梅雨ってこんなにスチーム・サウナだったっけ?

 週末に京都へ行く。夜行バスで。「またかよ」「まただよ」という友人とのやり取りにもめげず。出発は21時。ぎりぎりまで飲みかつ食べていたらよい感じにできあがり、バスの中はほとんど記憶なし。隣席が空いていたこともあり、夜行バスとは思えないほど快適に過ごす。でもやや首を寝ちがえる。少し、痛い。

 首を傾けたまま6時過ぎに京都駅前に到着。霧雨の中、7時までぶらぶらし京都タワー地下の銭湯で汗を流す。晴れていれば鴨川の河川敷で昼寝でもと思っていたのだけど、ままならぬ。五条まで歩き、今回の旅行の目的のひとつ河井寛次郎記念館を訪うも開館は10時でいまは8時半。さてどうしようかと思いながらふらふらと北上し、六波羅蜜寺安井金比羅宮を経由して一澤信三郎帆布にたどり着く。

 開店したばかりというのになかなかの賑わい。小一時間物色し、迷いに迷い、欲しかった商品を購入する。といっても、欲しかった色のものが無かったので注文をする。できあがるのは2〜3ヶ月後とのこと。楽しみに待っております。ついでにと、本麻帆布のポシェット(?)を購入する。薄手のものなら四六からA5のハードカバーまでと財布がちょうど入る大きさで、休日用に欲しかったサイズ。手触りもよく、肩にかけたときのふわりとした重みが心地よい。良いものを買いました。なむなむ。

 その足で携帯ショップに行き、料金を払うと、予想外の金額で、受け付けのお姉さんに料金プランの変更を勧められる。むーん、何故に京都でと思いながらも、確かに聞くだに変更したほうが良さそうだったので、変更をお願いする。

 そういえばここまでの間、一食もしていないのだけど、旅行中は何故かあまり食べないでも平気なのでがんがん歩く。河井寛次郎記念館を再訪。さすがに開いていた。中庭にでると、講談社文芸文庫の『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』のp205で河井寛次郎が腕をついている、大きな丸い石があり感動する。しゃがみこみ、こっそり河井のポーズを真似するが、なにぶん一人ゆえ誰も写真に取ってくれず、ただ肘が濡れただけだった。 
 あー、ぶらぶらと見ていてちょっと驚いたのだけど、ここって空気が張り詰めていない。日本民藝館は張り詰めた緊張感がある。以前にいった松本の民芸館も同じ張り詰めた感じをうけた。それが良いとか悪いとかではなく、なにかと対峙しているという感じを消すことができなかったのだけど、ここではゆっくりとできた。前者二館が隙がなさすぎて気づかれする感じがあるのに対し、後者は、(趣味の良い)友人の家に遊びにきている、というゆるーい感じをうける。登り窯そばには、どっしりとした木の椅子があった。小糠雨の中、その椅子にからだをあずけぼんやりしていると、睡魔が襲ってきた。気づくと30分くらい寝ていた。よだれをぬぐい隣の部屋にいくと、若い女性が椅子に座り、外をながめていた。人の気配がなかったのでとてもおどろいた。あちらも隣に人がいると思っていなかったようで、ぎょっとしていた。なんとなく気まずい。
 受け付けのそばに河井寛次郎関係の本がたくさん置いてあり、ぱらぱらめくっていると、寿岳文章が書いている。友人とは知らなんだ。

 記念館を辞し、ひたすら北上し(しかし歩いてばかりいるな。帰宅後体重をはかったら、1kg減っていたのもむべなるかな)、「遊形 サロン・ド・テ」というカフェにいく。ここはあの俵屋がやっているカフェで、普段ならちょいと三舎を避けるところだけど、最近読んだ三谷龍二『遠くの町と手としごと 工芸三都物語』(アノニマスタジオ)で言及されており(しかし、この三谷龍二という人は木工デザイナーが本職なのだけど、恐ろしく文章がうまい。ことばの筋目がぴんと立っている)、気になったのでいってみる。店内はこぢんまりとしているけれど、吹き抜けと、大きな窓越しに見える坪庭のおかげか狭苦しさが微塵もない。坪庭の苔が雨をうけてしっとりと色味を増している。なにを食べるかしばし逡巡するも、「俵屋のわらび餅と抹茶」を注文する。しばらくしてでてきたわらび餅は竹筒に鎮座ましまし二切れ入り。箸でつまむと、じんわりと切れる。口に運ぶと、口中の粘膜をやさしく愛撫し、って、いやこれは確かに美味しいです。お抹茶も香り高く、苦味が口の中に残る甘さを取り去ってくれます。最後に、口直しの白湯と、ぶぶあられ。口福。お会計して、待ち合わせしている友人の下に。

 途中、鴨川を渡ると、雨上がりの河川敷に、カップルの姿がぽつぽつと。最近読んだばかりの永田和宏『もうすぐ夏至だ』のこんな文章を思いだす。

 ともあれ鴨川の夕暮れは若いカップルのデート場所として、私の学生時代は一種の風物詩になっていた。(中略)
 このアベックたちが実に整然と見事に等間隔にならんでいるのは、対岸から見ると壮観である。どうして見ず知らずのアベック同士が、あんなにメジャーで測ったように整然と並ぶのか。
 誰もが気づいていたことだが、私の学生時代、研究室の先輩たちがあるときその謎を解くべく、教室総出で観察をしたのだそうだ。伝聞だが、たぶん本当だろう。教授まで動員して(率先して?)、対岸から観察。まだ陽の高いうちから陣取り三々五々集まってくるアベックたちの〈座標〉を経時的に(!)記録していったという。たいそうなことだ。
 ちなみに私がいたのは理学部物理学科。教授は流体熱力学、助教授は素粒子物理学が専門の理論物理学者であった。落ちこぼれていてほとんどわからなかったが、微分方程式が日常的に出てくるような部屋である。
 その野外実験でなされた〈大発見〉は、「中点選択原理」あるいは「相互斥力原理」というもの。
 まずどこかにアベックが席を取る。次にきたカップルは、できるだけそこから遠ざかろうとして、離れたところに座る。次のカップルは、そのまた真ん中に、という具合に座っていった結果が、あの見事な等間隔なアベックの花ということになるのである。
 なんだかしきりにアホらしいという気がするが、そして見なくとも想像がつきそうなものだが、何にしても実地の検証をしないではいられない科学者の面目躍如、私の好きなエピソードである。まことにつまらない、あるいは意味のないことにみんなで興味をもってしまうところが、とてもよいのである。


永田和宏「アベックたちの座標」(『もうすぐ夏至だ』白水社 p92〜93)

 良い話だ。
 友人と合流し、コーヒーを喫しながら近況報告。就職し、正社員になったという。めでたい。仕事は大変らしいけど、真面目で頑張りやな人なので、無理をせず自分のペースで進めていって欲しいと思います。もう一人と合流し、飲み屋に。こちらもなかなかに大変みたいだけど、元気そうで安心しました。みな大人になってゆく。