ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。


 今どちらも手元に無く、曖昧な記憶に頼るしかないのだけど、この言葉を知ったのは確か大塚英志の『摩陀羅天使篇』か『多重人格探偵サイコ』の冒頭だったというのは間違いなく、それがわかっていれば書店にでも行って見てくれば良いので、さっき外出ついでに見てくると、品切れなのか絶版なのかどちらも見当たらず、ただ、それを読んだのは、ちょうど私が二十歳の誕生日を迎えた一月後、新刊でだったという記憶があるので、今ネットで調べてみるとどうやらそれは『摩陀羅天使篇』ではなく『多重人格探偵サイコ』の2巻だったらしい。


 二十歳といえば、大検を取りしばらくふらふらした後、そろそろ大学にいこうかと上京して予備校に通っていた頃で、よりにもよって二十歳になった途端に出合ってしまったこの言葉には、何でこのタイミングでこういう言葉に出会うかなという思いで、苦笑を禁じえなかったというか、肩肘張ったその調子と逆説的に二十歳の美しさを強く意識させるその言葉に、二十歳が人生で一番美しいなんて誰も言わないし思ってないよ、という思いと、そう言った途端に想像される、君も歳を取ったらわかるよ、という若さを蕩尽しているワカモノを温かく見守る年長者の顔というものが浮かんできて、この言葉を書いた人物が、それが若者であれ年寄りであれ、どうにも気持ち悪いなと鼻白んだものの、その引用された元の本を読みたくなったというのは、恐らく言葉単体で見ると中々格好良いなとも思ったからなのかもしれなく、つまりはミーハーというやつだ。


 これが誰の言葉なのかということは、今ならばグーグル先生にでも尋ねれば一発で分かるわけだけど、当時は今ほどネットが発達しておらず(いや、していたのかもしれないけど私の周りにそんな環境は無かった)、人に聞こうにも答えてくれそうな知人もおらず、そもそも人前でこんな「恥ずかしい」言葉を口にすると考えただけで頬が熱くなるというもので、思えば情報へのアクセスというのはネットの出現によって大きく変わったのだなと今更ながらしみじみとしてしまう。それにしても、この言葉がポール・ニザンという人の『アデン アラビア』という本にでてくる言葉なのだと知ったのはどんな偶然によるのかも覚えておらず、考えてみればそれが大塚英志の言葉ではなく何かの本からの引用だと分かったのも不思議なことで、あるいは大塚英志の事だから、作品に散りばめた固有名詞の中に引用元を書いていたのかもしれない。


 いずれにせよ、それがポール・ニザンという人の言葉である事を知った私は、当時通っていた予備校に一番近く、かつ東京でも有数の大型書店に行って捜したのだけど見つからず、店員に尋ねようにも、何だかその気にもなれず、本ならばあそこに行けばあるだろうという至極単純な理由でその日の授業をサボり、神保町に向かった。今でこそどこにどのような書店があり、どんなジャンルを扱っているかもある程度分かっているものの、当時は街自体に行きなれておらず、というよりも古本屋という形態に馴染んでおらず、店毎に扱う本の種類に違いがあるということもあまり意識せず、漠然と、本がたくさんある街という印象で神保町という場所を捉えていて、それに加え、ポール・ニザンという人がどんな人で『アデン アラビア』という本がどんな本なのかも知らなかったので、どこの店に行ったらありそうだという当たりをつける事もできず、とりあえず目に付いた店先に入り、漫然と棚先を見るという事を繰り返し、これじゃ見つからないと思ったのが一時間後というのは我が事ながら呆れるしかない。


 思い切って「あ、っと、ええと、すいません、ポール・ニザンという人のですね、その『アデン アラビア』という本があると思うんですけど、ええと、こちらで置いてますか」とつっかえつっかえ尋ねたのがはたしてどこの書店だったのかは覚えていないのだけど、こちらをじろりと見た初老の店主の「ないね」という木で鼻を括ったようなその返事と、その声の調子にへこんでしまった事は今でも覚えていて、それでもまあ折角来たんだからもう一軒行ってみようと向かったのは新刊書店で、そこの店員さんに同じ事を尋ねると「はあー、ポール・ニザンの『アデン アラビア』ですか、少々お待ちください」とレジの後ろに消えていった先から聞こえてくるのは「ポールなんとかの『アデン』なんとかって知ってます?」「いやー、知らないけど」、暫くして戻って来た店員さんがいうにはただ今品切れですとのこと。


 肩を叩かれたのは店をでた瞬間だった。振り返るとショルダーバックを下げた男性がいた。40代に見えるその男性に見覚えもあるはずもなく、きょとんとしている私に向かって彼は「今、聞こえたんだけど君『アデン アラビア』を捜してるの?」頷く私に、その男性は嬉しそうに笑って「いやー、君みたいな若い人がポール・ニザンなんて読むんだ。驚いたよ。ああ、『アデン アラビア』ならすぐそこの○○に置いてあると思うよ」という言葉にも驚いたけど、その嬉しそうな調子にはかなり引いてしまった。お礼を言うと彼は笑って去っていった。教えてもらった書店で尋ねると、ご主人は棚から綺麗な本を出してくれた。見ると、表面には黒地に黄色く引っかいたような線で描かれた地図、裏面には眼鏡をかけた男性の顔がプリントされていた。


 かような経緯で手に入れた『アデン アラビア』だけど、それにしても未だに不思議なのはあの時声をかけてきた男性。後々、この本がどのような時代に読まれたのか知り、神保町という場所柄からも、あの時の男性の驚いたようなどこか嬉しそうな調子がなんとなく納得できたりしたけれど、それにしても、あるんだなこういう事、と長々と書いたのは、今更ながら晶文社が一般書部門から撤退するという話を聞き驚くと同時に、そういえばこんなことがあったなと思いだしたからだったりする。


 そういえばポール・ニザンが件の本を書いたのは26歳の時だったという。ああ、気づけば何時の間にかその年齢一つ超えちゃったよ。歳月というのは勝手に来て勝手に去ってゆくから性質が悪いし、始末に終えない。