一寸の虫でも五分きざみ


 帰りがけ古本屋の軒下に置かれた均一棚をのぞいていると、蓮實重彦『陥没地帯』を見つける。哲学書房の方で値段は20円。河出の方も持ってはいるけど値段につられて購入。その後、他の古本屋の軒下で石川淳『普賢』『焼跡のイエス処女懐胎』を100円で購入。さらに他の古本屋の軒先で、最近読んだ坪内祐三新書百冊』の中で「古本屋でも全然見かけなくて、若い友人たちに手軽に勧めることが出来なくて残念に思っていた」と書かれ、気になっていたノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン』(講談社現代新書)をさくっと見つけ購入。100円。筆者のN・マルコムはケンブリッジ大学ウィトゲンシュタインに師事して以来、友人関係になった人だとのこと。坪内祐三をして「師弟の美しい思想の交流の物語として、絶対に面白く読むことが出来るだろう。特に、私同様二十代で(私は二十一歳の時にこの本を読んだ)この一冊に出会えたら感銘が深いだろう」と言わしめているこの本。電車の中で読んでいると次のような文が眼に止まる。

ウィトゲンシュタイン推理小説の雑誌が好きだったが、戦時中のイギリスでは手に入らないので、私はアメリカから定期的に雑誌を送った。彼のいちばん好きなものは、ストリート&スミス社から出ていた雑誌で、どの号にも短編の推理小説が四つ五つ出ているものだった。ウィトゲンシュタインは雑誌の小包が着くと、いつも知らせてくれたが、その手紙の一つに次のような個所があった。
(中略)
それからも、戦中戦後にかけて、彼は手紙の中で、何度も推理小説雑誌について、言ってきた。
  推理小説を君から送っていただけるのは有難い。なにしろ、当今は、おそろしく品不足で、僕の頭は栄養不足気味だ。推理小説は、精神的ビタミンとカロリーに富んでいる。米英武器貸与法の打ち切りによって、僕が受けた打撃は、この国で推理小説雑誌が不足をきたしたことだ。こうなっては、ケインズ卿にワシントンで米国政府に対して声名を出してもらいたい。小生の立場から言いたいことは、もしアメリカがわれわれに推理小説を提供してくれないなら、こちらとしては、哲学をアメリカに供給するわけには参らぬ。そうすれば、この勝負はアメリカの負けになる。ねえ、そうだろう?
(中略)
 あるときは、ウィトゲンシュタインは、ある作家の推理小説がたいそう気に入って、ムーアとスミジースにも読むようにと貸した。その上、おなじ作者に外にどんな作品があるか調べてほしいと私に言ってきた。


N・マルコム『ウィトゲンシュタイン』p28〜29

 ウィトゲンシュタインがミステリ好きだったとは始めて知った。いったいどんな作家を好んでいたのだろうか。何が酷いといってこの作者、ここまで書いて「ある作家」の名前をあげていないのだ。気になるではないか。この頃(1940年代)といえば、黄金期といわれるほどに本格が隆盛していた時代だからして、やはりウィトゲンシュタインもガチガチの本格を好んだのだろうか。


 話を戻すと、買った古本をかかえまた違う古本屋に入り棚を見ていると、ずっと探していた薄田泣菫著 谷沢永一 浦西和彦編『完本 茶話』を揃いで見つける。割合に美本で値段を見ると1200円。即決購入。やはり電車の中でパラパラとめくりながら帰宅したのだが、良い。どれくらい良いかというと、駅から家までの道のりを、さほど遠くはないといえ読みながら歩いてしまった程には良い。夢中で読み進めるというのとは少し違うとは思うのだけど、ふっ、ふっと読み進め、気がつくと家の近くまで来ていたからには、やはり夢中になったというべきなのだろうか。いや、それよりもこの場合、自分の足に驚くべきか。通いなれた道とはいえよく真っ直ぐに帰れたものだ。足は足でちゃんとものを考えてくれるらしい。


 さらに話を戻すと、『完本 茶話』をかかえ大分重くなった鞄を片手にいつも立ち寄る本屋に入ると、棚に高田衛『完本 八犬伝の世界』を見つけてしまい、ちくまということで恐る恐る値段を見ると1500円。ううう。中公の『八犬伝の世界』があるからいいかなとも思いながら、縦にしたり横にしたり斜めにしたりとしばらく弄んでいたけど結局購入。だって、巻末の回外冗筆で「中公新書版『八犬伝の世界』は、どちらにしても改訂か書き直しが必要であった。(中略)『八犬伝』研究が進展した今、これらは大幅に補訂すべきであり、かつわかりやすい形にすることには、大きな意義があると思った。(中略)タイトルに「完本」を加えたのは、これによって私の『八犬伝』論のあらましは漸く尽くすことができたという意味である。基本的には中公新書版の補訂版のように見えるかもしれないが(実際、補訂版なのだが)、根本的な著述の動機(『八犬伝』を脱近世的な著作として位置づける)において、同版とは別の本と諒解していただければありがたい」と書かれちゃな……。ええ、はい諒解致しましたとも。しかし、この時期に出すというのはまさか年末の特番を見据えて……なわけないか。ないよな。それにしても『里見八犬伝』といえば、建部綾足『本朝水滸伝』をどこか注釈なり現代語訳付きなりで文庫化してくれないものかしら。一冊、読みやすくコンパクトな形で持っておきたいのだけど。ありだと思うのだけどな。
 会計をすませ、今日は妙に「完本」に縁があるな、まさか他にはあるまいなと思っていると、二度あることはなんとやら、いや「完本」なのかといわれると困るのだけど、間羊太郎『ミステリ百科事典』を見つけてしまう。これ、いつの間に復刊したのですか。驚きました。しかもなんだか妙に分厚くないですか。手にとり見ると、北村薫宮部みゆきが対談しているのはまあ良いとして、「妖怪学入門」が収録されている。対談だけなら教養文庫版でいいやというのだけど、「妖怪学入門」は読みたい……。あああ、あざといぞ文春。文春文庫の紙質は嫌いなんだよと思いながら懐をさぐると、今日の買い物で些か使いすぎたもよう。泣く泣く棚を離れる。この人の小説、といっても式貴士だけで、蘭光生は読んだことないけれど、素晴らしくナンセンスで良いんだよな。エロでグロは置いて……おけないくらい溢れ、いや、駄々漏れているのだけど、妙にリリカルな部分もあったりして。『イースター菌』に収録されている「窓鴉」とかとても好きなのですけど、まあ、変な作家だ。
 それで他の棚を見ていると種村季弘編 『東京百話 天・地・人』、ロード・ダンセイニ『短編集 妖精族のむすめ』なんかが復刊されていて、え、ちくま二十周年で復刊フェアなんかやってるんですか、ああもう、なんだかもうどうにでもしてくれという感じ。