ねこの回転 くるくるにゃー

 誕生日だからこんな日にでかけたらきっとなにか良いことがあるに違いないと古本屋めぐり。先日いった「エクス・ポナイトvol.2」で知った面白そうな古本屋をめざして電車をのりつぐ。そう、「エクス・ポナイトvol.2」はやはり古川日出男のライブ(?)が圧巻、印象的で、それは音楽に親和するのではなく、音楽のなかにコトバをたてようとしているように感じられて、それがとても、なんというか、痛ましい、というとずれてしまうのだけど、なんだろう、とても異様な緊張感があってよかった。音楽という旋律のなかで、コトバを発し、それが奏でられている音と親和性を持つならば、それはおそらく「歌」と呼ばれるものになるのかと思うのだけど、古川のはあくまでも作品を読む、朗読という行為であって、それは「歌」にはならない。いっそ音のなかにコトバを沈めこみ「歌」になってしまえば、やるほうもみる方も楽なのではないのかと思うのだけど、古川は旋律のなかに沈みこまず、あくまでもコトバをたてる。コトバはコトバとして、音にならない。歌詞ではなく、コトバとしてある。古川が声を発するたびに、それは私のなかに入り込み、次の瞬間、コトバとして立ち上がり、形と意味と解釈を要求するようになる(それは同時におこる)。もしあれで、演奏がなかったらどうなっていただろうか。古川のコトバはただコトバとしてでてくる。それはそれで、古川の声を聞く、という体験で面白いことは面白いのだけど、あれほどの緊張感は生まれなかったのかもしれないと思える。それほどに、音のなかにコトバをたてる、という行為は緊張感があるものなのだな、と思ったことであるよ。

 円城塔とのトークで印象に残った発言。『聖家族』についての古川の発言。自分の故郷を書いただけで(ということはどういうことなのだろう。作者としての古川の出身地である東北は福島、という地名を織り込んだ作品ということか。故郷を書くとはどういうことなのだろう)それを作者の「ルーツ」を書いた作品、というような形で受け取られるのは如何なものか、といったような趣旨の発言をしていて、そりゃそうだよなー、と思う。まず、故郷、つまり生まれた場所、あるいはある年齢まで育った場所、を舞台にして物語を書く、事が可能だ、としたところで、それが何故、それを書いた人間の「ルーツ」を描いた作品になるのだろうか。それを書いた人間がたまたま生まれてたまたま育った場所を書くことが、その作者を作者足らしめている「ルーツ」とどのような関係があるのだろうか。や、もちろん関係なくは無い、というか、関係あることもあるだろうし、関係ないこともあるだろうしで、どちらの可能性もそりゃあるのだろうけど。そんな事を思っていると、どうしても思い浮かぶのは、例えば中上健次と「路地」の関係で、でもそれは、作品に現れた「路地」という場所は、中上によって極めて知的に構築された空間だったのだろうと思い、「路地」というのは発見されなければ存在しなかったのだろうと思い。でもおそらく故郷としての「路地」との関係、がなければ作者としての中上健次中上健次として存在していなかったと思え、そういう意味では「路地」というのは中上の「ルーツ」という事になるのかとは思い、でもなんだろう、それは中上がたまたま生まれ育った場所としての故郷が「ルーツ」だったのではなく、たまたま故郷に「ルーツ」が存在してしまっただけなのではないだろうか、とも思うのだけど、そうすると「ルーツ」というのは場所としてあるという話になってしまうのか。あるのか?はてさて。とりあえず『聖家族』は2000枚らしい。人殴り殺せるな。『ベルカ、吠えないのか?』や『ロックンロール七部作』でおこなわれたような、「歴史」を「語りなおす」、という行為が今度は「東北」を対象におこなわれるのか、という事に対する興味は尽きず。楽しみ楽しみ。あ、円城塔は飄々とした感じでよかった*1。めがねだった。さいごにでたバンド(なのか?よくわからない)で、「ぴぎゃー」とか「あー!」とか「ぎゃー!」とか叫んでいた人がいてあれはなんだと思っていたら中原昌也だった。驚いた。

 古本屋。一軒目。コンクリート打ちっぱなしの倉庫のようなところ。中々硬派な品揃え。レジの隣には、おそらく希少品なのだろうか、高そうな本が並んでいる。山尾悠子『夢の棲む街』(ハヤカワ文庫)があったので、どれと手に取り値段をみて、驚愕する。集成、買えますがな……。小一時間見てまわり、何冊か購入。他にも欲しいものはあったのだけど、あと何件かまわるつもりだったので自制。二軒目。こぢんまりとした外観。中に入るとそれほど広くはないけど、統一感のある落ち着いた感じのお店。ここでは文庫を二冊購入。ずっと探していた藤本泉『時をきざむ朝』を発見し、狂喜する。しかも安い!誕生日効果だと一人喜ぶ。新古書店を経由し、三軒目。一番古本屋らしい古本屋で、いかにも町の古本屋さんといった佇まい。値段が異様に安くて驚愕する。以前、他のお店でみて、こんな値段ならいらねぇよと思ったものが、いや、もう、非常に安い(というか適正だと思う)値段でおいてあり、あれもこれもと買っていたら、えらいことになる。重量とか。お財布の中とか。最後に帰る途中でもう一軒発見し、立ち寄るも、欲しいものはなし。ニューエイジ系が充実しているお店だったのだけど、うん、やっぱり私、ニューエイジ系は苦手なのだなと思った。まず、お店の中の匂いがなんだか苦手。これまでも、お店に入って、なんだか不思議な匂いがするなと思ったら、かなりの確率でニューエイジ系の本が充実しているお店だったからには、なにかしら相関関係があるのだろう。とりあえず、タイトルに「タオ」がつく本だとか、他の小説は置いていないのにケルアックとかギンズバーグとかのビートな感じの本がやたらにあったり、あとはスナイダーとか、カスタネダとかの本がそろっていたら当たりの予感。
 結局、以下のものを購入。重い荷物をかかえ蹌踉として家に帰る。

長谷川伸『石瓦混交』
青山南 江中直紀 沼野充義 富士川義之 樋口大介『世界の文学のいま』
出口裕弘『天使扼殺者』
金井美恵子『あかるい部屋のなかで』
藤本泉『時をきざむ朝』
吉増剛造『打ち震えていく時間』
室生犀星『我が愛する詩人の伝記』
金関丈夫『長屋大学』
金子光晴『天邪鬼』
アラン・ロブ=グリエ『新しい小説のために』
須賀敦子『塩一トンの読書』
田中美知太郎『時代と私』

 金関丈夫はこの間の書物復権で何冊か復刊されていて、おっ、と思ったものの高くて見合わせていたので嬉しいかぎり。こういう博覧強記というかエンサイクロペデイックな感じは楽しい。

 良い誕生日だった。本当に。本当か?

*1:そういえばこのエッセイがとても面白かった。