真っ直ぐな道すぎて寂しい午前11時。


 目覚めてしばしぼうっとする。窓の外の陽気に誘われ外出し、あまりにも暇なのでそのまま歩きだす。黙々と歩き続けること6時間。一応の目的地を定め歩いていたのだけど、小休止ついでに何気なく路面の市街図を見ると思っていた方向と90°ずれて歩いていた事に気がつく。東に向かって歩いていたつもりが、何時の間にか北に向かって歩いていたようだ。どこで道を間違えたのだろう。「なんだか道を間違えたようだ」と友人にメールしたところ「人生の話ですか?」との返信がくる。違うよ。

 いい加減疲れたので、どこかで電車に乗ろうと駅を探して歩いていると、道路をはさんだ向こう側に「古本」という字が見えた。おや、こんなところに古本屋が、とよくよく見ると「閉店」「全品半額」という文字がガラス窓に貼られている。なにかへんなものがざわざわと頭の中を流れるのを感じながら、ダッシュで道路を渡り、店に入る。横長の店。ところどころ棚がかたむき、床には整理されていない本が乱雑に置かれており、いかにも閉店直前という感じだけど、それでもまだまだ棚によってはぎっしりと詰っている。もう一度、「全品半額」という文字を確認し、隅から隅まで見てまわる。約一時間かけて選んだのがこれ。

 これで夏目さん4枚でお釣りがくる。狂喜したのが『世界幻想作家事典』。棚に見つけ値段を確認した瞬間、鼻血が吹きでそうになる。たぶん変な声でてた。初版からは30年、今回手に入れた改訂版の2刷からも20年近くたつ本だけど、載っている作家の豊富さもさりながら読み物としても抜群に面白い。本当に欲しかったので嬉しい。そういえばでるでるといわれている『増補・日本幻想作家名鑑』はどうなっているのだろうか。とても楽しみにしているのだけど。
 お会計をしているあいだ、ご主人と話す。「この辺にお住まいなんですか?」との問いに「いや、ちょっと離れたところなんですけど、たまたま歩いてまして」と答える。我ながらよくわからない答えだ。「たまたま歩いてまして」ってなんだろう。閉店されるとのことだけど、なんでも近くに場所を移して店を続けるとか。非常に好みの品揃えだったのでぜひまた来たいと思ったことであるよ。ちょっとアクセス面倒くさいけど。

 電車でサリー・シェイウィッツ『読み書き障害(ディスレクシア)のすべて』をぱらぱらと読んでいたらちょっと気になるところがあった。
 この本は「読み書き障害(ディスレクシア)」が何故起こるのか、また「読み書き障害(ディスレクシア)」を持った人間が社会で(ある一定の水準を保って)暮らすためにどのような訓練法があるのか、という事が書かれているのだけど、どうもその中に、たとえ「読み書き障害(ディスレクシア)」を持っていても、社会的に「成功できる」というところが繰り返し繰り返し強調されているようにみえて、なんというか、そんな「成功」という事を強調しなくともよいだろうに、と思ってしまう。読んでいると、「一般的に『読み書き障害(ディスレクシア)』があることで『成功』が妨げられると考えられていますが、そんな事はありませんよ。たとえ『障害』があっても、それは克服できるし、社会的に『成功』する事はできるのです!」という強いというか無邪気なメッセージ性?を感じてしまい。いや、「障害」を「克服」できるならそれにこしたことはないだろうし、別に社会的に「成功」することもそれ自体としては別に良いことでも悪いことでもないと思うのだけど、「障害の克服」と「成功への道」とが並べられ無造作につながれているのを見ると、違和感を禁じ得ない。それはそれぞれ別の問題だと思うのだけど、どうも、「成功」=良いこと、というのが前提になっているような感じをうけてしまい、この本がアメリカの「読み書き障害(ディスレクシア)」に関わる人に向けて書かれている事を思い合わせると、アメリカでの社会的な「成功」に対する信念というか信仰の強さというか、その強調の度合いがややもすると強迫的に感じられ、アメリカという国の何がしかの側面を見た思いがして、なるほどなぁと思ったことであるよ。
 あと副題の「頭はいいのに、本が読めない」というのもどうなんだろう。この場合の「頭がいい」という言葉の意味もよくわからないのだけど(内容を見るからには論理的な思考能力などが優れている、というくらいの意味だとは思うのだけど)、「頭のよさ」と「本が読める」ことを無造作につなぐ手つきがどうにも気になる。原題は『Overcoming Dyslexia』というようなので、直訳すれば『読み書き障害(ディスレクシア)を克服する』くらいの感じかと思うのだけど、別に「頭のよさ」ということばが入る余地はないだろうに(内容では触れているが)。見たところこの副題は元の英語版には無いようなので、そうするとこれを訳した日本の出版社がつけたものかと思われるのだけど、「頭のよさ」ということばをわざわざ副題に持ってくる感覚に、なるほど「頭のよさ」という言葉は訴求力がある(と考えている人たちがいる)のかと思うと同時に、このことばを副題に選んだ人達と、そこで購入層と想定されたであろう人達の事を思うと、日本という国の何がしかの側面を見た思いがして、なるほどなぁと思ったことであるよと思いっぱなし。というかそもそもここでしつこく「頭のよさ」ということばに拘る私が一番「日本人」ぽいな。

 電車に乗り街にでる。探していた本があったのでそのまま書店へ。ふらふらと文庫を見ていたら河出文庫の新刊に杉山二郎『遊民の系譜』を見つけ、驚嘆する。凄い!凄いよ!河出!この名作をよくぞ文庫にしてくれた。これは巫女、遊女、仙人、傀儡子 ジプシー、勧進聖といった「遊行」する人々の足跡をユーラシア大陸から中国、朝鮮、日本にわたって辿るもので、その博覧強記というか博引旁証というか膨大な資料の中に分け入る姿も凄いのだけど(私は南方熊楠とか幸田露伴を連想した)、資料を探し古本屋街を歩き、そこで探していたもの以上の本と出合ってしまうその偶然を描く姿が読んでいてとても楽しい。文章も品があり、晦渋な中にときおり混じるとぼけた味わいのあるユーモアに、にやりとしてしまう。
 宇月原晴明(とりわけ『黎明に叛くもの』)とか隆慶一郎(とりわけ『花と火の帝』)、司馬遼太郎ペルシャの幻術師』『大盗禅師』、南條範夫灯台鬼』とかが好きな人は必読。それ以外でも似た手触りの本として山口博『平安貴族のシルクロード』とか星野紘『芸能の古層ユーラシア』、伊藤義教『ペルシア文化渡来考』とかとか好きな人はとても楽しく読めると思う。