おれはさあフランスママのアイディアは数千年古いと思うな あたしはちがうあたしは数千年未来のアイディアだと思ったわ


 品川をでた瞬間から嫌な予感がしていた、とはいわないけれど予定では名古屋まではたどりつけるはずが岡崎で終電がなくなり、そういえば右も左もわからない町を夜の11時過ぎに歩き回るというのは中々に心許ないものだったな、ということを思いださせてくれたのが、楽しかったといえば楽しかった。しかし何故、こうなったのだろう。

 京都は下鴨神社糺の森でおこなわれる古本市にいってみようかな、と思ったのは3日前くらいだったか。前からこの市のことは聞いていたものの、場所が場所だけにさほど意識していなかったのだけど、今回はたまたま市の当日からお休みが重なり、これも何かの縁と、とくに用事もなかったので、ではいってみようかと、市の前日の夕方5時に品川を発する電車にのったはいいけど如何せん各駅停車。直前に会った友人には、「いいかげんいい歳なんですから18切符なんて使わないで新幹線使ったらどうですか」といわれるも、新幹線の六分の一程度の値段で、三倍強の時間しかかからず連れて行ってくれるなら、お徳これに過ぎたるものはないだろう率的に、そりゃ15時間かかる、あるいは5000円くらいかかるなら考えるけどさこの率ならつかわにゃ阿呆だよ阿呆、というと、「阿呆はあなたですよ。とりあえずデジカメ壊さないで下さいね」と彼はいうのだった。そう彼からはデジカメを借りたのだ。ほとんど使わなかったけど。

 計算上は終電で名古屋に着き、その足でネットでさがし割引券まで用意しておいたホテルに泊まるはずが、どこで接続をまちがえたのか岡崎で降りるはめに。駅をでて呆然とする。何もない。本当に何も無い。降りた出口が悪かったのかと反対の出口に移動するも大差なし。典型的な地方駅。近くのコンビニにいき話しを聞くと、アンジョウ、というところまでいったほうがいいといわれる。アンジョウ?安生?安生洋二? とっさに変換されたのは今は懐かしき200%男の安生。岡崎から何駅くらいですか?「一駅です」歩いていけますか、と聞くと「こいつは何をいっているのだ」という目つきをされたので、お礼をいって駅にもどる。相変わらず駅前には何もない。と、みるとタクシーが止まっていた。ここからアンジョウというところまでいきたいのですけど、どれくらいかかりますかね、と聞くとドアがぱたりと開き、「まあ乗ってください」といわれる。普段はめったにタクシーなんぞ使わないのだけど、疲れで判断力が低下していたのか、ふらふらと乗り込んでしまう。久しぶりにタクシーにのったので、私の感覚がおかしくなっていたのかもしれないけれど、タクシーのメーターというのはあんなにくるくると勢いのついた水車みたいにまわってゆくものだっただろうか。気づくとさほどの距離も走っていないと思われるにもかかわらず、3000円近くいっていたので、ここで降ります、と宣言する。深夜に何処ともつかぬ道路わきから駅までたどり着くのはなかなかに大変だった。九マイルは遠すぎる。アンジョウは安城だった。

 京都に着いたのは朝8時過ぎだった。昔から大垣夜行や深夜バスなんかを使い、早朝に京都に着いた時は京都タワーの下にある銭湯に入るのが習いになっていたのだけど、今回も一風呂浴びる。待ち合わせしていた人と合流し、バスで下鴨神社を目指す。それにしても暑い。脳味噌がとろけそうなくらいに暑い。じんわりと遠火でローストされているのかと思われるほどに熱い。バス停から神社までの短い距離にも汗が止まらずしまいには視界が霞んできた。


涼しげな糺の森

一歩入るとこんなん

 糺の森に入り、入り口近くにあった休憩場で涼をとる。しかし、それにしても壮観。話しには聞いていたけど、これほど古本屋さんが軒を連ねているとは。比喩ではなく、端がみえなかった。その後も予定があったので、できる限り買い物は控えるつもりだったのだけど、まあ、無理ですわな。とりあえず10冊で500円、というコーナーにいった時点でもう無理。同行してくれた人ときっちり10冊選び購入。これで頭のどこかのスイッチが入り、買い物モードに。といっても、端からくまなく見ていくのは無理なので、店頭をざっとみながら一周する。途中、荷物をあずけるところがあったのはとてもありがたかった。なんだかだで、3時間近くいたかもしれない。購入したものは配送センターがあったので、そこから送ってもらうことに。送料800円少々。普段ならその分、本を買うところだけど負けました。
 それにしても神社と古本市、という組み合わせはとても面白い。東京だと毎年穴八幡の古本市にはいっているし、この間おこなわれた鬼子母神の古本市も良かった。神仏と市の関係。無縁の場での交換。

 この古本市の他、こんかいの目的は、三月書房とアスタルテ書房にいくこと。どちらも世評の高い本屋さん(前者は新刊書店、後者は古書店)で、以前から行ってみたいとは思っていたものの、何故にか機会がなく、というか、なんとはなしに敷居の高さを感じてひとりでいくのをためらっていたのだけど、こんかいは同行者がいてくれることに気を大きくしたのか行ってみようという気に。下鴨神社から歩いて移動して思ったことには、夏の京都は歩くものではないな、ということ。本当に倒れるかと思った。
 三月書房は、もう、なんというか、呆然とする。よく呆然としている私。いや、しかし、この本屋さんは凄い。新刊書店、という枠でここまできっちりとした本屋をつくれるとは……。私にその凄さの、果たしてどれくらいわかっているか心許ないけど、一冊一冊まできっちりとご主人の眼が行き届いているのがわかるように感じ、ぞくぞくする。あと現代短歌の本がいっぱいあって嬉しくなる。東京だと池袋ジュンクとか紀伊国屋本店にでもいかなければ中々ないのだ。これだけで嬉しくなる。嗚呼、近くにこんな本屋さん欲しい。同行してくれた人も「凄い凄い」と唸っていた。今度から通いますともいっていた。羨ましい。今は無き小沢書店の本が自由価格で売っていたので購入する。
 アスタルテ書房はマンションの一室にある。以前、いった人から「わかりにくいよ」と聞いていたので、気を張って歩いていたら案外簡単に見つかる。確かに外観は普通のマンション。特に看板もでていないようなので、知らなければここに古本屋さんがあるとはわからないだろう。仄暗い落ち着いた照明。スリッパを履いてあがる。入るといきなり棚の上に丸尾末広のポストカード(?)のようなものが置かれていた。同行人がそれを見ている間に店内をふらふらする。文庫のところで、棚に入りきらず積んである山に目を落とすと一番上に藤本泉『王朝才女の謎』が。驚く。最近、本当に縁があるなー。

 翌日は高野山に行き、一日中みて回る。とりあえず奥の院まで歩き、空海さんにご挨拶。疲れた。
 

買った本

高野文子『おともだち』(綺譚社)
チャールズ・プラット『フリーゾーン大混戦』(ハヤカワ文庫)
大岡信『詩への架橋』(岩波新書
田中美知太郎『古典への案内』(岩波新書
ジョゼフ・ローゼンバーガー『悪夢の日本連合赤軍』(創元推理文庫
田中克彦『ことばの自由をもとめて』(福武文庫)
長田弘アメリカの心の歌』(岩波新書
平岡篤頼『変容と試行』(河出書房新社
宮本徳蔵『河原妖香 歌舞伎のアルケオロジー』(小沢書店)
J・L・ボルヘス『無限の言語 初期評論集』(国書刊行会
前登志夫『山河慟哭』(小沢書店)
吉増剛造『緑の都市、かがやく銀』(小沢書店)
古井由吉『神秘の人々』(岩波書店
小林恭二『俳句という愉しみ』(岩波新書
藤本泉『王朝才女の謎』(徳間文庫)
ジョン・バーンズ『軌道通信』(ハヤカワ文庫)



おまけ




一見涼しげだけど暑さで死にかけた京都。