あたらしき墓立つは家建つよりもはれやかにわがこころの夏至(塚本邦雄)

先輩からおすすめをいろいろと借り入れ、読む。中でも永田紅『日輪 永田紅歌集』(砂子屋書房)に心震える。

ねこじゃらしに光は重い 君といたすべての場面を再現できる

ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挟んだままのノート硬くて

君の手の触れゆく道のほうきぐさかぜくさもはや理性はあきた

 先輩に教えてもらうまでしらなかったその名前。この歌集でふかく印象づけられる。あとがきによると前半は10代後半から20代前半にかけての作品、後半は初期の歌篇として中高6年間の歌をおさめているのだという。前半の、大学生活を詠った作品に散見される「白衣」「解剖」「ラット」「ピペット」という言葉から理系の学生像を思いうかべてしまうが、さて。
その対象をつきはなしてみるような視線と、発見された対象の中に、あるいはその対象との関係の中に入り込むような何ともいえぬバランスに魅力を感じる。例えばこんな歌。

目の色は血の赤と知る 目の色のないたくさんのねずみが並ぶ

 この歌の前には「血液の流れが止まると、目は色を失う」という言葉がおかれている。詠い手はねずみの目の色が血の赤さだと知り、自分たちが殺したねずみを前に「目の色は血の赤と知る」と詠う。そしてそれを知った状況を俯瞰するように、己の前に広がる光景を「目の色のないたくさんのねずみが並ぶ」と詠う。この「目の赤」が「血の色」だという観察と、それを得心した自分と、自分たちが殺したねずみが「目の色」を無くしモノのようにならんでいるというその状態の距離感覚。殺したねずみをモノのように見る、世界を外側からみているような感覚と、そのねずみが持っていた「目の赤」さが生であったのだという感覚の鮮烈な対比が、なんともいえず良い。
 そしてその視線が、詠い手をとりまく人々との関係に向けられると、例えば冒頭においた3首のような「君」という姿がうかびあがる。この「君」とはおそらく思い人の事なのだろうが、その「君」はかつて「いた」存在であり、「月夜」に思うような「遠い」存在であり、その関係性を保つ「理性」に詠い手を「あき」させる思いを抱かせるような、遠い存在である。思い人と詠い手の間を隔てる距離。この距離の感覚が透明な叙情をもって読み手にせまってくる。少なくとも私にはせまってきた。いや、もちろん口ずさんだ時の調子が良いことや、「ねこじゃらし」と「光」の重さをつなげるような言葉への感覚*1がすばらしいのは前提とした上でなのだけど。

あと、

川をもつ町のひそかな引力に湿りて人は花を育てる

という歌を目にしたとき、ちょうど同時に読んでいた三浦しをん秘密の花園』(新潮社)の最初の話がふっとでてくる。頭の中に。語り手の少女と川の関係。建物の下を流れる川。
 仄聞するところによると今月末に角川から新しい歌集がでるようなので楽しみ。

と、この歌集で、短歌熱が上がったのでなにかないかと行きつけの本屋をのぞきにいくと思潮社の現代詩文庫から『塚本邦雄歌集』がでていたので購入する。電車の中で後半に収録された作品論をみていたら、坂井修一、加藤治朗、藤原龍一郎の鼎談にこんな箇所があって驚嘆する。塚本邦雄の作品との出会いを語る一節。

藤原 一九七一年の晩秋に中井英夫さんの『黒衣の短歌史』を読んで、そのなかで引用されている塚本邦雄の作品にまず出会いました。―中略―当時ぼくは早稲田の学生でしたから高田馬場芳林堂書店で買いました。『塚本邦雄の宇宙』のなかの尾崎まゆみさんのエッセイで、尾崎さんも早稲田に通っていて高田馬場芳林堂書店塚本邦雄の本を何冊も買ったということをお書きになっていましたね。尾崎さんより数年前に、私も芳林堂書店塚本邦雄の歌集を買っていたわけです。

塚本邦雄歌集』(思潮社)p132

 塚本邦雄の歌自体は吉野朔実がマンガエッセイ(『お母さんは赤毛のアンが大好き』か『お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き』のどちらだったか……)で四コマにしていた「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」という歌を読み、妙にフックされるような感じを持っていたものの、実際に興味を持ったのは潮新書版の中井英夫の『黒衣の短歌史』を読んだからで、しかも、まさに今、私が『塚本邦雄歌集』を購入したのは高田馬場芳林堂書店……。この藤原龍一郎という方が塚本邦雄の歌集を買ったのが約40年前。その40年後まさか同じ書店で購入し、その帰り道で、40年前に同じような経緯で購入した人の文章を読むことになるとは……。いや、まあ確かに馬場といったら芳林堂だし、数多くの学生が同じ道をたどってはきているのだろうけど……。それにしても……。一瞬、頭がぐらぐらする。歴史は繰り返す。驚いた。

*1:光の重さがねこじゃらしを曲げる! ねこじゃらしに光がふわりとかぶさり、その重さ(光の重さ!)にねこじゃらしがやわらかくかしぐようすを思っただけで陶然とする。