私をミステリーランドへ連れてって


 このレーベルが「かつてこどもだったあなたと少年少女」に向けたものなのか、それとも現役ばりばりの子供に向けたものなのか、はたまたそんなくくりはどうでもよいからまず読んで、なのか知らないけれど、素敵な装丁、豪華な面子に、よくこんな本作ったなと感心しきり。さすが宇山日出臣。全部集めて本棚に並べたくなります。既にでたものはもちろん、これからでるものも全部気になるのだけど、中でも笠井潔がどんなのを書くのかと思うと夜もおちおち寝ていられません。矢吹駆の少年時代とか書いてくれないものだろうか。さすがに「運動」時代は書けないだろうし。


 というわけで麻耶雄嵩神様ゲーム』を読む。


 探偵(=事件の「真相」を「言い当てる」存在)とは事件の完全な外部に立つことが可能な特権的な認識存在である、といったとき、その極限に現れるのは神なわけで、これこそは甘美な罠というか、ミステリという形式を破壊しかねない大技で、この作品の場合、神の存在を認めれば「真相」は最後に示されたとおりなわけで、つまりはそういうことになってしまうわけだけど*1、神の存在を否定してしまうと、とたんに「真相」を成す根拠の不在が明らかになり、事件の「真相」は消え去ってしまい、ただ個々の事象だけが後に残ってしまう。どちらにせよ救いようのない話。読了して持ったのは、フルスイングしたバットがすっぽ抜けてピッチャーの頭直撃、でも実はバッターの確信犯といった印象。こういう投げっぱなしジャーマンみたいな話、嫌いじゃないです。さすがにこういうミステリのアポリアを臆面も無くぽーんと投げだした話ばかりだと辟易するけれど「”ミステリー”ランド」といってるからには、一冊くらいあっても良いな、という感じ。さあ、何時でるか知らないけれど、法月綸太郎山口雅也はどうくるか。


 ところで、上でどのような読者が想定されているのかはどうでもよいと言っておきながら、読了後、これを子供が読んだ場合「真相」が明らかになった瞬間どんな反応をするのかと考えてしまい、三つの反応が思い浮かぶ。


反応1 普通の子 
「??? なにこれ、わけわかんない。井戸怖いー。血どばー。ぼあー」
 大抵の子供はこういう反応なのでは。ただ、ここでその読後感を覚えているかどうかで将来ミステリにはまる子がでるかも。これでミステリと名の付く作品が嫌いにならなければ。


反応2 良い子
「うわー、すすんでるなぁ。4年生なのにあんなことを、しかも相手が……」
 素直でおませな子。物事を文字通りに読み取る理解力と共感力。こういう感想を持った子が将来どうなるか楽しみ。


反応3 悪い子
「これ自作自演というかマッチポンプじゃない? そうじゃないとしたら、そうか、根拠の不在が明らかになってしまうと、「真実」はそれ自体として存在するわけではなく、ある視点からの解釈によって事後的に見出されるものということになるのか。偶然の出来事だろうとなかろうと、そこで起きた個々の事象を無矛盾に論理的な整合性を持って繋ぎ合わせられれば、どのような「真実」だってつくれてしまうのか。凄いなぁ」
 冥府魔道への第一歩。

*1:もちろん神が嘘をつくという可能性を考えず、直接的な罰(=天誅)を受けるのが犯人だと考えた場合だけど。