時折自分の記憶力が悪かったということを忘れてしまうくらいに記憶力が悪い。

 朝起きると妙に気だるく寒気がし、風呂からあがる頃には節々が痛み鼻水がでるわ咳が止まらぬわ眩暈がするわでまるで風邪のようだと思ったら本当に風邪だった。久しぶりに病院にいったら安静をもうしわたされる。一人暮らしの悲しさで上げ膳据え膳なんてのは夢のまた夢、なんかもう呼吸するのもきつくなりながらスーパーに買いだしにゆき、食料品と水を買い込む。咳き込みながらもここまで来たついでと本屋によると、よしながふみきのう何食べた?日本橋ヨヲコ少女ファイト田丸浩史ラブやん中村光聖おにいさん』の最新刊がでていたので長の闘病に備え買い込む。荷物が重くなる。ようやく家に帰りつき、もらった薬を飲んだら眠くなり、食料品もそのままに布団にもぐりこみ、気づいたら三時間たっていた。普段、薬を飲まないと効きが強いと聞いたことがあったけど本当のようだ。恐いくらいに効く。

 なにか温かいものでも食べようと、酸辣湯をつくる。鳥肉の胸肉を細切りにし塩、酒、醤油であえ、片栗粉をまぶしておく。中華鍋を熱し胡麻油で豆板醤と粒胡椒を軽く炒める。適当に水をそそぎ沸騰したら鶏がらスープの基を加え、そこに下ごしらえした鳥肉を入れる。鳥肉の色が変わったら水洗いしたもやしを加え、適当に切った豆腐を加えくつくつ煮る。火が通ったら水溶き片栗粉をくわえとろみをつけ、沸騰したら溶き卵を回し入れる。卵に火が通ったら、最後にお酢胡麻油を回し入れてできあがり。買ってきたマンガを読みながら食べようと、『きのう何食べた?』を読み始めたら、一話目に、まさに今食べている酸辣湯がでてきてびっくりする。シンクロニシティや。『ラブやん』を読んでいたら「ロッロリキャラの股間に邪悪なのが生えてて それがロリキャラの俺の中へ入ってしまう可能性があるとゆうのか…ッ!?」というセリフがあって笑い死にしそうになる。それはもう喘息の発作がでたかと思う勢いで咳き込む。田丸浩史は本当に凄いと思った。

 マンガといえば勝田文が『ちくたくぼんぼん1』と『ウランバナ』の二冊同時刊行で嬉しいことこの上なく。『ウランバナ』は読み終わると『ローマの休日』の逆バージョンだと気づくのだけど、9ページの段階でそれをさりげない短いセリフで表しているところが上手いなぁ。作者のあとがきに岩本ナオの名前がでていてちょっと驚く。知り合いなのか? 『ちくたくぼんぼん1』は都一と三五の絵の感じと関係が小林秀雄中原中也みたいだなと思ったり。
 白泉社から新創刊されたコミック雑誌「楽園」を読む。つくり方がエンターブレインの「Fellows!」に似ている様な気がする。新人の起用の仕方とか。描いている人の中ではやはり中村明日美子が図抜けて上手かった。二人の出会いの場面の地面に対する視線の垂直な移動と、最後の場面の地面に対する視線の平行移動。つまりところは視線の誘導が上手いなぁ。「海に出ますよ」というセリフとそこまでのコマの運び方がそれだけで心地良い。この人は本当にマンガ力が高いなぁ。「立体交差の駅」という題名も、それぞれの交差する人間関係にかけてあるし(でてくる女性が大きいのと小さいので分けられているのもそうなのかな。立体交差していたらそれぞれの線は決して平面上では交わらないというところがまた切ない)上手いなぁ。あとは売野機子という人が良かった。この人の作品、はじめて読むのだけど、大島弓子の匂いを感じる。二作品載っていたのだけど最初の「薔薇だって書けるよ」は、「ちょっと変わった」女の子と、その娘に惚れた男の話で、その「ちょっと変わった」部分に惚れた筈が、生活をともにするうちに重荷になってきて一度は別れを考えるも、でもやっぱり自分にとって大切な人だったと気づくというような話なのだけど(って要約すると身も蓋もないな)、その世界との関係のバランスを崩しているような、女の子の「変わり方」が、大島弓子の作品に散見される、なんというのだろう、世界に対して赤剥けの肌を晒しているような感じというかひどい危うさというか恐ろしさというか、境界上にいるような人物を描いているような気がする。二作目の方は自殺した売れないバンドのボーカルが、「あちら側」に行く前に、自分のファンだった女の子に彼女の夢の中で会うという話で、短いけど綺麗にまとめているなぁとか、女の子のアップの絵が高橋葉介っぽいなぁとか思ったり。今後も期待。