大きくしたのか行ってみようという気に。下鴨神社から歩いて移動して思ったことには、夏の京都は歩くものではないな、ということ。本当に倒れるかと思った。
 三月書房は、もう、なんというか、呆然とする。よく呆然としている私。いや、しかし、この本屋さんは凄い。新刊書店、という枠でここまできっちりとした本屋をつくれるとは……。私にその凄さの、果たしてどれくらいわかっているか心許ないけど、一冊一冊まできっちりとご主人の眼が行き届いているのがわかるように感じ、ぞくぞくする。あと現代短歌の本がいっぱいあって嬉しくなる。東京だと池袋ジュンクとか紀伊国屋本店にでもいかなければ中々ないのだ。これだけで嬉しくなる。嗚呼、近くにこんな本屋さん欲しい。同行してくれた人も「凄い凄い」と唸っていた。今度から通いますともいっていた。羨ましい。今は無き小沢書店の本が自由価格で売っていたので購入する。
 アスタルテ書房はマンションの一室にある。以前、いった人から「わかりにくいよ」と聞いていたので、気を張って歩いていたら案外簡単に見つかる。確かに外観は普通のマンション。特に看板もでていないようなので、知らなければここに古本屋さんがあるとはわからないだろう。仄暗い落ち着いた照明。スリッパを履いてあがる。入るといきなり棚の上に丸尾末広のポストカード(?)のようなものが置かれていた。同行人がそれを見ている間に店内をふらふらする。文庫のところで、棚に入りきらず積んである山に目を落とすと一番上に藤本泉『王朝才女の謎』が。驚く。最近、本当に縁があるなー。

 翌日は高野山に行き、一日中みて回る。とりあえず奥の院まで歩き、空海さんにご挨拶。疲れた。
 

買った本

高野文子『おともだち』(綺譚社)
チャールズ・プラット『フリーゾーン大混戦』(ハヤカワ文庫)
大岡信『詩への架橋』(岩波新書
田中美知太郎『古典への案内』(岩波新書
ジョゼフ・ローゼンバーガー『悪夢の日本連合赤軍』(創元推理文庫
田中克彦『ことばの自由をもとめて』(福武文庫)
長田弘アメリカの心の歌』(岩波新書
平岡篤頼『変容と試行』(河出書房新社
宮本徳蔵『河原妖香 歌舞伎のアルケオロジー』(小沢書店)
J・L・ボルヘス『無限の言語 初期評論集』(国書刊行会
前登志夫『山河慟哭』(小沢書店)
吉増剛造『緑の都市、かがやく銀』(小沢書店)
古井由吉『神秘の人々』(岩波書店
小林恭二『俳句という愉しみ』(岩波新書
藤本泉『王朝才女の謎』(徳間文庫)
ジョン・バーンズ『軌道通信』(ハヤカワ文庫)



おまけ




一見涼しげだけど暑さで死にかけた京都。

9月の気になる文庫たち

朝日文庫
『柳生薔薇剣』荒山徹
岩波現代文庫
『明治精神史(上)』色山大吉
『「女縁」を生きた女たち』上野千鶴子
岩波文庫
フランク・オコナー短編集』フランク・オコナー 阿部公彦
・ホラー文庫
『闇の守護者 ロスト・ゾーン』樋口明雄
『禍記』田中啓文
河出文庫
弾左衛門の謎 歌舞伎・吉原・囲内』塩見鮮一郎
『暗い旅』倉橋由美子
・学研M文庫
『伝奇の函 吸血妖鬼譚 ゴシック名訳集成』東雅夫 バイロンほか
講談社文芸文庫
『白山の水 鏡花をめぐる』川村二郎
『夜明けの家』古井由吉
講談社文庫
タイタニア(1)』田中芳樹
『千々にくだけて』リービ英雄
光文社文庫
『凶宅』三津田信三
異形コレクション 京都幻想』井上雅彦
・古典新訳文庫
『寄宿生テルレスの混乱』ムージル 岡沢静也
集英社文庫
『本当はちがうんだ日記』穂村弘
『エロス』広瀬正
新潮文庫
『ポーの話』いしいしんじ
『柳生雨月抄』荒山徹
おとうさんといっしょ川端裕人
『私たちがやったこと』レベッカ・ブラウン 柴田元幸
ピュアフル文庫
『光車よ、まわれ!』天沢退二郎
ちくま学芸文庫
『奇談異聞辞典』柴田宵曲
『わたしは花火師です フーコーは語る』ミシェル・フーコー 狩野秀之
『言葉を育てる 米原万里対談集』米原万里
・中公文庫
『女妖記』西條八十
創元推理文庫
熾天使の夏』笠井潔
・ハヤカワSF文庫
ディファレンス・エンジン(上)』ウイリアム・ギブスン&ブルース・スターリング 黒丸尚
ディファレンス・エンジン(下)』ウイリアム・ギブスン&ブルース・スターリング 黒丸尚
『天の光はすべて星』フレドリック・ブラウン 田中融二
『宇宙飛行士ピルクス物語(上)』スタニスワム・レム 深見弾
『宇宙飛行士ピルクス物語(下)』スタニスワム・レム 深見弾
『死よりも悪い運命』カート・ヴォネガット 朝倉久志
・ハヤカワ文庫NV
『シャドー81』ルシアン・ネイハム 中野圭二
・ハヤカワepi文庫
時計じかけのオレンジ(完全版)』アントニイ・バージェス 乾信一郎


 とりあえず早川がすごい事になっている。今月の末にはカート・ヴォネガット『追憶のハルマゲドン』もでるし、ヴォネガット祭り、おまけに『たったひとつの冴えたやりかた』が改訳で、いや、それは別にぜんぜん良いのだけど、単行本でだされるらしい。何故だ。そういえば常々、岩本隆雄『星虫』は「たったひとつの冴えたやりかた」のオマージュというか、あの終わり方に対しての別バージョンの提示かと思っているのだけどどうなのだろう。あとは高野史緒『赤い星』は内容紹介を見ただけで爆笑した。なんだろう『モナリザ・オーヴァドライヴ』? とても楽しみ。
『伝奇の函 吸血妖鬼譚 ゴシック名訳集成』は『成暴夜幻想譚』がとても良かったので期待していたら、こんなことがブログに書いてあって残念。気長に待ちます。
タイタニア(1)』は、あれでしょうか、えーと、完結させるつもりなのでしょうか……。
 そういえば上京したての頃、予備校にテキストをもらいにいったら『熾天使の夏』を小脇にかかえて颯爽と歩いている人がいて、おお、やっぱり東京は違うずら!とか思ったりしたのだけれど、今思うにその人が変わっていただけだったんだろうな。その後、見たことないしそういう人。この間、笠井潔の『青銅の悲劇 瀕死の王』を読んだのだけど、とりあえずクイーン好きはかなりにやりとするのだろうな、と思ったり。タイトルからしてもう。語り手が宗像冬樹という小説家で、これで「天啓シリーズ」と『黄昏の館』と「矢吹シリーズ」が一気につながってしまい、天啓教というキーワードを入れれば「大鳥安寿シリーズ」も芋づる式にずるずるとつながってきて、更には作中人物の宗像冬樹が書いていたという長編伝奇作品を「ヴァンパイヤー戦争」と無理やりに繋げば……って、さすがにそれは無理やりだけど、今回の作品にでてきた一族と「古牟礼一族」をつなげれば色々と繋がってしまう、おお、なんと壮大な笠井ワールド!というような事を妄想していたら栗本薫を思いだす。似てないかこの二人。「伊集院大介シリーズ」と「ぼくらシリーズ」と「魔界水滸伝」と「グイン・サーガ」が『魔境遊撃隊』で繋がった瞬間には驚愕したものだ。
『光車よ、まわれ!』がいよいよ復刊! ジャイブ凄ぇよ! ありがとうジャイブ! ピュアフル文庫って、なんだかちょっと恥ずかしくて書店で手に取るのを躊躇っていたのだけどあやまる。悪かった。これでちくま文庫版を買わなくてすむ。よくいく古本屋にずーっとおいてあったのだけど微妙に値段に妥協できず脇目に見ていたのだった。それにしてもジャイブ、ありがたい。以前も木地雅映子『氷の海のガレオン』を復刊してくれたし、同じ作者で『悦楽の園』という新刊もだしてくれたし。いや、もう、二作品とも読んでる最中「うわ、うわ、うーあ、うーあ」と身悶えし布団の上をごろごろといきつもどりつしながら読んだことを思いだす。ところでいまここをみたら「日本ファンタジー界の金字塔、待望の文庫版で登場!」とあったのだけど、これはあれですか、ちくまの文庫版は完全にスルーですか? それともあれか、ピュアフル文庫の中に入りますよ、といいたいだけなのか? でもこの書き方だとジャイブの単行本として『光車よ、まわれ!』があって、そこからピュアフル文庫に落ちてきた、という風に読めてしまうのは私に読解力がないせいか。ごめんなさい。

ねこの回転 くるくるにゃー

 誕生日だからこんな日にでかけたらきっとなにか良いことがあるに違いないと古本屋めぐり。先日いった「エクス・ポナイトvol.2」で知った面白そうな古本屋をめざして電車をのりつぐ。そう、「エクス・ポナイトvol.2」はやはり古川日出男のライブ(?)が圧巻、印象的で、それは音楽に親和するのではなく、音楽のなかにコトバをたてようとしているように感じられて、それがとても、なんというか、痛ましい、というとずれてしまうのだけど、なんだろう、とても異様な緊張感があってよかった。音楽という旋律のなかで、コトバを発し、それが奏でられている音と親和性を持つならば、それはおそらく「歌」と呼ばれるものになるのかと思うのだけど、古川のはあくまでも作品を読む、朗読という行為であって、それは「歌」にはならない。いっそ音のなかにコトバを沈めこみ「歌」になってしまえば、やるほうもみる方も楽なのではないのかと思うのだけど、古川は旋律のなかに沈みこまず、あくまでもコトバをたてる。コトバはコトバとして、音にならない。歌詞ではなく、コトバとしてある。古川が声を発するたびに、それは私のなかに入り込み、次の瞬間、コトバとして立ち上がり、形と意味と解釈を要求するようになる(それは同時におこる)。もしあれで、演奏がなかったらどうなっていただろうか。古川のコトバはただコトバとしてでてくる。それはそれで、古川の声を聞く、という体験で面白いことは面白いのだけど、あれほどの緊張感は生まれなかったのかもしれないと思える。それほどに、音のなかにコトバをたてる、という行為は緊張感があるものなのだな、と思ったことであるよ。

 円城塔とのトークで印象に残った発言。『聖家族』についての古川の発言。自分の故郷を書いただけで(ということはどういうことなのだろう。作者としての古川の出身地である東北は福島、という地名を織り込んだ作品ということか。故郷を書くとはどういうことなのだろう)それを作者の「ルーツ」を書いた作品、というような形で受け取られるのは如何なものか、といったような趣旨の発言をしていて、そりゃそうだよなー、と思う。まず、故郷、つまり生まれた場所、あるいはある年齢まで育った場所、を舞台にして物語を書く、事が可能だ、としたところで、それが何故、それを書いた人間の「ルーツ」を描いた作品になるのだろうか。それを書いた人間がたまたま生まれてたまたま育った場所を書くことが、その作者を作者足らしめている「ルーツ」とどのような関係があるのだろうか。や、もちろん関係なくは無い、というか、関係あることもあるだろうし、関係ないこともあるだろうしで、どちらの可能性もそりゃあるのだろうけど。そんな事を思っていると、どうしても思い浮かぶのは、例えば中上健次と「路地」の関係で、でもそれは、作品に現れた「路地」という場所は、中上によって極めて知的に構築された空間だったのだろうと思い、「路地」というのは発見されなければ存在しなかったのだろうと思い。でもおそらく故郷としての「路地」との関係、がなければ作者としての中上健次中上健次として存在していなかったと思え、そういう意味では「路地」というのは中上の「ルーツ」という事になるのかとは思い、でもなんだろう、それは中上がたまたま生まれ育った場所としての故郷が「ルーツ」だったのではなく、たまたま故郷に「ルーツ」が存在してしまっただけなのではないだろうか、とも思うのだけど、そうすると「ルーツ」というのは場所としてあるという話になってしまうのか。あるのか?はてさて。とりあえず『聖家族』は2000枚らしい。人殴り殺せるな。『ベルカ、吠えないのか?』や『ロックンロール七部作』でおこなわれたような、「歴史」を「語りなおす」、という行為が今度は「東北」を対象におこなわれるのか、という事に対する興味は尽きず。楽しみ楽しみ。あ、円城塔は飄々とした感じでよかった*1。めがねだった。さいごにでたバンド(なのか?よくわからない)で、「ぴぎゃー」とか「あー!」とか「ぎゃー!」とか叫んでいた人がいてあれはなんだと思っていたら中原昌也だった。驚いた。

 古本屋。一軒目。コンクリート打ちっぱなしの倉庫のようなところ。中々硬派な品揃え。レジの隣には、おそらく希少品なのだろうか、高そうな本が並んでいる。山尾悠子『夢の棲む街』(ハヤカワ文庫)があったので、どれと手に取り値段をみて、驚愕する。集成、買えますがな……。小一時間見てまわり、何冊か購入。他にも欲しいものはあったのだけど、あと何件かまわるつもりだったので自制。二軒目。こぢんまりとした外観。中に入るとそれほど広くはないけど、統一感のある落ち着いた感じのお店。ここでは文庫を二冊購入。ずっと探していた藤本泉『時をきざむ朝』を発見し、狂喜する。しかも安い!誕生日効果だと一人喜ぶ。新古書店を経由し、三軒目。一番古本屋らしい古本屋で、いかにも町の古本屋さんといった佇まい。値段が異様に安くて驚愕する。以前、他のお店でみて、こんな値段ならいらねぇよと思ったものが、いや、もう、非常に安い(というか適正だと思う)値段でおいてあり、あれもこれもと買っていたら、えらいことになる。重量とか。お財布の中とか。最後に帰る途中でもう一軒発見し、立ち寄るも、欲しいものはなし。ニューエイジ系が充実しているお店だったのだけど、うん、やっぱり私、ニューエイジ系は苦手なのだなと思った。まず、お店の中の匂いがなんだか苦手。これまでも、お店に入って、なんだか不思議な匂いがするなと思ったら、かなりの確率でニューエイジ系の本が充実しているお店だったからには、なにかしら相関関係があるのだろう。とりあえず、タイトルに「タオ」がつく本だとか、他の小説は置いていないのにケルアックとかギンズバーグとかのビートな感じの本がやたらにあったり、あとはスナイダーとか、カスタネダとかの本がそろっていたら当たりの予感。
 結局、以下のものを購入。重い荷物をかかえ蹌踉として家に帰る。

長谷川伸『石瓦混交』
青山南 江中直紀 沼野充義 富士川義之 樋口大介『世界の文学のいま』
出口裕弘『天使扼殺者』
金井美恵子『あかるい部屋のなかで』
藤本泉『時をきざむ朝』
吉増剛造『打ち震えていく時間』
室生犀星『我が愛する詩人の伝記』
金関丈夫『長屋大学』
金子光晴『天邪鬼』
アラン・ロブ=グリエ『新しい小説のために』
須賀敦子『塩一トンの読書』
田中美知太郎『時代と私』

 金関丈夫はこの間の書物復権で何冊か復刊されていて、おっ、と思ったものの高くて見合わせていたので嬉しいかぎり。こういう博覧強記というかエンサイクロペデイックな感じは楽しい。

 良い誕生日だった。本当に。本当か?

*1:そういえばこのエッセイがとても面白かった。

時代小説専門雑誌『KENZAN!』最新号の目次に藤本泉の名を見て驚愕する。生きていたのかと驚き、著者紹介を見るも、やはり消息不明のままのよう。してみると未発表の原稿でも発見されたのだろうか。いや、しかし本当に驚いた。驚いたといえばアンナ・カヴァン『氷』やマイクル・コーニイ『ハローサマー・グッドバイ』が新刊書店の棚にあったりして南無三宝。


 体力が落ちたなと思う瞬間が最近は多々あって、それはたとえば長距離バスで以前なら五時間や六時間の移動なんて平気の平左が、あらいやだ、二、三時間もするともう顔といわず首筋といわず、からだじゅう脂でにとにととしてきて、澱のように沈む疲労にやがて全身がきしみだし、眠りに落ちることもできず隣の座席のでかいおっさんがからだをこちらに寄せてくるのを押し戻しながらぼんやりと窓の外に目をやることくらししかできないというのは、これはなんなんだろうね。ようするに疲れた。それでも京都でおこなわれた川上未映子千野帽子の対談は非常に刺激的で面白く、いった甲斐があったというものであることよ。
 
 東京を発ったのが23時過ぎで、京都に着いたのが翌日の午前の6時過ぎ。約7時間。ようようたどり着いたころにはそりゃからだも痛いわなというもので、とりあえず目についたマンガ喫茶でシャワーを浴びて目覚めの一助。そのまま東寺の境内を散策し、電車で京都駅にゆき、さてどうしたものかと思う間にも歩みは進み、北進。途中ふらふらと迷いながらたどり着いた麩嘉に飛び込みふりで買った麩まんじゅうが非常にうまー。公園で食べようと思って買ったのに、歩きながら六つをぺろりといってしまったというのはわが事ながら意地汚いな。本格的に降りそうな雨に怯えていたのは杞憂だったようで、いつのまにやらかんかん照りに肌がじりじりと焼けてゆくのがわかるこれが後でお風呂に入ると痛いので非常に困る。私は七難隠すタイプの肌で、日に晒されると一息に赤くなり、酷い時は火傷のように膨れあがり、実際むかし海にいったときなんかは耳の後ろがぶくりとふくれ、指でさわるとなかからじくじくと膿のような液体があふれでて、しかもその時は駅に野宿していたのでこりゃあかんと夜があけたその足で病院に駆け込んだら、こりゃ火傷だねと驚かれたくらいに肌が弱かったなぁ、と歩いていたら、鳥居に輝く五芒星。あれはなんぞとみてみてみたらいつのまにか晴明神社の前を歩いていた。

 あれですね、境内に一条戻り橋のミニチュア(再現したもの?)があるのは良いとして、まさか橋の下にいたという式神を「再現」しているとは! 凄えよ! 式神を具象化しているよ! 押し合いへし合う修学旅行生を横目に参拝し、もともとの戻り橋を通過し、今度はひたすらに南東の方に歩くも途中で力尽きバスに乗り目指すは三条。バスを降りしばしうろつき、たどり着いたは一澤信三郎帆布。素敵なバッグが目白押しで、ああもう目移りすることこの上なく。あれもいいこれもいいと手触りを楽しみ肩にひっかけ手にぶら下げて、結局カーキ色のトートバッグを購入。荷物を詰め替えそのまま大きな通りを進み、知恩院へ。聳える山門に圧倒されながら勾配のはげしい階段をのぼり、本堂へ。お参りししばしぶらつき、そのままどこをどう歩いたものやら青蓮院に。はじめてきたけどいいですねここ。庭を眺めぼんやりとしているうちに疲れがでたものやらうとうとと、気づくと対談の時間が近づいていた。慌てて近くの駅にゆき、色々乗り継ぎ会場になっている場所へ。思っていたより早く着いたはいいけれど始めての場所で勝手がわからず、というか看板に場所が書かかれていなかった(と思う)ので、どこでやるのかわからずしばし彷徨い、ようようそれらしきところにつくと人が並んでおり、前の方に尋ねるとここだという。やれやれやっとたどり着いた、と壁にもたれしばしぼうっとしているも、時間の流れは中々おそく、いっかな開場の様子が無い。で、どんなきっかけでかはわすれたけれど、初めに声をかけた方と話し始め、し始めると驚くほど趣味、というか読んでいる本の傾向とか好きな作家が似通っていて、結局、講演終了後も京都駅まで話し続け、翌日、京都を案内していただくことになる。良い出会い。

 で、対談。
 印象に残ったことはそれはもうたくさんあって、それはたとえば、物語と批評のバランスの問題で、あの奥泉光でさえも、物語の機能として人を癒す力というものがあり、その力(あるいは機能するということ)は決して否定しきれないというようなことをいっていた、という趣旨の千野帽子の発言だったり、それはたとえば、川上未映子の「私」というわけのわからないものを、「私」を書くというシステムを使って、まるで「私」があるように語っていることに対し、恥じらいを覚えているように感じさせる文章が自分にとって面白いもののようだ、という言葉だったりして、そして後者の言葉には強く反応してしまい、それは、この講演の数日前に読んだ古井由吉にこんな文章があったのを思いだしたからだったりする。

だいたい、小説を書くということ自体が、相当に恥かしい行為なのだ。人は誰しも、必要のない嘘はつきたくない。また逆に、自分の心の内奥にかかわる本当のことは口にしたくない。小説を書く人間の手にする筆がまるで鉛の塊がついているように重いのは、この二つの気持ちがたえず働いているせいであるが、結局のところ、彼はこの厭うべきことを好きこのんでやっているのだ。
 この二つの本源的な羞恥を相手に、日本の近代作家はおそらく西洋の近代作家よりもはるかに繊細かつ陰湿にわたり合ってきたのではないかと思う。西洋の近代作家は羞恥という点では、まだしも、伝統として生きている芸術形式によって、つまりは超個人的なものによって救われているようだ。この意味で、彼らは日本の作家ほどに、物を書くといういとなみにおいて、「個人」の中へ放り出されてはいないと私は考える。それにひきかえ日本の作家の場合は、小説を書くことが芸術的立場である前に、「私の」人間的立場であるのだ。(中略)
 私はまだやみくもに、恥ずかしげもなく、物を書くという恥ずかしいいとなみに突進している。おのれを顧みる余裕もなく、表現欲だけが―私は現在失業中で無為孤独なので―ほかに情熱を吸い寄せて鈍重に動いている。ただほとんど一文章ごとに、私は自分にとって書くのがつらいことと、それほどでもない事とを、書痙(物を書こうとするとケイレンを起こす病気)ぎみの右手でもって感じ分けている。そして感じ分けてどうるかと言えば、書きづらいことのほうへ重い舵を取っていくことにしている。そうすると、私にとって物を書くいとなみはいよいよ怪しげになり、現実と非現実の間からウサン臭い気が立ちのぼってきて、私の手はいよいよ書痙に傾いていくが、しかしその分だけ、私は右手で物を考えているようだ。

古井由吉『招魂としての表現』p30〜31 

「わたくし率イン 手ー、または世界」?

 あとはこんなところ。

良い文章は上手下手にかかわらず、他者への洞察によって自分を相対化しようとつとめ、しかも相対化しきれない自分をあらわすものだ。自分が結局は自分でしかないことに、許しを求めているような表情が、良い文章にはどこかしらうかがわれる。

古井由吉『招魂としての表現』p92

 恥らい方にも色々あって、そりゃ顔を覆い恥らう素振りをみせるその手の内でほくそえんでいるような、なにか自分の感受性をこれ見よがしに見せつけ押しつける卑しい恥じらい、というものもあるにはあるのだろうけど、それでも、やはり恥じらいというものはあるのだろうなと思うし、含羞というのだろうか、どこかにわずかな後ろめたさを含んでいるような文章というのは、良いなと思う。

 それからあと気になったのが、川上未映子の発言で、彼女は最近「中国のテロ地帯」へいってきたという。彼女はそこで見たものをコトバにできないかという。そこにいる人たちは自分達のおかれている状況をコトバにするすべをもたないのだという。で、そこで、そこにいる人たちに代わって、その彼らの置かれている状況を代弁するのではなくて、そのものとして、その場で起きていることをコトバにしたいのだという。そういう可能性が「文学」にはあるのではないだろうかという。

 で、これは多分に私の解釈が入るのだけど、川上は「他者」の他者性(川上は「他者」という安易な言葉は使っていない)を犯すことなく、そのものとして、その場で起きていたことを書ける可能性が「文学」にはある、というか、それこそが小説の可能性ではないだろうか、というようなことをいっていて、それはもちろん、ひところ盛んにいわれた、飢えている子供を前にして「文学」はなにができるのかとか、コトバは外界を正確に再現することができるのか、とかそういった話ではなしに、なにかがあったというその痕跡をこの世にとどめることができるかもしれないという可能性、コトバをもたず、己が生きてそしていま現に晒されている状況を表すことができないものの「代わり」に、その世界それ自体ではなく、その世界の痕跡をこの世に残すことはできないのか、という川上の倫理的な態度のように思え、なんというか私は不覚にも感動してしまった。
 で、先の「文の中の恥じらい」ということと考え合わせ、「他者」を「他者」足らしめている他者性を排除することなく、そのものとして、その場を書ける可能性が「文学」にはあるかもしれない、と同時に、否応なしに、書かれることによって、剥奪されてしまわれかねないなにか(それは例えば他者性と呼ばれるものかもしれなく)があり、書くことによってなにか(それは例えば他者性と呼ばれるものかもしれなく)を剥奪しかねない力(=「小説」というシステム)を、己が技術として持つというのは、先の、「私」を「私」たらしめるシステムによって「私」と語ることの恥じらいとどこかで関係しないのでしょうか、というような事を聞きたかったのだけど、なんかこう、うまくコトバにできず、質問する機会を逸してしまった。残念。でも、手挙げるの恥ずかしいし。

お前は断言する、存在とは休息である、運動の中の休息であると。F.カフカ

 6月7日、リチャード・ブローティガン『東京日記―リチャード・ブローティガン詩集』購入。帰りの電車で読んでいたら、それが1976年の5月から6月にかけて日本に滞在していたブローティガンが書いた詩だということにおそまきながら気がついたのは、「東京から高速道路で大阪へと向かう」と題された詩の最後にある「浜松 一九七六年六月七日」という文字に目がいったからだった。
 前日の詩をみると、「東京 六月六日」とある。という事はちょうど32年前の今日、という事は約11680日前、という事は約280320時間前に、ブローティガンがこの東京から大阪へと移動していたのか、という、たとえ32年前の今日に東京にいたとしても、あるいはこれが2008年の事だとしても、どっちみちブローティガンには会えなかったなのだな、という当たり前のことを思い、何だか不思議な感じがしてしまった。いや、まあ、それ以前に32年前に私は生まれてもいないのだけど。そしてどうやら彼は6月9日には東京へ戻ってきて、「病院に友人を見舞いに行っ」たり(一行目はこう始まる「病院にカズコを見舞いに行ってきた」この「カズコ」とは藤本和子のことだろうか、この間文庫化された『芝生の復讐』は、本編は勿論、解説の岸本佐知子の文章が素晴らしかった。紀伊国屋スーパーでブローティガンに「会った」彼女と、東京で彼に「会えなかった」私)、「こわれた時計をもっ」て「東京を歩」きまわったり、明治神宮に忍び込んで乳繰り合ったりするらしい。いいな。なんだか楽しそうだ。


 香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』を読んでいたら、いきなりこんな文があった。

 その工作舎とかかわるようになったきっかけはごく単純で、高校生のころから『遊』の読者ハガキを何回か送るうちに、編集者から「一度、遊びにきませんか?」と電話がかかってきたのだ。工作舎の本を読むようになったきっかけはさらに単純で、「本屋で見たから」だ。しかしその本屋があった場所は東京ではなく北海道小樽市だから、少し特殊かもしれない。私は小樽市の中学に通っており、たしか塾の帰りに寄った本屋の新刊コーナーで工作舎発行の『二十一世紀精神』という本を見つけたのだ。私は中学3年、1975年10月のことだ。

香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』p6

 ここを読んだ瞬間、なにかがひっかかり、はて、と思っていたら、どうやひっかかっていたのは「小樽」「松岡正剛」「工作舎」という単語だったらしく、やがてこんな対談を思いだした。

〔重松〕そもそも京極さんは北海道のご出身ですよね。いまでいうサブカルとか雑誌文化に触れられた原体験というのは、「少年マガジン」あたりですか?
〔京極〕ああ……僕の子供時代には、いわゆる幼年〜少年雑誌って小学館の学年雑誌くらいしかなかったですよね。そこに漫画雑誌が加わることになるんだけど、そうですね、そういう意味では「少年マガジン」なのかな。(中略) で、そのあと中学の後半ぐらいから工作舎の「遊」あたりが。
〔重松〕「遊」って北海道の町の書店で手に入ったんですか?
〔京極〕売ってなかったように思います。
〔重松〕じゃあ、どういうルートで。
〔京極〕それが、覚えてないんです(笑)。創刊号は持ってなかったんですが、気づけば毎号取り寄せてました。一体最初はどこで手に入れたんだろうね。
〔重松〕その原因は見えないまま?
〔京極〕うん。気がつくと書店に注文しており、毎号届けてもらって――当時は配達をしてくれたんですよね。だから「少年マガジン」と一緒に「遊」が来るような。
〔重松〕すごい(笑)。「遊」のどこにいちばん惹かれました?
〔京極〕第2期になってやや路線変更があったわけですが、なんか第1期の「遊」は「読んで欲しくない」ってオーラが出てましたたでしょ(笑)。もうひとつはタイポグラフィックの問題ですかね。文字が多かったでしょ? あれがたまらなかったんですよ。これは異論がある方もいらっしゃるかもしれないけれど、基本的に「和風」だったし。当時はジャパネスクみたいな風潮はそれほど顕著じゃなかったから、そのへんに親和性を感じたんでしょう。
〔重松〕「現代思想」みたいな洋モノのたたずまいではない、いかにも松岡正剛さん的なたたずまい。

WASEDA bungaku FreePaper Vol.08_2007_01*1


 奇しくも両名同じ年頃に小樽という町で工作舎との出会いを果たしているわけなのだけど、1960年生まれの香山リカと1963年生まれの京極夏彦では3歳の年齢差がある。この年頃の3歳差というのは中々に大きい。この年齢差だと、京極が中学に入学するころ、香山は東京の高校に入学し地元小樽を離れることになる*2。というわけで、京極が工作舎にであった頃には、香山は同じ町にいなかったのだけど、それでも、小樽というそれほど大きくはない(のかな?)町で、工作舎という特異な文化集団に出会った早熟な(この年頃で工作舎の本と出合うなんて内容を「理解」したかどうかなんて関係なく、そら早熟に決まっている)少女と、少年がいたという事に私はなんだか感動に近い驚きを覚えてしまう。で、そんな早熟な二人が互いの事を知りもせず、もしかしたら同じ町の本屋ですれ違っていたかもしれないと思うと、なんだか、もう、胸がしめつけられるようになってしまうというのは我が事ながらどうかと思う。きっと「地方」「早熟」「少年少女」という単語の所為だと思う。

 そういえば何かのインタビューで京極が、高校時代はニューアカにちょっとはまってフラクタルの絵だかなんだかを書いていただかなんだかという話を読んだような気がするのだけど、何で読んだか思いだせない。で、例によって例の如く部屋を漁ったのだけど見つからず、その代わりこんなものを見つけた。ちなみにインタビュアーは佐々木敦

―― では「小説は構造である」という小説観は、どこから生まれたものなんでしょう。
京極 僕はグラフィック・デザインを生業にしているわけですが、そちらのほうの仕事も同じような考え方でやってますね。
 別に構造主義とか好きじゃないですけどね。現代思想は面白いけれど、罠が多いでしょう。理にかなっているものの、結局なにも語っていないようなときもままあってですね(笑)。ニューアカも高校生の頃ははまったけれど、恥ずかしくなってやめて。

ユリイカ1999年12月号 特集ミステリ・ルネッサンス』p54〜55

 ところで『ポケットは80年代がいっぱい』には、松岡正剛との思いでも書かれてあるのだけど、これがまた中々に恐い。昔に比べ「体制」に近づきソフトになってゆくように見える松岡の姿に強い抵抗感を持ち、距離をとっておきたかった香山なのだけど、あるイベントの開会式に一緒に出ることになる。そこで二人は10(20?)数年振りの再会をはたす。

何事もなく開会式はすみ、私は「こんなものか」と半ば安堵し、半ば失望しながら会場をあとにしようとしたそのとき。松岡さんがつかつかとこちらに近づいてきて、私の背中に両腕をまわして軽いハグをしながら、低い声でこう言ったのだ。
「やぁ、会いたかったよ。久しぶり」
 松岡さんは私を「香山」ではなく、本名で呼んだ。「香山リカ」名を名乗るようになったのは、工作舎での“丁稚奉公”を経て春美のところで『HEAVEN』に携わるようになってからであり、はじめて松岡さんに会ったときは私は本名を使っていたのだ。とはいえ、それは半年ほどの話で、その後、「香山リカ」になってからの時間のほうが圧倒的に長いのに、松岡さんは「私が知っているキミは、いつまでたってもあのときのままだよ」と思っているようなのだ。私は、足も口もすくんでしまって、文字通り固まった。「この人にはかなわない、ヤバイ、ここで“さあ、こっちへおいで”と言われたら、どこまでもついていってしまいそうだ。私はまだ松岡さんの磁場の圏内にいるんだ」と私は震え上がった。

同上 p123〜124

 そういえば本に巻かれた帯の、内側に折り曲げられた部分には1987年の香山リカの写真が使われているのだけど、非常に可愛い。一見の価値があると思ったことであるよ(ちょっと目が恐いように思うけど)。

*1:表記はこれでいいのだろうか?

*2:京極が早生まれで、香山が早生まれでないならば、中学時代が一年かぶる可能性があるのか?と思い調べてみたら、wikiこんな事、及びこんな事がかかれていたので、もしこれが本当なら中学時代まではかぶっているみたいだけど、まあ、何にせよ京極が工作舎に出会った頃には、香山は東京ですな。

産むあてのない娘の名まで決めている 狂いはじめは覚えておこう*1(林あまり)

本を読んでいたら、友人からなんというかとても公共の場では口にだせないような、PCに抵触する五秒前なことを言い放ったメールがきたのでせいいっぱい侮蔑の返信をする。

件名:いや、君
本文:人として最低。

すぐに返信がくる。

件名:まあ、
本文:常識的に考えて社会とかにいりませんよね。我々のような人間は。

本当にそう思うのでそう返信する。

件名:常識っうか
本文:良識とかにも鑑みていらないと思う。確実に。無用の人。というか、私を「われわれ」にいれないでくれ。

五分たっても返信が来ないので終わったかと思い本に戻ったら、九分後に返信がくる。

件名:謹みて足下に問う!
本文:無用、有用とは何ぞや! 
愚生案ずるに無用な人間を養っていられるというのは、その社会に余裕があり健全に機能しているという証拠(無用な存在を許容できない社会というのは不健康。不健康な社会じゃ駄目なのかというところはおいておいて)。そう考えると、我々は、いま、この、日本が、健全であると証明するためにはかかせない人材。これ有用。よしんば本当に我々が社会にとって無用な存在だとして、そもそも無用、有用とは何ぞや。一口に無用、有用とおっしゃいますが、社会にとって有用な人間とは、我々のような無用な人間との関係において存在できているのであります。いらない、という概念がなければ、いる、という概念は存在できない。逆もまた然り。そう考えると、有用な人間と我々のような無用な人間とは互いに依存しあっているのであります! つまり、世の中の有用な人間というのは我々のような無用な人間のおかげで存在できているといえるのであります。考えてもみてください。もしも我々のような無用な人間が存在しなくなったとしたら、どうなるか。無用/有用をわける線が崩壊し、われわれ無用な人間のおかげで、有用でいられる人間の、その有用さそのものが意味をなさなくなるのですよ! だから有用な人間(あるいは自分は社会にとってかかすことのできない有用な存在だと思っている人間)どもは須らく我々のような人間に感謝するべきなのであります! 当にそうではなかろうや!

……。
ちょっと考えてから返信を送る。

件名:ごめんなさい。
本文:あなたキモいです。あと私を「われわれ」にいれないで下さい。

久しぶりに本当にこいつはどうかと思った。