オレは母ちゃんの肉奴隷じゃないっつうの 

 過日、「イイダコを釣りにゆかないか」という友人の言葉に「はあ、別によいですけど」と応える。詳しい日時はまた後ほどという。数日後メールが来る。
「明日の午前6時集合ね」
「……それ私ゆけるんですか? いや、時間的に」
「調べたけど始発に乗れば余裕だよ」
「いや、始発にって、私、いま帰宅中なんですけど」
 ちなみに23時。
「家に着くの1時過ぎなんですけど……。始発って事は午前5時くらいですよね。それ、私、午前の4時過ぎには起きなきゃ駄目なんじゃ。あの、私いつ寝るんですか?」
「起きるのが無理なら寝なきゃいいじゃない」
「あなたの言っている事は正論ですが、正論が常に正しいというわけじゃないんですよ」
「だから健康とは嫌なものなのだよ。んじゃ、そういうことで」


 朝まだき東の空漸く白むころ、というかまだまだ全然真っ暗な午前4時20分。のっそりと起きだす。結局2時間しか眠れなかった。シャワーを浴び眼をこじあけふらふらと駅までゆく。午前6時、駅に降り立った瞬間、友人に遭遇。
「あー、どもおはよっす」
「本当にはやいですよね。おはようございます」
「私、寝たの今朝の2時なんですけど」
「あー、私も似た感じっす」
「船酔い大丈夫かな」
「わたし、しっかり酔い止め飲んできました」
「プラシーボか」
「いや、効果あるんですって」
 駅前で友人と合流。総勢4名。途中、コンビニで朝飯をとり、よくわからないところへ連れてゆかれそのまま船に乗せられる。なんでも今日はイイダコが不漁とのことで、前半をハゼ釣り、後半様子を見ながらイイダコのポイントへ、という感じらしい。
 思ったよりも照りつける秋の日差しと海の照り返しに、顔がどんどん火照ってゆくのがわかる。明らかに焼けている。顔が熱い、というか痛い。私は日に焼けると、文字通り火傷をしたように、肌が真っ赤になり、数日は痛みと赤みがひかないので、どうにも困る。


 ところで私は釣りというものを誤解していたらしい。私は、釣りとは魚が餌に喰らいつくまでまって、それからゆっくりとリールを巻けばよいものだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。友人に呆れられる。自分から針に喰いつき縫い取られるなんて、なんて魚とは愚かなのだろうかと思っていたのだが、愚かだったのは私の方だったらしい。釣りとは、餌で誘い、魚が近寄り餌に触れた瞬間をねらいすまし、竿を上げ、魚を針に引っ掛けなければいけないらしい。自分で魚を針に引っ掛けなければいけないのだという。この、魚を上手く「引っ掛ける」ところが釣りの眼目なのだという。なるほど。そういうものか。誘って魚を動かし、そこを「釣る」のか。どうりで一向に釣れないわけだ。
 というわけで、友人のいうとおり、餌をゆらゆらと揺らし魚を誘い、微妙な「アタリ」が来た瞬間を狙いすまし、針に引っ掛ける心持で竿をすっと上げる。すると途端に面白いように釣れだす。
「なるほどわかりました。釣りとは活人剣と見つけたりです」
「その心は」
「構えを廃し魚を動かしそこに乗り勝つ事かと」
「いや、それ違うから」


 結局、ハゼを2〜30匹くらい釣って終了。イイダコ釣りにうつる。その時点で激しい睡魔と吐き気に襲われ私はギブアップ。船底で眠りに入る。気づくと船は戻るところだった。
 帰宅し、ハゼを捌き、いただいたイイダコも捌き、すべてフライにして食す。非常に美味し。ビールが欲しくなる味でした。翌日、翌々日まで顔の痛みがひかずお風呂に入るのも辛かったという事にはこのさい眼を瞑るべきか。
 フライを食しながら阿部昭編の『飯待つ間 正岡子規随筆選』を読む。病床で延々とくだものについての話をする「くだもの」がよい。特に最後の部分、奈良での思い出。柿を挟んでの「梅の精霊」のように思えたという宿屋の下女とのやり取りのところが良い。他にも、軽みのある文章で病の痛みに苦しむ姿を描いた「煩悶」。冗語に冗語を重ねるような徹底的に言葉遊びであるような、言葉が言葉を連れて転々と飛び跳ねるような、滑稽と言えるほどに軽妙な文書で、それがそうであればあるほどそこに子規の絶望的な姿が浮かび上がるようで、なんというか、じんわりとくる。良い文章や。