道をまっすぐまっすぐだけ歩きたくて歩いていてもすぐ行き止まり 


 書店をのぞいていると、河出の新刊のところに国枝史郎神州纐纈城』を見つけ驚嘆する。まさかこれが復刊するとは。唐突といえば唐突なこの復刊に棚の前で思わず「うお!」と小さく叫んでしまう。恥ずかしかった。ここ数年、未知谷とか作品社のおかげで国枝史郎の名前をよく見るようにはなったけれど、まさか河出が文庫化するとは。いや、あれか、思えばここ最近の半村良の復刊はその伏線だったのだろうか。編集さんに伝奇者が入ったのかしらん? それにしても文庫化は大衆文学館以来だろうか。解説は、と見ると三島由紀夫が書いたエッセイが収録されている。この作品を評するにしばしば引用される三島の「事文学に関するかぎり、われわれは1925年よりもずっと低俗な時代に住んでいるのではなかろうか」というあれ。思わず購入する。
 思えばこの作品が書かれたのが大正末期。それから約40年後、あの伝説の伝奇ブーム*1を牽引した桃源社によって「再発見」されたのが1968年。国枝史郎伝奇文庫ででたのが1976年で、六興出版からでたのが1982年。単品ではないけれど未知谷の全集に収録されたのが1993年で、それから大衆文学館で復刊されたのが1995年。そう考えるとだいたい10年刻みくらいで世にでてきてはいるのだけれど、発表→「再発見」という歴史的な流れでみると、発表から桃源社までが約40年で、そのまた約40年後の今日に復刊と、何だか40年周期に意味を持たせたくなってしまう陰謀史観的志向。これを期に新たなる伝奇ブームが来ないものかしらん。国枝史郎白井喬二中里介山角田喜久雄大佛次郎林不忘吉川英治……etcといった作家に代表される、明治後半から昭和初期にかけての短い時期に徒花のように咲き誇ったというか、文字通りひたすらに浪費された絢爛たる物語群が40年の時を経て「再発見」され、さらにその40年後の今、再び伝奇ブームが……と思うとなかなかに楽しい。
 とりあえず次は『剣侠受難』か『蔦葛木曾桟』あたりを文庫化してくれないものか。それかあれだ石川賢の向こうを張って「完全版」を誰か書いてくれないだろうか。第一希望としては宇月原晴明。物語と本歌取りの関係を熟知しているこの作家にまったく新しい『神州纐纈城』をつくりあげて欲しい。第二希望としては荒山徹。時代的にも舞台的にも上泉伊勢守秀綱をだせることだし、新陰流と朝鮮妖術をからませて是非。なんだろう、自在に人間の顔を造り変える造顔術の使い手である月子なんて、そのまま朝鮮妖術使いみたいなもんだし。これまた異形の『神州纐纈城』になりそうで楽しみ。第三希望としては奥泉光。伝奇小説の魅力の一つであるところの語り手の饒舌さと、物語を破壊しかねない過剰な衒学性を推し進め、その重さで物語を自壊させるような新しい『神州纐纈城』を一つ是非。

*1:正確には「幻想文学ブーム」なのかなぁ