アブドル・ダムラル・オムニス・ノムニス・ベルエス・ホリマク・我とともに来たり・我とともに滅ぶべし

 終電に乗り損ね、まことに不本意ながら徹夜をするはめになる。本当なら今頃は布団に包まり寝ているはずなのに、と思いながらマンガ喫茶で一夜を明かす。五時間パック1100円。せっかくだからと数年ぶりに手塚治虫三つ目がとおる』を全巻読む。今回読んだのは手塚全集のもの。昔、読んだものと収録順が違いいささか混乱する。そういえばこれを読んだせいで龍安寺の石庭は海図なんだと思ったり、ソドムとゴモラは古代の都市の名前なんかではなく、その都市を破壊した兵器の名前だと思ったり、飛鳥の石船は薬をつくるために使われたのだと思ったり、あまつさえ仏像の白毫は三つ目を表しているのだと思い、地蔵や仏像を見るたび興奮し、その「知識」を法事の際に坊さんに披露して親戚一同に爆笑されたりした幼い頃を思いだす。当時10歳だった。あの頃の私に世界は一体どのように見えていたのだろうか。襟首掴んで聞いてみたい気もする。そういえば『ムー』や『マヤ』や『ワンダーライフ』を読み始めたのも、思い起こせばこの漫画の影響があったのかもしれないと思うと、なんとも言い難い気分になる。小学生にこの雑誌は中々に刺激が強かった。
 そのまま『三つ目がとおる』からの連想で皆川亮二たかしげ宙作『スプリガン』を数巻読みかえし、そういえば読んでいなかったと皆川亮二D-LIVE!!』の11〜13巻を読み、少し時間が余ったので、今まで気になりながらもスルーしていた森本梢子『ごくせん』に手をだしたところ予想以上の面白さに全巻を読み終わった頃には時間を二時間ほどオーバーしてしまっていて無駄にお金を支払うことになる。外はとても明るかった。私は貝になりたい
 
 どうせ家に帰ってもこのまま寝るだろうし、起きてから外にでるのも億劫だからと帰宅途中スーパーに立ち寄り、夕飯の材料を購入する。牛スジがえらく安く置いてあったので購入。私はこれが大好物なのだけど、普段は下ごしらえに時間がかかるのであまりつくらない。今日はまあ時間もあるし煮込んで食べようかとかごに入れ、牛スジといったらこれだよねとこんにゃくも入れ、他に家にある春雨を炒めて食べようと、豚肉、もやしも購入。家に向かって歩いていると豆腐屋さんの軒先で、おからが大き目の袋一杯100円で置いてある。見た途端、何故とはなくおからが食べたくなり、これも購入。帰宅して寝る準備をしながら鍋に水を張り、冷凍してあったネギの青いところと冷蔵庫の隅で萎びていた生姜を適当に切って加え、牛スジを下茹でする。布団に入り寝付くまでと、古井由吉『ひととせの 東京の声と音』をぼんやりと読みながら、たまに台所に戻り灰汁をひき、本格的に眠くなってきたので牛スジを笊にあけ、お湯で軽く表面を洗い、食べやすい大きさに切り、新しく張った水に戻して、そこに乱切りした人参、一口大にちぎって軽く塩もみして臭みを抜いたこんにゃくも投入し醤油、酒、砂糖を適当に入れ、極弱火にしてそのまま寝入る。六時間ほどして起きると、仄かな獣臭をおびた香りが部屋に漂っており、これは下茹で時に臭みを抜き足りなかったかと不安に思うも、味をみると良い塩梅にできあがっていた。中華鍋を熱し、おからを乾煎りし、適度に水分が飛んだところに牛スジの煮込みを加えて、適当な硬さになるまで炒める。これでどんぶり一杯のおからができあがる。中華鍋をざっと洗い、お湯を沸かし春雨を硬めにもどし、再び中華鍋を熱し、ニンニクを炒め、香りがでたところで豚肉を炒め、冷蔵庫にあったエリンギ、人参を炒め、もやしも加えざっと炒め塩コショウをしたところで春雨を加え、最後にこれまたやはり、牛スジのだしがよくでたスープを加えざざっと炒め、春雨の炒め物も完成。春雨の炒め物を食べながら、わっさわっさとおからも喰らう。しっとりと仕上がったおからに、ところどころむっちりとした歯触りを残しながらも全体としては舌と上あごで押しつぶせるほどにとろりと柔らかくなった牛スジの食感のコントラスト。ときおり歯にこきっとあたるこんにゃくのアクセントも絶妙で、口中の幸せを感じながら陶然とかきこむ。そういえば内田百輭はおからを肴にシャムパンを飲んだというが、うーむ、合うのか本当に。ビールはちと欲しくなったが。食べに食べくちくなり再び寝入る。夜中に目覚めそのまま朝まで眠れなくなる。おかげで非常に一日だるく、体が使いものにならなかった。やはり徹夜はすまいと思った。