真処女や 西瓜を喰めば 鋼の香


 帰宅してテレビをつけると風にひるがえる白い翼とそれをあやつる少女の姿があらわれた。『風の谷のナウシカ』だった。そういえばユパとクロトワ好きだったなぁ、と思いだすと懐かしくなり、着替えもそこそこに見入る。まともに観るのは十数年ぶりなのにもかかわらず、以外に場面を覚えている。いや、かなり覚えている。普段は意識に上らないのだけど、一つの場面を目にした途端に、ぱたぱたと頭の中で場面が連鎖し始めどんどん繋がってゆきそれを追うようにテレビの中でも物語が進んでゆくその感覚に既視感のようなものを覚えてしまう。もちろん、かつて実際に一度ならず何度となく観たものであるので、言葉通りの意味でのデジャビュではないのだけど、普段それを見たことを意識していないものが、それに触れた途端意識の表面に上ってきて、どのように展開するのかについて強い確信を持ちその通りに物語が進むというその感じがデジャビュ、というか、デジャビュの原因が分かっている状態でその感覚だけを味わっているような状態というのがとても面白かった。


 それにしても驚く事は、自分が意外と台詞を覚えているということで、ある場面になると立て板に水、意識することなく自然に登場人物と同じタイミングで台詞が口をついてでてくる。普段自分の中にあると気づかないものが、条件が整うと自然にでてくるというこの感覚は例えば自転車やスキーみたいなものかと思うも、普段意識しないものがどれくらい自分の中にあり、それがどのようなタイミングででてくるのか分からないという感覚は興味深く、こういう事でも自分の中の地層を意識する契機になるのだなと感心しきり。
 

 しかし思うに夜の九時過ぎに隣の部屋から「双方動くな、動けば王蟲の皮より削り出したこの剣がセラミック装甲をも貫くぞ」とか、「姫姉様、これみんなで集めたの。チコの実。姫姉様にあげます」、「焼き払え。どうしたそれでも世界で最も邪悪な一族の末裔か!」、あまつさえ「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」という声が(しかもちゃんと声音をつくっている声が)聞こえてきたらかなり怖いのではないか、ましてやそれがひざを抱えた(この姿勢が落ち着くのだからしょうがないのだけど)二十代後半の人間が無表情にテレビに向かってぶつぶつと言っているとあっては恐怖もいやますというものでと思い何だか落ち込むも、そういえば、昔隣のクラスにナディアの台詞を全部覚えていると豪語している人がいるという噂を聞いたことがあり、もしそれが本当だとすると、ナディアといえば確か全39話、ということは一話実質20分にしても、20×39で780分、時間にすれば13時間にも及ぶその台詞を覚えるためにその人が費やした労力を思い嘆息を漏らしたなという事を思いだしたので、その人に比べればまだまだと、自分を慰めてみる。


 というわけで久しぶりに観て思う事はやはり二時間は短いなぁということで、いつか全40話くらいであの原作をアニメ化してくれないものかと。観たいなー。