部屋に見知らぬキノコが生えそうな湿り気。

 過日、図書館で「SFマガジン」のバックナンバーをひっくりかえし、あっちゃこっちゃとコピーをとっている最中、意識の端になにか気になる文字列がひっかかったように思いページをめくる手をとめ紙面を見ると、第17回ハヤカワ・SFコンテストの最終選考発表だった。選考委員は眉村卓柴野拓美川又千秋今岡清の四人。なんでこんなところにひっかかったのだろうと思い見ると、入選作は、第一席がなく、第二席が森岡浩之「夢の樹が接げたなら」、第三席が松尾由美「バルーン・タウンの犯罪」。この二人、同時に受賞していたのかと驚く。なんて豪華な同時受賞。これに目がとまったのかでもなんだか違うような気もと思いながら、ぱらぱら選評を見ていると、最後にあった採集選考候補作のあらすじに手がとまる。そこで目にしたものに驚愕し、思わず声をあげてしまう。そこには森岡と松尾の他に、最終選考まで残った三人の名前と作品のあらすじがあった。その中の一つにこうあった。
 古川日出男「アンダー・ウォーター」。
 どうやら私の意識にひっかかったのはこれだったらしい。仰天する。この古川日出男って、あの古川日出男だよね。まさか同姓同名の別人、と思うもいやまさか。ちょうど前日に中村明日美子ウツボラ』を読んだばかりだったので不穏な妄想が一瞬浮かぶもいやいや、これはあの古川日出男だろう。発行年を見ると1991年の11月号。古川の事実上のデビュー作『ウィザードリィ外伝2 砂の王1』が1994年。と、そういえば何かでこの辺の事情を読んだことがあったような気がするなと思い、いま部屋を漁ると、「ユリイカ」の2006年8月号「特集*古川日出男 雑種の文学」が見つかる。ビンゴ。インタビューで古川はこんなことを語っている。

― その仕事(ウィザードリィのノベライズ、『ウィザードリィ外伝2 砂の王1』の執筆―引用者註)を始めた契機は?
古川 俺演劇やってたんだけど、プロとして初めてやったのがこの『ウィザードリィ』っていうゲームのイベントだったの。そこで『ウィザードリィ』のノベライズをしていたベニー松山さんと知り合った。そのイベントが一月五日だったんだけど、それが終わったあと、俺は初めてシナリオじゃなくて小説を書き始めた。三ヶ月かからずに一○○枚のものを書いて、それを早川書房のSFコンテストに応募したら最終選考に残ったんだけど、見事に、SFとは認められないって否定された。なるほどって思ったよ。俺はそういうジャンルとか新人賞とかじゃないんだなと。
青土社ユリイカ」2006年8月号 p156)

なるほど。ちなみに、選評は以下の通り。

選評
眉村卓
◎アンダーウォーター==「これは長編の構想だ」「出だしは一応配慮を感じる。前フリはうまい」「『音素』が他の人に受け入れられるならば、だが」「『音素』以外にいい方はなかったか」「説明がかえって欠陥になっている」「勢いあり。勢いが辛うじて支えている」→設定と説明に無理がある。やや残念。
早川書房SFマガジン」1991年11月号 p94)


柴野拓美
「アンダーウォーター」
 はっきり言って、これはSFの世界とは思えない。文章はかなり粗いが読ませかたは心得ている作者のようで、冒頭のアクションなどまことに快調だったが、読み進むにつれて収集がつかなくなった。機械の自意識に新元素に亡霊という奇怪なとり合わせ、特殊な人間の声帯だけが操作できるという設定とはおよそかけ離れたガジェットのかずかずなど、いたずらに道具立てがふえるばかりで、有機的なつながりがどこにも見られない。また、都市の情景とその住人の不在や、地球的な視点の欠落も気になった。機械と人間の自我の相克による幻覚世界というせっかくの好発想も、これではぶちこわしである。(ところで、もし鯨を魚と誤認したのなら、変身した人間になぜ鱗が生えるのだろう?)
(同上 p95)


川又千秋
(…)入選には洩れたが、「アンダー・ウォーター」は、非常にアクティブなビジョンが魅力で、五編中もっとも勢いを感じさせる作品だった。ただ、基本設定が余りにも乱暴(“音素”云々は無理で、しかも不用)でネーミングにも粗雑さが感じられ、評価を落とした。
(同上 p96)


今岡清
「アンダー・ウォーター」はSF的な設定がとても気になってしまい、どうも作品の中に入って行きづらいものを感じてしまいました、べつに科学的に厳密でなければいけないなどというつもりはありませんが、音素というどう考えても元素として存在し得ないものを設定したり、電子麻薬によって機械の無意識野が引き出されるというアイディアなど、どうも首をひねってしまいます。言葉の意味や内容と無関係に単純に連想だけでアイディアが作られているようなのですが、それでは読者を限定してしまうのではないでしょうか。
(同上 p98)

(どうでもよいが、なぜ眉村と柴野は「アンダーウォーター」として、中黒(「・」を入れていないのだろうか?)

 なかなか厳しい評価をされているこの作品。ではどんな内容だったかというと、あらすじによればこの通り。

●最終先行候補作のあらすじ
「アンダー・ウォーター」
                古川日出男

 コンピュータに電子麻薬を投入することによって機械の無意識野を得るという操作の行なわれていた未来。ひとりの音楽家が、その機械の無意識野を全世界を覆うコンピュータ・ネットワークにリンクして、人間の現実と機械の現実の混在する多重現実世界を現出させてしまった。その世界では音素と呼ばれる新種の元素が満ちている。それを特殊な声で操ることによって現実をひとつに束ねることが発見され、その能力を持つものはRA、その能力は「操夢」と呼ばれる。人間達は「操夢」を使い拠点となる都市を作り始める。ある時、都市〈ドッグ〉に機械部分を組み合わせた魚の形の物体が落下する。機械魚は操夢能力を使って現実を作り変え、大地を水に兵士を鱗の生えた肉塊に変えてしまう。機械魚は主人公の陶との激戦の後、〈ドッグ〉の本拠地のある元水族館の建物に向かう。操夢下の現実に出現する亡霊の排除を生業とする映像屋と呼ばれる男は、陶の依頼を受けて真相の究明に乗りだし、やがて操夢のために鼻腔発声をする生物であることを突き止める。機械魚は水族館を襲撃し、それと戦う陶はついに魚の攻撃で死を迎える。破壊しつくされた水族館にやってきた映像屋は機械魚を操夢によって操り時を逆行させ、ついにそれが衛星軌道で誕生したシロナガスクジラであることを知る。映像屋はそのクジラを幻想の大海の中に解き放ってやり、また音素に刻まれた陶の亡霊に安らぎを与えてやるのだった。
(同上p100)

 読んだ瞬間、津原泰水の『バレエ・メカニック』を連想してしまう。散りばめられた「音楽家」「多重現実世界」「音素」「声」「操夢」「〈ドッグ〉」……というキーワードを見るだけで、なるほど古川日出男はこの頃から古川日出男だったのだなと思ってしまう。どっかの版元、『ウィザードリィ外伝2 砂の王1』』とこの「アンダー・ウォーター」を合わせて「古川日出男ver0.0」みたいな形でだしてくれないものかしら。無理か。

 ところで、このコンテストで最終選考まで残った作品に、古川の他にも気になる作品があった。香野雅紀「夢見る瞳」という作品。

 川又千秋の選評の言葉によれば以下の通り。

二、三席に選ばれた作品に、それぞれA、Aマイナスをつけて選考会に臨んだ評者であるが、実を言うと、残る一篇「夢みる瞳」には満点のAプラスをつけていた。これはJ・G・バラードの風景にボリス・ヴィアンの人物を配し、レイモンド・チャンドラーばりのホテル探偵が舞台回しを務めるという、極めて……評者の趣味主張に合致する……きらびやかな作品であった。この一○四枚を、私は、ほとんど陶酔して読み終えた。残念ながら、他の選考委員の評価を得るに至らなかったが、私個人の満点の評価は今も些かも褪せていない。このコンテストの選考を三年担当したが、最大の収穫だと感じている。
(同上p97)

「J・G・バラードの風景にボリス・ヴィアンの人物を配し、レイモンド・チャンドラーばりのホテル探偵が舞台回しを務める」作品! 他の審査員の選評をみると、中々に評価のわかれるようだけど、これは読んでみたくなるでしょう。気になる。