とんだスラプスティック


 私の部屋は汚い。といってもゴミやナマモノ、食べ終わった食器などの生活感溢れるものがそのへんに落ちているというわけではない。そういう意味では割合に綺麗といって良いかと思う。
 問題はモノが、それも主に本が、整理されずその辺に置いてあるということに尽きる。
 私の部屋は割合に広い方だと思うのだが、今現在、部屋には、ハードカバーが100冊ほど入るカラーボックスが二つ、無理に押し込んで文庫が700冊、その他の版型の本が300冊ほど入る市販品の本棚が一つ、文庫本が600冊ほど入る手製の横長の本棚が一つ、文庫本が300冊、その他の版型の本が100冊ほど入る手製の縦長*1の本棚が一つ、漫画専用の、150冊ほど置ける、やはりこれも手製の本棚が一つ、他に一杯に本を詰め込んだダンボールが五つ、加えて納戸に四つばかりあるのだが、既にその収納という機能は崩壊し、まるで本が日々自己増殖を繰り返しているかのように部屋の中で増えてゆき、それに加えコピー用紙が、あちこちに点在、いや、遍在し、あるいは重なり合っている。脛の中ほどまでの高さの仏塔が部屋中に乱立している光景を想像してもらえれば一番分かりやすいかもしれない。
 ところで、俗に「足の踏み場もない」という言い方があるが、私の部屋の場合は「足の踏み場"しか"ない」。
 「飛び石」というものがある。周知の通り、日本庭園などで見る、少しずつ離れて置かれた石のことだ。庭園ではこの上を伝って歩くようになっている。フラットな地面に一定の大きさを持った石が置かれることで、そこは通路となる。この場合、地面に対し、厚さを持った石の分だけそこが浮き出ている。つまり空間に対し実体的なものが浮き出ている。私の部屋の場合、これが逆になる。床に詰まれた本と本の間に、ちょうど足が二つ入るくらいのスペースが生まれ、そこが飛び石と同じ機能を果たすことになる。つまり、庭園では地面に配置された石のような確固としたモノが道になるのに対し、私の部屋では「〜がない」というネガティブな空間が道として機能している。そこ"が"道なのではなく、そこ"しか"道がない。私の部屋の床は本と足の踏み場、つまり本と道とに整然と分かれている。しかし、その道の存在は私にしか分からないと思う。まるで獣道。
 今日、いつもの様に、この非=存在の道を歩いていたところ、いつもの様に、いつもの所で、片足をつき、いつもの様に、それを起点に跳躍したところ、着地点に何故かビニールの袋があり、そこに足をついた。滑った。慌てて体勢を立て直そうと腕を振ったところ、運悪く上記の手製の本棚に当たった。その本棚は私の背丈よりも大分高いところまで本が積んである。加えて、素人が作ったものであるからして、とても安定が悪く、少しの衝撃で倒れる。少しの衝撃でも。今回の衝撃は強すぎたようだ。倒壊。ここ最近で二度目の倒壊。誰が片付けるんだ……これ。

*1:私の身長よりも高い