万国の柳生よ団結せよ! あるいは柳生、吠えないのか?

 友人(id:fuldagap)が非常に素晴らしく阿呆な発想をした上に素晴らしいコメントが付いたので、我も推参せんと文を編む。できたものを友人のブログのコメント欄に書き込もうと思うも、その前に一応と眼を通してもらったところ「それは一般に荒しといわれる行為なのではないだろうか」というような事を遠まわしに言われたので、自分のところに書き込む。トラバはするけど。


 かつてイラン北部に「コタナ」という直刀を自在に操る一族がいたという。この一族に関する最古の記録は17世紀、ベネチアの旅行家、マンデン・ポルト旅行記『東域異聞録』の中に見ることができる。

 同書によれば、数は少数ながら「コタナ」と呼ばれる直刀を振りかざし襲い来るその姿はまさにジン(悪霊)そのものであったという。彼らは一人で十人のマムルークを相手にして退くことなく、その首領は片目に黒い眼帯を嵌め、一息に五人の首を落としたという。しかしその教義としてはイスラーム以前の多神教の痕跡を残す聖者崇拝、また新プラトン主義の影響も見られたという「異端」ぶりから、スンナ派からは「異教」扱いされ、マンデン・ポルトスンナ派に関わりのある人物から噂話として聞いたようで、長い間、敵対する部族間の歴史を反映する伝説的な存在であると考えられてきた。

 1902年中近東を旅行していたギリシア思想研究家木村鷹太郎は、たまたま現地でこの伝説を聞き「コタナ」を日本語の「刀」に由来する言葉だと考え、「これこそ他の諸文明と同様、イスラーム文化も日本の影響の下に成立した証拠である」と語ったという(木々幸之助『木村鷹太郎-その生涯と思想-』民明書房 1966)。しかし現在では現地の言葉でコッフは「真の」、あるいは「真なる」という接頭語、タンは「鋼」、ナは「よく鍛えられた」という意味を表すところから、元々は「コッフタンナ」、つまり「よく鍛えられた真なる鋼」という言葉だったのが、約められて「コタナ」となったのではないかと考えられている(棟方狛「言語から見るイランに伝来したイスラム教とその分派」民明書房 1978)。
 このように長い間、伝説上の存在であったが、1982年アメリカのミスカトニック大学考古学部P・ダーレス教授によってイラン北部の要塞都市跡から発見された古文書により、その姿が部分的にではあるが解明され、実在していた一族であることが明らかになった。羊の皮をなめしてつくられたその文書(奇妙な事に日本の「巻物」と呼ばれる伝統的な文書に酷似している)は傷みが激しく一部読みとれない箇所があるが、その技術は一族の間で「カンゲルシーナ」と呼ばれていたという。
 
 ルシーナとは現地の語で「法」を意味する。つまり「カンゲルシーナ」とは「カンゲの法」という意味になる。「カンゲ」の意味は不明だが(現地にも該当する言葉がない)、マンデン・ポルトの文書に描かれるその奇妙な動き(「かれらは敵に応対するや直刀を両手に構え、まるで何かの舞踊のように回りだした。その瞬間、いたるところで血煙が上がった」)から、イスラム神秘主義の教団の一つ、メヴレヴィー教団の分派に見られる旋回瞑想技術「カーナーゲ」に由来するとも、イラン北部に広がったイスラム教一派の経典内の一節「カンナ ムゲーラ アッサラーム」-我は光の外に生まれいずる-に由来するともいわれるが真相は闇の中である。

 発見された文書には、家督を継いだものは象徴的に片目を潰すという儀式が課せられたとある。これは非常に興味深い一節だと城南大学文化人類学部棟方狛準教授は語る。「もし彼らの用いた直刀が「真に鍛えられた鋼」という意味を持つとすれば、世界中に伝わる片目の神と鍛冶神のかかわりを想起することもあながち無理だとはいえないだろう」と。

 ちなみにその儀礼は一族の中で「ジンニューベン」と呼ばれたという。そして、この儀礼を受け家督を継いだものは真の名前を与えられたという。残念ながら文章の傷みが激しくはっきりとは読みとれないが、その真の名は「ミットーウンヨーシ」(あるいは「ムートウンシー」か?)といったというが、詳しい事は不明である。
 ただその儀礼名であるが、ジンは「悪霊(あるいは魔神)」、ニューベンは不明であるが、ニンュは「蓬髪の」、ベンには「見上げるほどの」という意味があることから、「蓬髪の見上げるほど大きな悪霊(魔神)」という意味を持ち、それが彼ら一族がイスラームに帰依する以前に関わりのあった超自然的存在の名前かもしれないと考えることは可能であろう。

 一説にその技術は、現在ではすでに否定されているものの、二ザール派(いわゆる「暗殺教団」伝説)に伝わっていた技術の流れを汲むとも、あるいは東方の異教徒が伝えた技術ともいうが、特定の一族の子から孫へ、孫から曾孫へと極めて狭い血脈の中でのみ伝えられた。この一族の名を「ヤギッフ」という。アラビア語の権威であり、イスラーム文化に明るいミスカトニック大学東洋文化学部L・カーター教授によると、「ヤンーギ」は「暗い谷間」、「イニーフ」には「住む、住まう」という意味があることから、あるいは「暗い谷間に住む一族」という意味だったのかもしれないというが、他に例えば棟方準教授のように、彼ら一族にその技術を伝えた者(あるいは集団?)の名前ではなかったかとする意見もある。なおこの文書の最後に、かすれてはいるが、光輪の中に向かい合わせに飛ぶ二羽の鳥(P・ダーレス教授は天使の姿だと考え、それをこの宗派が「異教」と考えられた証だとしている)を表した絵と、二つの兜(?)が重ね合わされた絵が描かれているが、これが何を表しているかは不明である。