コンドームは学校の廊下にある水道が壊れた時、蛇口にかぶせるために考案された、という夢を見た。本当に。

http://www.mezomorf.com/obituaries/news-16905.html
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20051222k0000m060019000c.html


 最近、知人の日記で知り、他にも色々なサイトで見て、今日見たら友人の日記にも書かれていたのだけど、本当にトレヴェニアン亡くなったのですね。うーん。全然実感がわかない。どれくらい実感がわかないかというと、ちょっと例えが思い浮かばない。戦争で行方不明人になっていた叔父さんが実は去年死んでいたということが明らかになったみたいな、適切ではないけど、って、これは実感とかではなく、普通に驚くところか。うーん。例が浮かばないけど、まあ、もっと高齢だと思っていたので。意外と若かったのね。
 この人の作品は大学1年の時、先輩に『シブミ』*1を進められて手に取り、はじめ帯の惹句に「悟りを開いた暗殺者」とあるのを見て、はてと首を傾げ、裏に書かれた「日本人より囲碁を学び、日本の心を身につけた男の波乱の半生」とか「〈シブミ〉とはありふれた、外見の裏にひそむ洗練、日本的精神の至高の境地をさす。1930年代の上海で少年時代を送ったヘルは、日本人の将軍から〈シブミ〉の思想を学び、修練によってその域に達していた」という文章に、「あの、これ『ライジング・サン』みたいな話ですか」「いやいや。まあ、読んでみてよ」と言われ読んでみたら無茶苦茶面白いでやんの。いや、「歪んだ」日本描写とかに対する皮肉な意味での「面白い」ではなく、物語として本当に面白かった。特に囲碁を挟んでされる形而的な会話とか。で、『夢果つる街』と『バスク、真夏の死』も読んだはずなのだけど、前者は「あー、あのおっさんの警官格好良かったなー」くらいしか覚えておらず、後者に至っては、えーと、確か、ガスコーニュ地方の人間がでてきて、あー、そうそう確か、二人でてくるんだよね。で、何だっけ、最後は完全武装した二人が「エスプリの赴くままに」数百人が守る敵地の真っ只中に殴り込みをかける話だっけ、いや、べらぼうに面白かった、隆慶一郎みたいな爽快感、先輩と二人して「私たちに足りないのは、ことに足りないのは、エスプリなのではないでしょうか。やはりエスプリですよエスプリ」「エスプリー!」「エスプリー!」という話をしたな、というような事ばかりが思いでてきて困る。

*1:いま、パラパラと読み返してみたところ、物語の主人公であるニコライは幼い頃「やや旧式な柔術」を習い、長じてからはそこいらへんにあるものを凶器として使うことに重点を置く「武芸の秘伝的一分派」の研究と鍛錬をし、その「精妙な闘技の数学的明晰さと計算された精密さ」に心ひかれ、絶対に人前では口にしてはならないその闘技の名前は「〈ハダカ〉と〈コロス〉を象徴する語を組み合わせたもの」とあるのだけど。これ、なに。前者は置くとして(あれか、バリツか?)、後者の「武芸の秘伝的一分派」というのは、作者一体、何を元にこんなの考えたのだろうか。