秋葉原にラビができたらラビ・アキバ。ユダヤ人もびっくり。

 最近夜寝る前、布団に入り読みたいものを読んでいる最中眠気がきざしそろそろ眠ろうかと本を閉じるのだけど、なんとなく眠りにも落ちられずかといってさっきまで読んでいた本に戻るのも億劫な時、E.M.シオラン 出口裕弘訳『生誕の災厄』を読んでいる。なので一日あたり数頁。この本は断章形式というかアフォリズム集なので、そんな風に読むのに適している。どこから読んでもいいし(といっても一応愚直に前から順番に読むのだけど)、どこで止めてもよく、眠くなったらそこですぐに頁をとじられるし、どこまで読んだか忘れてもパラパラめくってまた適当なところから楽しめる。昨夜も寝入りばなに読んでいたらこんな箇所があった。

 しかるべき理由があるにせよ、ないにせよ、精神の衰弱に落ちたとき、そこから抜け出す一番たしかなやりかたは、一冊の辞書を、それもなるべくなら、ろくに心得のないような外国語の辞書を手に持ち、これから先絶対に使うことはあるまいという言葉ばかり注意ぶかく選って、あの言葉、この言葉とその辞書を引きまくることだ。

E.M.シオラン 出口裕弘訳『生誕の災厄』(p74)

 これを読んだ瞬間、坂口安吾を思いだす。確か彼もそんな事を書いていたはずだと布団からぬけだし本棚をごそごそと漁る。みつからない。段ボールへ入れたかと漁るもみつからない。ではどこだと、積んである本を漁る。みつからない。崩れる。みつからない。どこかには絶対にあるはずと隣室の山を崩しはじめる。途中、二、三度ひどい崩れ方をして足の甲にハードカバーの角があたる。とても痛い。夜中になにをやっているんだろうとなんだか悲しくなってきたので布団に戻るを考えるも気になりはじめると眠れないことはわかっているのでそのまま探す。ようやく見つかる。志あるところに道あり。崩れた本はいつか片付ける。本をまたぎ部屋に戻り、該当の箇所を探す。確か安吾が仏教学校に通っていた頃の話だと思いその頃を書いたものを探す。「二十一」と「世に出るまで」の二つ見つかる。自分の記憶力に満足したので寝ようかと思い布団に入ったら目が冴えてしまって眠れない。困った。

 中学をでて小学校の代用教員を一年やった後、坊主になるつもりで東洋大学の印度哲学倫理学科に入りなおした安吾は、勉強のため(あるいは悟りをひらくため)ストイックな生活規範を定めそれを厳しく守った結果、やがて精神衰弱におちいる。授業にでても教師の声は聞こえず、日中も妄想がぐるぐると頭を回り外を歩けない。精神だけではなく肉体も衰弱をみせはじめ、ボールを投げればふらふらと数メートル先で落ち、高飛びの選手までつとめた体がほんの一メートルもないようなどぶを跳び越せずぼちゃりと落ちる。悲惨である。さらにはこんな事もあったらしい。

あるとき市村座(今はもうなくなったが)へ芝居を見に行き、ここは靴を脱がなければならない小屋で、下足番が靴をぬぎなさいと言い、僕もそれをハッキリ耳にとめてここは靴をぬがなければイケないのだと思い、又、それに反対する気持は決して持っていないのに、何か生理的、本能的とでも言う以外に法のない力で、僕は靴のまま上って行こうとするのである。そうして下足番になぐられた。それでも靴をぬごうとせず、又歩きだそうとするので、三人の男が僕を押さえつけ、ねじふせて、靴をぬがせて突き放した。それ程の羞ずかしさを蒙りながら、僕は割合平然と芝居を最後迄見て帰ってきたが、そのときはどんな心理であったか、今はもう思いだすことが出来ないのである。

坂口安吾「二十一」(講談社文芸文庫『風と光と二十の私と』所収 p99)

 悲惨である。
 こんな状態をどうやって克服したかというと、ひたすらに外国語を勉強することによってだという。

結局、最後に、外国語を勉強することによって神経衰弱を退治した。目的をきめ目的のために寧日なくかかりきり、意識の分裂、妄想を最小限に封じることが第一、ねむくなるまででも辞書をオモチャに戦争継続、十時間辞書をひいても健康人の一時間ぐらいしか能率はあがらぬけれども、二六時中、目の覚めている限り徹頭徹尾辞書をひくに限る。梵語パーリ語チベット語、フランス語、ラテン語、之だけ一緒に習った。おかげで病気は退治したが、習った言葉はみんな忘れた。

同上(p109)

 安吾が生まれたのは明治39年。ということは1906年生まれ。シオランは1911年生まれ。ほぼ同時代人。シオランが何歳の時、「精神の衰弱に落ち」てそこから「抜け出」したのか知らない(そもそも本当に神経衰弱に落ちて、抜けだした事があるのかどうか知らないけど、書いているからには何かあったのだろう)けれど洋の東西をまたいで同じような時に同じような方法で精神衰弱から抜けだした人がいたというのが面白い。

 そういえば柄谷行人も似たようなことをしたと書いていたなと思い本棚を漁ってみたらあった。奇しくも安吾を論じた文章だった。

 僕も昔そういうことをやったことがあって、また現在でもそうするのですが、頭がおかしくなったときは語学をやればいいんです。一つの理由として、日々確実に進歩するということがありますね。これは精神衛生的にいい。もう一つの理由は、外国語をやるとバカになるということです。何も考えられない。考えるということは、母国語によるのですから。外国語をやっているとき、頭の中がどんどん空白になっていくと思います。言語というのは関係体系ですから、その中にとにかく入らないかぎり、どうにもならない。それはいわば徹底的に「堕落」していくことですね、関係の中に絶対的に置かれるという意味において。いつも決まって突き放されますね、ちっとも首尾よくできないから。こういうことを安吾は、おそらく二年間ぐらい夢中になってやった。そして、その間に病気が治ったということらしいんです。

柄谷行人安吾その可能性の中心」(講談社学術文庫『言葉と悲劇』所収 P418〜419)

「日々確実に進歩する」ですか。嗚呼、一度でいいからいってみたいよこんなせりふ。
 
 ところで『生誕の災厄』を読んでいるとシオランは重度の不眠症だったようだけど、そういえば何かで不眠症の人間が安らかな眠りにつく人間を痛罵している文章、いやもしかすると不眠の現象学的な考察だったかもしれないけど、いずれにせよ不眠がもたらすもの、不眠それ自体の意味、不眠をめぐる思考について読んだ気がするのだけどあれはなんだったか同じ本だったか違う本だったのか……思い出せない。気になる。眠れない。