あらゆる贈与には、壮大な盗みが含まれている。ある人のすべてを貰い受けるとき、われわれはその人の物となる。

 9日からだと思っていた近場での古本市がもう始まっていることを知り午後から出向く。いつものように文庫から見ていると、特設コーナーのようなところで、サンリオ文庫がやたらに安く置いてある。高いもので1000円台後半。安いものだと200円から。安い方を四冊購う。『ステンレス・スチールラット』『ステンレス・スチール・ラットの復讐』『ステンレス・スチール・ラット世界を救う』『ステンレス・スチール・ラット諸君を求む』と、ハリイ・ハリスン尽くし。『ステンレス・スチール・ラット大統領に』だけなかったのが非常に悲しい。手軽な値段で出会える日は来るのだろうか。他に、種村季弘『書物漫遊録』(ちくま文庫)、反町茂雄天理図書館の善本稀書 一古書肆の思い出』(八木書店)を購入。その後、場所を変えて古井由吉『雪の下の蟹 男たちの円居』(講談社文芸文庫)、川上弘美『パレード』(平凡社)、横溝正史『髑髏検校』(徳間文庫)、四方田犬彦『月島物語』(集英社)、子母澤寛『続 ふところ手帳』(中公文庫)を買う。ついでに立ち寄った新刊書店で佐藤亜紀『小説のストラテジー』(青土社)も。


 帰路につきながら夕飯を考える。確か豚バラ肉、ニラ、もやしが残っていた筈と、卵を購入し、これもやはり残り物の春雨とともにざざっと炒めナンプラーで味付けし、パクチーを散らし、タイ風の焼きそばをつくって食す。中々美味。食べながら内田魯庵著 紅野敏郎編『新編 思い出す人々』(岩波文庫)を読む。付き合いのあった作家の人となりを「過剰すぎないかこれ」と思えるほどに比喩に比喩を重ね描写するその筆法、文語の香りのするその文が目にも心地良い。二葉亭四迷を評する言葉としてこんなのがあった。

 勿論、演壇または青天井の下で山犬のように吠立って憲政擁護を叫ぶ熱弁、若くは立板に水を流すようにあるいは油紙に火を点けたようにペラペラ喋べり立てる能弁ではなかったが、丁度甲州流の戦法のように隙間なく槍の穂先を揃えてジリジリと平押しに押寄せるというような論鋒は頗る目蘇ましかった。加うるに肺腑を突き皮肉に入るのを気鋒極めて鋭どく、一々の言葉に鉄槌のような力があって、触るる処の何物をも粉砕せずには置かなかった。二葉亭に接近してこの鋭どい万鈞の重さのある鉄槌に思想や信仰を粉砕されて、茫乎として行く処を喪ったものは決して一人や二人ではなかったろう。


「二葉亭余談」p123(内田魯庵著 紅野敏郎編『新編 思い出す人々』所収)

 あとはあれだ。何で読んだか判然としないのだけど、硯友社の川上眉山は本当に美男だったらしい。文壇内だけではなく、世間一般の基準に照らしても美しかったというその美貌を評して魯庵はこう書く。

眉山の色の白さは透徹るようで、支那人が玉人と形容するはこういう人だろうと思うほどに美しく、何時でも薄化粧しているように見えた。いわゆる女にしても見ま欲しいという目眩しいような美貌で、まるで国貞の田舎源氏の画が抜け出したようであった。難をいったら余り美くし過ぎて、丹次郎というニヤケた気味合があった。最う少し色が浅黒いとか口が大き過ぎるとかいう欠点があったらかえって宣かったろうと思う。


硯友社の勃興」p214〜215(内田魯庵著 紅野敏郎編『新編 思い出す人々』所収)

 こりゃ写真を見てみたいとググってみるも、でてくるのは墓ばかりで全然見つからない。ネットなんてこの程度のものかと思う。ただの言いがかりである。気になる。