貧乳問答歌

 ここ数年、年末年始は友人と過ごすのが慣例となっている。今年は年越し鍋だということで、12月31日の夜、材料を買い込み友人宅を強襲する。皆がみな部屋に入りまず行うのが本棚のチェックというのは類友の証しで、微笑ましくもあるのだけど、その本棚の一角がハヤカワの青背で占められているというのが素晴らしい。アジモフコードウェイナー・スミスロバート・J・ソウヤーに加え、20世紀SFシリーズが全部そろっているのを見て、友人と「年頃の娘の部屋とは思えん」と囁きあう。一人は「あ、この部屋知ってる。○○(やはり友人の一人でSF070173濃い」男)の部屋だ」と言い、家主を落ち込ませていた。ちなみに家主は非常に可愛らしい妙齢の女性。いや、ル=グウィンジョアンナ・ラスとかジェイムズ・ティプトリー・ジュニアしかなかったらそれはそれで、怖いな。
 23時過ぎに友人が車で来たので、皆で乗り込み元朝参りへ。毎年参る神社は非常に混みこみで「みんなこの寒いのになにやってんでしょね」「さあ、みな暇なんじゃね」という会話をしながらお参りを終え、車の中に戻ったところで0時を向かえ、「今年も宜しくお願いします」と挨拶を交わし、去年もこんなことしてましたねと笑いあう。みなきっと「来年はお前らとなんかいるものか」と思っていたに違いない。


 ところで、私の友人にはその性格に比例してか反比例してかしらねども、比較的その、奥床しいというか、慎ましいというか、一言でいうとこじんまりとした胸の持ち主が多く、会話においてもそのことがよく話題になる。そこには様々なドラマがあり、名言・迷言の数々が生み出されているのだけど、万が一このブログを知人に見られたりすると怖いので個々の言及は差し控えさせていただくが、例えば、我々の間で「きょにゅう」というと自動的に「虚乳(虚ろな乳)」という言葉に変換されることが多い、というくらいは言っても良いだろう。元朝参りの帰り道、車内で話題になるのはまたこの乳の話。今回、話題になったのは乳格言。
その幾つかを紹介すると、例えば
・転ばぬ先の乳
・二階からおっぱい
・貧乳も胸の賑わい
・巨乳は双葉より芳し
・乳大きくして船山に登る
・老いても乳に従う
・一石ニ乳
・巧言令色少なきかな乳
・乳で乳を洗う

……といった話を友人宅に戻るまで六人で一時間近く続ける。皆別にテンションが高くなっているわけでもなく、お酒が効いている訳でもないのに、このようなやり取りだけで一時間近くも場が持つというのは良い友人に恵まれたと、新年早々しみじみとする。その後、戻ってきた友人宅で朝まで桃鉄をやり続け、これはきりがないという結論が出たため退去し、私は一路実家へと向かう。