産むあてのない娘の名まで決めている 狂いはじめは覚えておこう*1(林あまり)

本を読んでいたら、友人からなんというかとても公共の場では口にだせないような、PCに抵触する五秒前なことを言い放ったメールがきたのでせいいっぱい侮蔑の返信をする。

件名:いや、君
本文:人として最低。

すぐに返信がくる。

件名:まあ、
本文:常識的に考えて社会とかにいりませんよね。我々のような人間は。

本当にそう思うのでそう返信する。

件名:常識っうか
本文:良識とかにも鑑みていらないと思う。確実に。無用の人。というか、私を「われわれ」にいれないでくれ。

五分たっても返信が来ないので終わったかと思い本に戻ったら、九分後に返信がくる。

件名:謹みて足下に問う!
本文:無用、有用とは何ぞや! 
愚生案ずるに無用な人間を養っていられるというのは、その社会に余裕があり健全に機能しているという証拠(無用な存在を許容できない社会というのは不健康。不健康な社会じゃ駄目なのかというところはおいておいて)。そう考えると、我々は、いま、この、日本が、健全であると証明するためにはかかせない人材。これ有用。よしんば本当に我々が社会にとって無用な存在だとして、そもそも無用、有用とは何ぞや。一口に無用、有用とおっしゃいますが、社会にとって有用な人間とは、我々のような無用な人間との関係において存在できているのであります。いらない、という概念がなければ、いる、という概念は存在できない。逆もまた然り。そう考えると、有用な人間と我々のような無用な人間とは互いに依存しあっているのであります! つまり、世の中の有用な人間というのは我々のような無用な人間のおかげで存在できているといえるのであります。考えてもみてください。もしも我々のような無用な人間が存在しなくなったとしたら、どうなるか。無用/有用をわける線が崩壊し、われわれ無用な人間のおかげで、有用でいられる人間の、その有用さそのものが意味をなさなくなるのですよ! だから有用な人間(あるいは自分は社会にとってかかすことのできない有用な存在だと思っている人間)どもは須らく我々のような人間に感謝するべきなのであります! 当にそうではなかろうや!

……。
ちょっと考えてから返信を送る。

件名:ごめんなさい。
本文:あなたキモいです。あと私を「われわれ」にいれないで下さい。

久しぶりに本当にこいつはどうかと思った。