最近ちょっと面白かった話 その1

 太田俊穂『城下町盛岡遺聞』(大和書房)という本を読む。著者の故郷、盛岡に縁のある人物や在りし日の町の姿を描くその中に、興味深い文章を見つけ思わず小躍りする。
 流泉小史という人がいたのだという。何でも岩手の産で長じて上京し福地桜痴黒岩涙香、本多精一に師事し「小説こそ書かなかったが、昭和初頭、きわめてユニークな筆致で、幕末の剣豪伝を次々と発表して、当時の読書界に一種のブームを起し」た人だという。その本『剣豪秘話』の中で彼は、山田美妙と「首斬り浅右衛門」こと山田浅右衛門が同じ一族だと書いているのだという。山田美妙といえば硯友社の同人として、また「言文一致体」の先駆者として「日本近代文学」の誕生に一役買っている人物。かたや山田浅右衛門といえば旧弊として廃止される明治の初期まで「首斬り」という行為に携わっていた人物。この二人が親戚だったとしたらこれは面白い、と思ったのだが、この話を紹介している太田自身は懐疑的だったようで次のように書いている。

 この浅右衛門と、美妙との関係については、私自身、半信半疑である。系図にでてくる名前がほとんど「吉」がつくこともよく似ており、なかには全くの同名の者さえいる。美妙の父も「吉雄」である。幕末、江戸の千葉道場で剣を学び、明治政府に仕えて兵庫県の警部長を勤めた。いまの警察本部長である。大日本武徳会の常議員でもあった。
 美妙の大叔父は吉睦という。流泉小史の言によると、この人物が、最後の浅右衛門であるという。浅右衛門もまた「吉睦」である。ただ果たしてこの二人が、同一人物かどうかはわからないが、美妙文学に漂う、一種の妖気(これは私だけの感じかもしれないが)に、浅右衛門の影が重なるのである。


太田俊穂『城下町盛岡遺聞』(大和書房)p205

 また、『城下町盛岡遺聞』によると山田美妙の家は代々南部藩に仕え、同地の多賀神社の神職も兼ねた一族であり、国学をもって中央にも知られていたのだという。
 と、ここまで書いてきたところで変なところに気づいた。読んでいた時は気にならなかったのに。いかに私が流し読みをしているかという証左だが、それは置くとして、この引用文の中にある「最後の浅右衛門」というところ。流泉小史の言葉として、著者は「吉睦」という名前をだしているが、引用した文の数行前に「最後の浅右衛門は八代目で、名を吉亮といった」と書いている。なんで「最後の浅右衛門」の名前が二つあるのだろうか? 取りあえず手近にあった篠田鑛造『明治百話』(角川選書-24)*1を見てみる。この本の最初に、山田"朝"右衛門へのインタビューが載っているのだ、と見ると「手前が山田朝右衛門の八世を嗣ぎました吉亮でございます」「手前の代でこの家業が断絶したんですが」と書いてあるし、wikiを見ても八代目吉亮で終わっているから、多分「最後の山田浅右衛門」は「吉亮」でいいんだろうけど、それじゃ「吉睦」って誰? wikiだと五代目にその名前が見えるけど、『明治百話』だと五代目は「吉暁」だし……。なんだか面倒くさくなってきた。取りあえず流泉小史『剣豪秘話』を読まなきゃ話にならないけれど近場には置いて無さそうだし……。それともあれか、この"浅"右衛門と"朝"右衛門の差異が問題だったりするのか? 「浅右衛門」としての最後は「吉睦」で、「朝右衛門」としての最後は「吉亮」で、みたいな、って、これが作者どちらかの単なる誤解、誤記とかだったら悲しいな。


 それはさておき、私自身なんでこの文章に、つまりは山田美妙と山田浅右衛門の関係に興奮してしまったのかというと、恐らくは、近代文学の先駆者と旧風の体現者という対比や、代々神職を生業にしてきた一族と代々斬首を生業にしてきた一族が親戚筋だったかもしれないというところにある種のツボが刺激されたのは確かなのだが、それに加え、一番大きな理由としては、若き日の山田美妙と尾崎紅葉を始めとするその仲間達の間で暇つぶしにでもでた会話で「知ってる? 『首斬り浅右衛門』って俺の親戚なんだぜ」「ちょ、マジで? それ凄くない? つーか、会ってみたいんだけど」「全然OK」といかにも新時代の若者らしい軽薄なやり取りがあり調子にのって会いにいき、実際に多くの人を斬ってきた人間*2に向かって「人斬るってどんな感じすか? 血が吹きでるってホントすか? ぶしゅー、とかいって?」と阿呆な事を聞き、一喝されて逃げ出すか散々に脅かされるといった情景を想像して可笑しくなってしまったのだ。多分。そしてこの山田風太郎が好みそうな題材を実際に筆にして欲しかったと思い、何だか知らないけど楽しくなってしまったのだ。山田風太郎山田浅右衛門といえば、『警視庁草紙』では八代目が妖しくも凄みのある姿で描かれているし、某短編では最後の最後で、こう、何というか非常にアレな姿で描かれているし、エッセイだと「首斬り浅右衛門」というこれはもう本当に人を食った素晴らしく阿呆なものを書かれているので、読んでみたかったな山田美妙と山田浅右衛門の話。

*1:この中に「雨の日の逆斬り」という話がある。大雨の日にどうやって罪人を斬ったかという話なのだが、こんな事が書いてある。「大雨の日なぞには、左手に傘を差し、右から逆手で斬りますというより斬らしてくれるんです」。この「斬らしてくれるんです」という言葉は罪人を押さえつける人足にかかっていると思われる。傘に逆手なんて真似は弟子がやると失敗して人足に斬りつける恐れがあったので、人足の方で許さなかったらしい。それが朝右衛門だと安心して、逆手で斬らせてくれたらしい。人足と朝右衛門の信頼関係を語るエピソードとして考えれば、なんというか、心温まるといえるのかもしれないけど、淡々と無造作に語られている感じがとても恐ろしい。左手に傘を持って逆手に右からずんばらりか。恐いな。というか片手で斬れるものなんだな、首って……。

*2:12歳の頃から先代と刑場に出向き、爾来17年間、刑の執行で斬った数は300人余りだという。