春じゃ春じゃと甘茶でかっぽれ

 4月中旬という言葉を信じ本屋に日参する事はや4日。いい加減代わり映えのしない平台も見飽きた頃、ようやく今市子百鬼夜行抄(14)』を手に入れる。早速、帰りの車内で読む。久しぶりに、降りる駅を3駅ばかり乗り過ごす。戻る電車はとても空いていていた。それはともかく今回の『百鬼夜行抄』。晶と三郎の恋の道行きに地方の村に伝わる禁忌を絡めた「番人の口笛」*1、尾白と尾黒が好きな人必読の「天上の大将」、異界のモノとの契約を描く「床下の賢人」、そして今回一番面白く、私が電車を乗り過ごした直接の原因となった作品「介添人」の四作が収録されている。「介添人」は飯島律の祖父、蝸牛とその妻となる人の話。いやー面白かった。最後の最後で物語の仕掛けに「あっ」と言わされた。まったく想像していなかった。そうくるか。たしかに伏線っぽいの張られていたけど、ううむ。あいかわらずこういう仕掛うまいなー。その仕掛とは関係ないけど、萩尾望都の某作品を思いだしてしまった。それにしても司の出番が殆ど無いのが悲しい。そして叔父の開が格好良すぎる。爽やかに腹黒。ずるい。


 『百鬼夜行抄』といえば、花組芝居の次々回の公演で『百鬼夜行抄』が上演されるらしい。確か3年程前にもやったと記憶しているのだけどまたやるのか。今度は見に行きたいような気もする。舞台化→映像化の流れで思い出した、というかさっき知ったのだけど、吉田秋生吉祥天女』が先週からドラマ化されていたらしい。知らなんだ。つい先日、友人とこんな会話をしたのも何かの知らせか、と思うも、よくしている流れででただけだった。
「『吉祥天女』の小夜子といったら、やはり往時の栗山千明ではないでしょうか」
「『六番目の小夜子』の小夜子役もよかったしね。でも、それはあの緑なす黒髪というか、髪の毛のイメージが強いのではないだろうか」
「そうともいいますね」

 思春期の少年少女が集まる学校という小さな世界と、その外(といってもそれ自体で完結しているような小さな町なわけだけど)で起こる事件を牽引車として、「女」になることの恐怖と「女」でいることの残酷さ、そして「女」であるものへの(ある種の潔癖から生まれる侮蔑を伴った)違和を描くこの作品。望まなく「女」になった、ならざるを得なかった「少女」と、「女」になる事を恐れおずおずと世界を窺っている「少女」の視線が交差するこのとてもスリリングな作品をどのように映像化したのか楽しみ。


 『百鬼夜行抄』と一緒にクラムリーの『明日なき二人』も購入。書店で見て久しぶりのクラムリーに驚く*2。帯を見て再度驚く。なんと、あの「酔いどれ探偵」ミロとシュグラーの競演だとあるではないですか! 最近、小説が頭に入らない状態になっているので、これで弾みがついたらよいな。どうも周期的なものらしく、読んでも何だか言葉が頭に入ってこない。インクの染みがぽやぽやと浮きでて、物語が形を成す前に消えてゆく。困ったものだ。おかげで最近はエッセイや随筆、評論の類しか読めない。


 それはさておき、ぱらぱらと解説をめくっていたら、冒頭の書き出しを「前段の呼吸がすべてで、後段は口から出まかせ。責任を転嫁できるものなら何でもいい」として、「いうまでもなくこれはセリーヌの『夜の果ての旅』からの巧妙なパロディとも読みうる」と書いてあったのだけど、意味がよくわからない。なにが「いうまでもな」いのだろう。クラムリーを読む人は「いうまでもなく」セリーヌを読んでいて、この書き出しを見ただけでセリーヌのパロディだと思うだろうと、この解説者は言っているのだろうか。あるいはそう考えうるだろうと。いや、それはおくにしても、どこがどのように「巧妙なパロディ」なのだろうか。冒頭の文が似ている(『明日なき二人』は「事の起こりはまぬけなスーツのせいだったのだろう」、『夜の果ての旅』は「ことの起こりはこうだ。言いだしっぺは僕じゃない。とんでもない」)からだろうか、それとも、次の文で解説者が「アメリカン・ハードボイルドの基本的ドラマ構造」だとする、「トラブルは勝手についてまわる。己はどこまでも無垢。事件の要因を語りだせばいくらでも言葉」が溢れだすような形式を、セリーヌのパロディだと言っているのだろうか。前者だとしたら、ただの一文を挙げてその類似を言うのも何だし、後者だとしても、セリーヌの方法論(小説形式)と「アメリカン・ハードボイルド」の方法論(小説形式)がどのように「いうまでもなく」似ているのかを話さなければ、いきなりセリーヌをだされても面食らうだけだと思うのだけど。よしんばセリーヌと「アメリカン・ハードボイルド」の方法論が似ているとしても、書かれているのは全くの別物だと思うのだけど。少なくとも『夜の果てへの旅』では、私が読んだ限りでは「無垢な己」とか「トラブルが勝手についてくる」なんていう甘い事は一言も書いてなかったように思う。いや、どうなのだろうもしかしたら本文を読んだら似ているなと思ったりするのだろうか。でもだったらその辺書いて欲しかったなあ。
 関係ないと思われるものに関係を読み取る(読み取ってしまう?)というのは、本を読むに当たってとても大切な事だとは思うけど、何がどう関係していると読んだのかを書いて欲しいなあと思った、と自戒を込める意味でも書いておくのだ。

*1:小野不由美屍鬼』を思いだした。映像化したらとてもインパクトがあると思う。

*2:文庫落ちだったのか。知らなかった……。