雨の古本市

 先週の土曜、日曜と二日続けて神保町に出向き「神田古本まつり」をぶらぶらと。
 五日もたてば記憶はかなり曖昧にもなるもので、家を出たときから怪しかった雲行きが、会場に着いてしばらくすると小雨がだんだんほんぶりになってきて辟易した記憶があるのみで、あれやこれやと手にしたものがはたして土曜やら日曜なのやら夢のようなものだけど、部屋の隅を見れば袋に入ったままの本があるところをみると、買ったのだけは確からしい。 

 思い出しながら書いてみると、まずどこかの本屋の軒先で五味康祐『柳生秘剣』を見つけたはず。確かこれは文庫に落ちてなかったと購入決定。300円也、そんなところか。他にニ、三冊買い込み、いよいよざんざぶりになってきたので、三省堂に避難。
 すると入り口のところでも販売会をやっていて、ふらふらと見ていると、探していたH・E・ノサック『文学という弱い立場』が400円であったのでほくほく顔になり購入。財布の紐をしめる暇もなく、横の箱に欲しかった種類の本を発見。能坂利雄『北陸の剣豪』というこの本、内容はしらねども、タイトルからして地方出版の匂いが漂う。手にとって奥付をみるとやはり金沢の出版社から出ているものだった。
 私はこの手の本、地方の出版社が出している郷土の武術を調査した本の類に目がなくて、例えば森嘉兵衛『南部藩諸賞流系譜・秘伝調査報告書』、米内包方『盛岡藩古武道史』、山本邦夫『埼玉武藝帖』、金光弥一兵衛岡山県柔道史』、戸部新十郎監修『剣聖草深甚四郎』、会津剣道誌編纂委員会編『会津剣道誌』、福田明正『雲藩武道史』、平尾道雄『土佐武道史話』、青柳武明『秋田武芸帳』、示野喜三郎編『加賀藩経武館武芸小伝 附武芸十八般概説』、諸田政治『上毛剣術史 上・中・下』……etc、などなどあるのだけど、如何せん市場に出ることがまずなく、よしんば出たとしてもとても手の届く値段にならない。
 5千、6千は安いほうで、1万、2万はざらもざら。値段などあってないようなもの。そうそう買ってもいられません。さてこれはと見てみると、なんと野口先生一枚でいけるではないですか。嬉しくて傍らにあった柴田流星『残されたる江戸』、金井美恵子『添寝の悪夢 午睡の夢』も手にとり、お会計。
 さて、2階でも冷やかすかとエスカレーターに向かうと何やら人だかり。何事かと見ると北方先生のサイン会が行われている。なるほどそりゃ混むわと、横目に通り過ぎようとしたら名前を呼ばれ、はてと振り向くと、しゃちこばった姿の先輩がいて仰天。「ど、どうも、どうも」とぺこぺこしながら2階へゆく。ああ驚いた。4階に移動し、北陸ものも買ったしなと、ついでに仲正昌樹北田暁大トークセッションの申し込みをする。
 その後、スタバで一服しながら買った本に目を通す。なによりまず『北陸の剣豪』に目がいく。略歴を見ると著者は三田村鳶魚と一緒に矢立会を立ち上げた人らしい。ほえー。中を見ると題名のとおり北陸由来の剣豪、武芸者を俎上にのせて色々と軽いスタイルで書いた読み物で、人口に膾炙した伊藤一刀斎富田勢源、鐘巻自斎、佐々木小次郎前田慶次郎といったところには取り立てて目新しい話や情報はなかったのだけど、地方史にしかその名前を見られないような人物の事跡が書いてあり、非常に面白く読む。例えば「阿佐女」という人物。『越佐人物伝』という本によるらしいけど、寛永年間中、越後新発田藩士速水某の娘として生まれた女性で、身の丈5尺6寸、というからだいたい、168cmで、色白、瓜実顔の美人だったという。薙刀の名手で9尺余り(約2m70cm)のものを得手としていたようす。武勇に優れているだけではなく、教養深く、さらにはかなりもてたようで、届く付け文数しれず。しかしながら、この女性、その付け文を集めておいて風呂の焚き付けに使ったという。なかなか面白い人だけど、さて、その腕前はというと、著者はこう記す。

 或夜、藩の若侍たちが、彼女を手ごめにしようと左右から迫ったことがある。
 阿佐はあわてることなく右からきた侍の手首を握ると、気合い諸共彼を投げた。投げられた男は往来の六尺の土塀の向う側に飛ばされて、悶絶した。残りの侍は驚いたが、思い余って太刀を抜き払おうとして刀の柄を握りしめた。しかし刀が抜けない。
 安佐がそのまま立ち去ろうとするので、追おうとして一歩踏み出した時、右腕がぐらりと前に垂れ、とめどない鮮血が手首からほとばしった。
 掌は柄を握ったままで、手首は安佐の懐剣をもって一刀両断されていた。
 いつの間に切られたのか、手首が離れて初めて討たれたことを知った。
 まさに一瞬の出来事であった。


能坂利雄『北陸の剣豪』p240


 いかにも講談のような書きぶりに、著者の創作が加わっているのではと怪しみたくもなり、種本の方にはなんと書いてあったのか気になるところだけど、まあ、凄い話だ。
 それにしても、軽い読み物とはいえもう少し参考資料をのせてくれてもよいだろうにと思う。


 多分、そのあとはすずらん通りをぶらついたのだけど、色々な出版社が出店をだしていて、冷やかしていると冨山房の出店を発見。のぞいてみると、冨山房百科文庫が置いてある。値段を聞くとすべて半額、10円単位は切り捨てだという。欲しいのがあったので買おうかどうか逡巡していたのだけど、会社の人なのだろうか店にいた婦人がとても素敵に上品な方で話しているうちになんだか楽しくなってきて購入を決めてしまう。
 というわけで二冊購入。きだみのる『気違い部落周游紀行』、薄田泣菫 谷沢永一 山野博史編『泣菫随筆』。新品同然なので美本美本。ついこの間、斎藤緑雨 中野三敏編『緑雨警語』を買ったのだけど、こんなことならもう少し待ってここで買うのだったと思いながらも緩む頬を押さえながらぶらぶらしていると、知り合いに遭遇。しばし立ち話をし、では、と立ち去ろうとすると何か買っていけというので出店を見る。だいぶ持っていかれた後なのだろうけど、数冊購入。一冊100円いいのかこんな値段で……。早川を見たら作家のサイン付で定価で売っていた。あざといことするなぁ。土曜の売り上げを人から聞いたのだけど、なるほど流石だ。桜庭一樹のサインが可愛くてちょっと欲しくなった。


 帰りがけ電車の中で『泣菫随筆』をぱらぱらとめくっていると、「『たけくらべ』の作者」という話があった。読んでみると、樋口一葉の思い出を書いたものだった。これはちょっと虚をつかれた。そうか同時代の人か。読み進めると、なんというか、とても良い文章で、ああ、もう、たまらない。二人は別段顔見知りというわけではなく、泣菫が一度だけ一葉のことを見たことがあったのだという。場所が上野の図書館というところが、らしいというか。これはちょいと良い文なので思わず引用。ちと長いけどどうせ明日休みだし。

 とある日のこと―時節はいつであつたか明瞭と覚えぬが、私はその日を思ひ出すごとにいつも梅の花が咲いてゐたやうに思ふ―私はいつものやうに図書館に往つて、何かの書物を借り出さうとして、目録を繰つていた。私の周囲には同じやうな年輩の若い男がごぢやごぢやと衝つ立つてゐた。その男臭い汗の香や、煙脂臭い欠去欠*1に交つて、ふと女の髪のなまめいた容子がするので、私はそつと振りかえると、齢は二十四、五でもあらうか、小作りな色の白い婦人が、繊弱な指先で私と同じやうに忙しそうに目録を繰りながら、側に立つた妹らしい人と低声で何かひそひそと語り合つていた。
 見ると引き締つた勝気な顔の調子が、何かの雑誌の挿画でみた一葉女子の姿そつくりであつた。もしやあの秀れた『たけくらべ』の作者ではあるまいかと思つて、それとなくじつと見ていると、その人はやつと目録を繰り当てたかして、手帳に何か認めようとして、ひよいと目録台に屈んだかと思ふと、どうした機会か羽織の袖口を今口金を脱したばかりの墨汁壺にひつかけたので、墨汁はたらたらと机にこぼれかかつた。周囲の人達の眼は物数奇さうに一斉に婦人の顔に注がれた。その人は別にどぎまぎするでもなくそつと袂に手を入れたかと思ふと、真つ白なおろしたての手巾を取り出して、さつと被せるが早いが手捷く墨汁を拭き取つて、済ました顔でこつちに振りむいた。口元のきつとした……そして眼つきの拗ねた調子といつたら……
 その折ちやうど図書館掛りの方で、
「樋口さん……」
といふ呼び声が聞こえた。するとその人は、
「はい」
と清しい声でうけて、牛のように呆けた顔をした周囲の人を推しわけてさつさとあちらへ往つてしまつた。


薄田泣菫 谷沢永一 山野博史編『泣菫随筆』p175〜176


 「牛のように呆けた顔をした周囲の人」との対比で一葉の涼しげな姿を鮮やかに描き出しているわけだけど、ほとんど片思いをしている男性の文章にも読めてしまいなんだかこそばゆくなる。同じ日の午後、泣菫はもう一度、一葉の姿を見かける。一葉の鼻緒が切れたらしく、妹らしい女性がさきほど墨汁を拭いた手巾を切り裂いて鼻緒を直す。その肩先に手を置いて、じっと待つ一葉。やがて鼻緒がなおり、二人は笑いながら去ってゆく。その姿を思い出しながら泣菫は書く。

 ほんのそれ限で、何のことはないやうなものの、しかし私にはその折の皮肉な眼つきときつとした口元とが、ちようどあの人の有つて生れた才分の秘密にたどり入る緒のやうに思はれて、『濁り江』を見るにつけ、『十三夜』を見るにつけ、また『たけくらべ』を読むにつけて、あの眼から、あの口元から閃いて見えるその人柄の追懐が、どうかすると女流作家と男性の私との間に横たはりがちな一重の隔たりを取り除け得るやうな気持ちがする……思ひなしかは知らないが、あの眼つきにはわれとわが心を食みつくさねば止まない才の執念さが仄めいてゐた。


薄田泣菫 谷沢永一 山野博史編『泣菫随筆』p177

 さては泣菫惚れたな、とついつい下世話なことを思ってしまうくらい一葉の印象が鮮烈で、向ける視線が妙な熱を帯ている。そのあと金井美恵子『添寝の悪夢 午睡の夢』を読んでいたらこんな文章があって爆笑。

 伝記によれば、アンデルセンは一生独身で、しかもそればかりか、何回か激しい恋をしたにもかかわらず、一度としてその恋を受け入れられたことがなかったという。ようするに、しつこすぎるのは嫌われる、ということで、単純にしつこい男ならそう嫌われもしないが、内気なくせにしつこく、しかも複雑に精神的のにおいまでさせていて、おまけに一芸に秀でる点に関しては自信たっぷり、とあっては覿面肘鉄を喰う以外ないだろう。


金井美恵子『添寝の悪夢 午睡の夢』p282


 この文章を引用したのは、別に泣菫がどうこうという話ではなく、何となく、「女流」というところ以上に、「女流」というだけで「才気煥発」というような言葉を使われてしまう、この二人の作家の存在というか扱われ方に似たものを感じてしまったからだったりする。それにしても金井美恵子、良いこと言うわ。さて、明日も古本市だ。寝よう。

*1:「欠」に続いて、「去」と「欠」が合わさった「去欠」という字で「おくび」と読ませている。恥ずかしながらこの用法、というかこの「去欠」という字、知らないのだけど何て読むのだろうや?