孤独な不能者の夢精 

 やたらに湿度が高い中、近場で開かれている古本市に出向く。三時間程行きつ戻りつを繰り返し、以下のものを購入。


魯迅『吶喊』(中公文庫)
 高橋和巳訳のやつ。内田樹『街場の中国論』(ミシマ社)を読んだら、何だか魯迅が読みたくなったのだけど部屋に見つからなかったのでこれも何かの渡りに船と購入。仄聞するところによれば高橋和巳訳のものは解説が充実しているらしいので楽しみ。


倉橋由美子『わたしのなかのかれへ 全エッセイ集』(講談社)
 彼女のエッセイ、というか小説以外のものだと晩年に書かれた『あたりまえのこと』(朝日新聞社)、『偏愛文学館』(講談社)くらいしか読んでいないのだけど、その文章のスタイルというか感じが気になっていたので購入。昭和45年にだされたもので、昭和35年から45年までに書かれたエッセイが収められている。パラパラと読んでいると何だか金井美恵子が若い頃に書いていたもの(『夜になっても遊び続けろ』とか『添寝の悪夢 午睡の夢』とか、そういえば吉野朔実『少年は荒野をめざす』の中で夜に遊ぶ少年と少女の場面に「夜を越えて遊び続けろ」みたいな文が書かれていて、当時どっぷりとそういう生活にはまり込んでいた私としてはこれはうん良い言葉だなと思った記憶がある、という事を思い出した)に似ているなと思ってしまった。こんな文章があって笑う。

「そういえば、鴎外に危険な書物を読む人間を殺して死骸を塔に運びこむ蛮族の話を書いた短編がありましたね」
「『沈黙の塔』でしょう。Parsi族は自然主義社会主義の本を読むやつどんどん殺したが、いまならヌーヴォー・ロマン実存主義の本を読むやつが撲殺の対象になるかな」
「でもそんなのは蠅みたいなもので、寒くなれば自然に死に絶えてしまうのではありませんかしら」
「いや、いまは冬のない時代だから、三派蠅、べ平連蠅、フーテン蠅といった不愉快な蠅がいつまでも飛びまわる。戦後の教育という肥溜めがあるかぎり蛆の発生は防げませんよ」
(p426〜427)


巌谷國士澁澤龍彥考』(河出書房新社)
 澁澤龍彥の周りにいた人々によって書かれた彼の思い出話やその時代の雰囲気を伝える文章というのが妙に好きで、種村季弘『澁澤さん家で午後五時にお茶を』とか加藤郁乎『後方見聞録』にでてくる姿を愛読していて、もしかすると澁澤本人の文章よりも好きかも知れず、といっても澁澤龍彥が書いた文章とか彼自身の魅力とか、彼の周りにいた人から見た彼とか、その時代の雰囲気とかそういったものは別にどれがどうと比べる様なものではないのでどうでも良いのだけれど、これをパラパラとめくっていたら冒頭で「渋澤さんという人物と、渋澤さんの書いたものと、くらべてみたら、どっちが上だろうか、というようなことを、先日、松山俊太郎さんに訊かれた」とあってちょっと面白かった。そういえばこの松山俊太郎という人は種村季弘のエッセイでもよく見る顔で、何やら勝手に親しみを覚えてしまっている。


・ルース・ライクル『落ち込んだときは料理を作ろう』(はまの出版)
山本益博『料理人を食べる 弁天山美家古寿司の世界』(厚生出版社)
・師岡幸夫『神田鶴八鮨ばなし』(草思社)
・田村平治『五味調和』(主婦の友社)
 食べ物関係を四冊。一点目はなんか小説仕立てになっているのだけどそれは置いといて、レシピの部分が美味しそうだったので購入。この後、会った人に見せたら「落ち込んでいるんですか?」と笑われた。二点目はいつか行って見たいと憧れているお店の話を山本益博が書いていたので購入。四代目のご主人と幇間の話が良い。三点目は神保町にあるこれまた憧れのお寿司屋さんの先代(だったと思う)が書いたもの。最初の写真からノックアウト。す、寿司喰いてぇ……。四点目はお初のお方。京都にある瓢樹というお店で修行され、その後、築地でお店を開いた方らしい。瓢樹は名前からしてもしかしたらと思っていたらやはりあの瓢亭の流れを汲むお店。西村卯三郎という人が開いた店で、この人は瓢亭の板場に二十年以上勤めた人なのだとか。著者は丁度このお店が開かれる時に、祖父の紹介で奉公に入ったのだという。著者によれば、魚屋を営んでいたお祖父さんが瓢亭の親父さんと顔見知りで「まあ、孫のわたしに料理を覚えさせるにはまるで知らない店よりもいいだろうというぐらいの気持ちで頼んだわけだが、在所回りの魚屋をやるには少々どころか、たいへんに本格も本格の奉公先を選んだものだと思」ったらしいけど、そりゃ凄いわ。それにしても瓢亭。朝は何度かいったことがあるのだけど、夜。一度で良いから夜に行ってみたい……。


 購入後、約束があったので移動し合流。ついでにと駅前の古本屋を見ていたら種村季弘ザッヘル=マゾッホの世界』(筑摩叢書)が手ごろな値段であったので購入。コンプリートへ小さな一歩を示す。
 その後、街を散策し、面白い喫茶店があるからと連れて行かれる。やたらにノスタルチックな喫茶店というか、本当に「古き良き」という枕詞が似合う喫茶店で、中に入ると古いランプの黄色い光、沢山の時計にキリシタン関係の遺物、何故か火縄銃とどこかの流派の絵が掛けてあり、更にはカウンターに座るやたらに見かけがファンキーなご主人に魂消た。聞けば有名な喫茶店なのだとか。で、アイスコーヒーを頼み、同行人と話していたら、視界の隅に変なものが入った。雑誌の類が入っているラック。その中に、明らかに変なものが入っている。見ると、食べ物関係の雑誌や観光ガイドの類に混じって、何故か『秘伝』が一冊だけ置いてある。『秘伝』というのは武術、それも古流の情報をメインにしている(いた?)雑誌で、相当にニッチな雑誌。かくいう私も十年程前に購読していた。手に取りパラパラ見ていると名和弓雄が死んだという記事が目に入る。名和弓雄は万力鎖(玉鎖)で有名な正木流という流派の宗家なのだけど、この人はそれ以上に武道具のコレクションや、時代考証、武器道具の解説本で知られている(と思う。確か時代劇の殺陣の指導もやっていたような気もする)。ある意味では三田村鳶魚が時代小説にやった事の時代劇版というか、時代劇の「嘘」を暴く『間違いだらけの時代劇』『続間違いだらけの時代劇』(どちらも河出文庫)とか、ちょっとこれは高いけど、色々な流派の隠し武器を解説した『隠し武器総覧』(壮神社)はお得な内容で読み物としても面白と思う。 
 まあ、なるほど死んだのかと思いながら、佐川幸義の記事を読み雑誌を戻し、忙しそうにしていたウエイトレスさんの手が空いたようなので、何気なく「あの、結構珍しい雑誌が置いてますけどご主人、何かされていたんですか」と尋ねたところ、「マスターのお兄さんが乗っているんですよ」と、件の雑誌を手に取りページを開いた。彼女が開いたのは、さっきまで私が見ていた名和弓雄の写真。驚愕。「え?え?え?ご主人って、名和弓雄さんの弟さんなんですか!?」と思わず大声をだしてしまう。するとウエイトレスさんも私の声に驚いたのか眼をぱちぱちさせて「え?ご存知なんですか」という。カウンター内にいたファンキーなご主人も驚いたようにこちらを見ている。いや、そりゃまあ驚くだろうな。いきなり来たふりの客が自分の兄貴の事知っていたら。
 その後、少しご主人と話す。聞くと名和コレクションはすべて明治大学の刑事博物館に寄贈されたとか、後継者問題も結構大変らしいとか、そんな話を聞く。ご本人はまったく武術の経験はないのだとか。うーん。名和弓雄って確か、幼少期から祖父に習っていたとかいうから、稽古はできる環境にいた筈なのだけど、その辺突っ込みだすときりないしえらいことになるから止める。それにしても驚いた。店に案内してくれた同行者と「いや、世の中って面白いね」と話しながら帰る。