中国行きのプレイボーイ

 東京に山はない、なんてことは勿論なく立派にあるわけだけど、でもやっぱりどうもしっくりこないよな東京の山は、などと思ったのは帰省途中の車内で那須塩原に入った途端にあらわれた雪をかぶる無骨な山を間近に見たからだったりするのかもしれない。あー、やっぱ山っていったらこーゆーのだよなー。

 実家に用ができたので、正月に帰省したばかりだというのに、またゆくはめになる。使い残した18切符がちょうど往復分あったのでそれを使おうと、一番楽な経路を調べるためネットをみる。同時に別な調べものをしていると、たまたま佐藤史生展が開かれているという情報がひっかかる。マジで!? 帰省諸々のことなど忘れ、検索をすると、どうやら石ノ森章太郎ふるさと記念館というところでやっているらしい。石ノ森章太郎ふるさと記念館? 石巻にあるやつだっけ? と思いながら、そこのサイトを見ると、石巻のものとは別に、石ノ森の出身地にあるものらしい。そういえば佐藤史生は石ノ森の高校の後輩でその辺りの出身。何か関係あるのかとサイトを見れば、郷土出身のマンガ家展だという。よくよく見ると、実家から電車ですぐの場所だった。知らなんだ。気鬱だった帰省に一条の光。

 金曜の昼過ぎに発ち、夜に実家到着。車内では小川洋子『博士の本棚』(新潮文庫)と、駅にゆく途中の古本屋で買った松村栄子『至高聖所』(福武書店)を読む。松村栄子といえば『雨にもまけず粗茶一服』(ピュアフル文庫)を以前読んだとき気になってたことが一つあり。それがなにかと問われれば、あれは実は「ライ麦畑」へのオマージュだったりはしないだろうかということ。この物語は最後に主人公の友衛遊馬が比叡山天鏡院というお寺に入るところで終わる。当然この物語にはその語り手がいるわけだけど、それは実は友衛遊馬本人ではないかと。この寺に入った後、そこで語りなおしたものがこの物語なのではないかと。で、「天経院」を「癲狂院(=精神病院)」と解せば、「ライ麦畑」のホールデン・コールフィールドが物語でたどる道筋と似たものを感じるのだけど(ただ、ホールデンがいる場所(=物語を語る場所)は、野崎訳では「この病院」、春樹訳では「ここ」とだけなっていて、明確に精神病院としているわけではない。そういえば『翻訳夜話2』で村上春樹ホールデンは精神を病み、そのためにおそらくはそういった病院に入っているのではないか、と読み解いていた用に記憶しているのだけど、部屋から本が見つけだせない…)。
 もっとも「ライ麦畑」は「わたし」が「あなた」に語りかける形式であるのに対し、『雨にもまけず粗茶一服』は明確に三人称だという違いがあるけど、ってそれが違うとぜんぜん違うか。妄想か。私が癲狂院に行かされる。

 翌日の午前に用事をすませ一路、石ノ森章太郎ふるさと記念館へ。実家のある駅から数十分、石越という駅で降りる。駅前にはタクシーが二台止まり中で運転手が退屈そうに携帯をいじっている。サイトで見た情報によると、バスかタクシーで行くしかないようだけど、タクシーだと2000円以上かかるらしい。ちょっとなーと、バス乗り場をさがすもよくわからない。いや、乗り場はすぐに見つけたのだけどどうやら土日は1日2本しか走っていないらしい。次のバスまで約四時間。これでどうやってバスでゆけと。諦めてタクシーに乗る。だだっ広い田圃に沿って15分ほど走る。メーターが回る。2500円。この時点で帰りにタクシーを使うのは止めようと決心する。


  

 



 受付のすぐ横が企画展示室。入ってまず右手側には佐藤史生のプロフィールとあいさつの辞。左手側には奥友志津子、竹宮惠子、武田京子、たらさわみち、坂田靖子といったマンガ家からの絵とメッセージ付き色紙が。なんと豪華な。坂田靖子のは佐藤史生の周りをぶよぶよとしたエイリアン(?)らしきものが取り囲み、「やっぱりこんな仕事部屋なんですね」というようなコメントついていた。そのまま進むと、右手側の壁に沿って原稿が展示されている。はじめは「初期作品」として、「恋は味なもの」、「スフィンクス」「花咲く星ぼしの流れ」が一枚の額の中にある。続いて「美女と野獣」が8p、「星の丘より」5p。その隣には青いジャケットに青い帽子をかぶった少年のカラーの絵が額に入り飾ってある。題がついていなかったけど、おそらく「まさかのときのハーレクイン・ロマンス」の主人公。『やどり木』のカバーの内側のやつ。そういえばあとり硅子の「これらすべて不確かなもの」を読んだとき、この作品を思いだしたなぁ……。話がそれた。続いて「青い犬」5p、「金星樹」6p、「一角獣の森で」6p、「レギオン」5p。

 そしてそしてマイフェイバリットの『死せる王女のための孔雀舞』から表題作の「死せる王女のための孔雀舞」が4p。展示されている原稿は、表題作の最後のあたりの場面。これは七生子という少女を主人公にした連作短編で、理念としてだけ存在する少女を具体として描きだした傑作。いや、佐藤史生の描く「少女」はみな素晴らしいのだが。『夢みる惑星』のシリンしかり、『ワン・ゼロ』『打楽天』のエミー、しかり、「楕円軌道ラプソディ」の(なんだっけ、あの女優の娘。名前が思いだせないし、本も見つからない……)等々。
 この短篇集は名台詞が多いのだけど、七生子の同級生で、学内でマドンナと呼ばれる楯縫まどかがつぶやく「私、十七年間ひとりも本当の友達をつくらなかったわ。十四歳までは高慢のために。そのあとは絶望のために」(「さらばマドンナの微笑」『死せる王女のための孔雀舞』(新書館)p114※句読点は引用者による)という台詞が一番良いなー。あとは「我はその名も知らざりき」の会話。

「なぜ……自分を愛してくれる人を軽蔑するんです?」
「あまりに深く自分自身を憎んでいたからね。でもきみは…七生子。彼と同じ魂に…正反対の精神(ルビ:こころ)だ。あったかい血が流れるピカピカのハートだ」


「我はその名も知らざりき」『死せる王女のための孔雀舞』(新書館)p153※句読点は引用者による

 良いなー。

 その隣には『夢みる惑星』から「午睡」と題されたモデスコ王のカラー絵が一枚。で、『夢みる惑星』が24pに、イリスと龍の絵が一枚あり、ここで折り返し。突き当たりの壁には先のイリスと龍の絵が引き延ばされ、その両脇にとイリスが発砲スチロール(?)に印刷され、立っていた。『夢みる惑星』がまだ続き6p、外伝の「雨の音」が4pでこれはカラー。ここまでが初期作品で、次からが中期作品とある。

 まずは『ワンゼロ』(「・」なしママ)が36p、と、あれこれなんだっけ、「精霊王」(?)(「タオピ」かも違うかも……)を拡大したものが一枚。「夢喰い」5p。『ワン・ゼロ』の原型の「夢喰い」が、『ワン・ゼロ』の後にあるのが不思議だったけど、スペースの都合だろうか。で、ここまでが中期作品。続いて後期作品。『打天楽』5p、『羅綾王』5p、『やどり木』6p、「緑柱庭園」2p。で、会場の中央部のボードには『夢みる惑星』―これなんだっけ…表紙に使われた絵と、口絵に使われたやつかな…、―のカラーの絵が3点。その下にはガラスケースがあり佐藤史生の単行本や雑誌(メモし忘れたのだけど「グレープフルーツ」だったかな…)が陳列されてある。裏側にはやはり『夢みる惑星』が3点。『精霊王』1p、『神つかい』1p、『鬼追うもの』1p。
 壁際に戻ると、『ワン・ゼロ』のマユリの絵が一枚額にあり、『タオピ』5p、「まるたの女」4p、『鬼追うもの』5pと、これだけ何故かプチフラワー編集部用(写植の大きさの指定と270×180とサイズが書いてある) の用紙に書かれた『心臓のない巨人』6p、最後に「青猿記」が1pあって原稿はおしまい(あれ、記憶違いかも。流れ的にここに「青猿記」あるの変か?)。
 
 後は、佐藤史生の仕事部屋が再現されており、畳敷きに机の上のスケッチブックには、登場人物のラフ(? たぶん一人は「楕円軌道ラプソディ」の女優の娘だと思う)と、創作メモ(「ダイラタンシー現象 歩ける気体?」とか、「パレイドリア」「ダツラは逆にアセチコリンを抑制する→瞳孔が開く=サリン ベラドンナ」などなど。そういえば「ベラドンナ、瞳孔」というと『黄金拍車』思いだすなぁ)が書かれていて非常に興味深かった。その後ろに、本人の旅行写真(?)や『精霊王』と『夢みる惑星』の絵があった気がするのだけど、メモが汚くてよくわからない。
 それにしても佐藤史生は本当に物語に対して贅沢な作家だ。あの傑作『夢みる惑星』がたった4巻(文庫は3巻)で終わっているなんて信じられるだろうか。あの傑作『死せる王女のための孔雀舞』がたった4話しかないなんて信じられない。いくらでも、物語を続けられそうなのに、この短さにまとめられる、まとめてしまう技量というか思い切りというか、贅沢だよなぁ…。見終わって、受付にいたスタッフの方と少し話す。きびきびとした非常に感じの良い方だった。

 せっかく来たしと常設展も見る。トキワ荘時代の部屋を再現したもの(ポケミスがやたらあった)や、多くのマンガ家が、石ノ森章太郎に寄せたコメントと絵があったりしたのだけど、中でも原哲夫の描いた009と、高口里純の描いたあすかと009の絵に爆笑する。後はビデオライブラリーで、仮面ライダーシリーズを見たりとか。一通り見て回り14時ちょうど。記念館を後にする。さて、どうしたものか。念のためバス亭を見に行くと、もう今日はバスがこないらしい。来たときに乗ったタクシーで見ていたら、時速40kmで15分くらいだったので、駅までは10kmくらいだろう。すると私の足だと2時間弱。ほぼ一本道のようだったし、天気も良いし、歩くかと歩き始める。

 
 *1

 
 風がとてもつよい。山に囲まれた盆地でなにも遮るものがないせいだろうか。何度か体ごと持っていかれそうになる。一番怖かったのは、狭い橋を歩いていたとき。車が脇ぎりぎりを走り抜けていったので、驚いて反射的に手すり側に動いた瞬間、突風が吹き、勢いついたからだがそのまま手すりを越えそうになった。危なかった。
 止まない風に体感温度がぐんぐん下がるのがわかる。これはいけないと、意識的に足を早め体を温めようとする。見渡す限り人のいない田舎道を早足で歩いているうちにテンションが妙なことになりさっき常設展でみた仮面ライダーが頭に浮かび、すると何故か同時に、藤子Fの描いた、大人になった正太のもとにオバQが来る「劇画オバQ」が割り込んで来て仮面ライダーと混じる。

 ショッカー壊滅から15年。仮面ライダーとともに闘った少年達も大人になり、日常の中でその記憶も次第に風化しかかっていた。そんなある日、元少年のもとを仮面ライダー1号が訪ねてくる。今も悪の集団と闘っている、という1号ライダー。夕飯の用意をしながら、元少年の妻が旦那にたずねる。あなた、あの人いったいなんなの? いや、子供の頃お世話になった人で……。仮面ライダーとかいってるけど大丈夫? 特撮ファン? でもいい歳してあのコスプレはないんじゃない?というか何しに来たの?いつまでいるの?云々。
 夕飯後、酒を飲みながら、ショッカーの秘密基地に潜入したときの思い出を語り合う二人。だんだん興奮してきてライダーパンチ、ライダーキックと、身振りつきで話す1号ライダー。ほろ酔いで楽しそうに相づちを打つ元少年。お酒を持ってきて、無表情に私明日早いからもう寝ますねと言う奥さん。
 翌日、元少年は昔の仲間を集め飲み会をひらく。久しぶりに集まった少年たち。一人がライダー誓いの旗とかなんかそういうのを持ってくる。彼は大人なってからも、またいつの日かライダーとともに闘うのだと、今でも厳しい訓練を己にかしていた。懐かしさに浸る元少年たちの前で、彼は言う。僕らはライダーとともに世界平和のために闘うという崇高な目的をもっていたじゃないか!そして僕らはそれを果たしたじゃないか!あの時の気持ちをみんな忘れたのか!と。感動し盛り上がる元少年たちと1号ライダー。そうだ僕たちだってまだまだやれるさ! よし仕事なんかやめて、今も悪の組織と闘い続ける1号ライダーと一緒に闘おう! 云々。
 さらに翌日。早く奥さんに昨日の話をしろという1号ライダー。いや、あれは酒の勢いで、ともごもごつぶやく元少年。そこに奥さんが嬉しそうな顔で言う。「子供ができたみたいと」と。「聞きましたか1号ライダー! 僕、パパになるんだ!」と喜びに気も狂いそうな勢いで職場へ向かう元少年。その姿を見て1号ライダーは呟く。「そうかもうみんな子供じゃないんだな……」バイクにまたがりマフラーをたなびかせ爆音とともに夕日の向こうへ去ってゆく一号ライダー…って、うわ、駄目だ、景色と相俟ってものすごく悲しくなってきた。妄想止め止め。

 結局駅に着いたのは15時50分だった。1時間50分。まあそんなものか。電車に乗り実家のある駅に戻る。駅前をふらふらしていたら、古本屋を見つける。火の気のない店の中を物色することしばし。かじかんだ手で以下のものを購入。安かった。


谷崎潤一郎他『あまから随筆』(河出新書
丸谷才一『日本語のために』(新潮社)
カミュ『反抗の論理 カミュの手帳―2』(新潮文庫
村上春樹『中国行きのスロウボート』(中公文庫)


 『中国行きのスロウボート』は、小川洋子が『博士の本棚』で絶賛していてなんだか読み返したくなっていたのだけど、ちょうどあったので購入。再読するのは10年降りくらいかも。意外に細部は覚えていたけど、驚くほどに内容を忘れていて驚く。その細部の記憶も偏っていて、例えば表題作の「中国行きのスロウボート」で、主人公がバイト先で知り合った中国人の女の子を山手線の逆側に乗せてしまうという場面。女の子を山手線の逆側に乗せてしまう、というところは覚えていたものの、何故かそれを主人公の従姉妹で、しかも13歳位だと記憶していた。あと、登場人物の誰かがバルザック全集を持っていた、という記憶があり、何故か山手線に逆に乗せられる(私の記憶の中では)少女の兄が持っていたような気がしていたら、持っているのは作品自体違う「ニューヨーク炭坑の悲劇」の、主人公の友人だったり。あとは読み直していて、この山手線に逆に乗せてしまうエピソード、終わり方も含め、携帯電話があったらなりたたないのかと思い、不思議な感じがしたりしたり。

*1:1/23追記 何気なくこの「瀧神社」というのを検索したら、こんなサイトがひっかかった。お約束の黄金伝説に……やっぱり慈覚大師か! 円仁……恐ろしい子!!