だんだん寒くなるにつれて、私の中の何かが根菜を欲しだす。


 朝起きると、まだ夏用の薄い布団の中にもぐっているよりもさっさと熱いシャワーを浴びたくなるくらい寒くなってきたなと思っていたら、豚汁が食べたくなる。飲みたく、ではなく食べたく。最近ではあまりしなくなったというが、私の郷里ではこの時期になると、近所の人を家に招き大鍋にいっぱい豚汁をつくって食べるという習慣があり、この時つくる豚汁というのが、それはもう非常に具沢山で、以前、何かのCMで「食べる味噌汁はじめませんか」なるキャッチコピーがあったように記憶しているのだが、樹木希林田中麗奈がでていたのは覚えていて、確か樹木希林扮する母親が朝方からやたらに野菜の入った味噌汁をつくり、朝からしっかり食べようね、みたいな感じで、新生活習慣とかいっていたのだが、我が母のつくる豚汁はそんなものではなかったぞ。何に例えればよいか。一つの例として上げてみると、筑前煮の汁が多い状態、あるいは煮染める前の筑前煮のようなもの。あるいはカレーのルーを入れる前の状態というか。
 具は大根、人参、里芋、レンコン、舞茸、椎茸、ねぎ、牛蒡、こんにゃく、そして当然、豚肉。我が家ではこれを大鍋二つで40人前くらいつくっていたのだが、翌日にはほとんど残っていなかった。翌日の朝はやく起きて、しんとしている家の中で、具が溶けて濃厚になった汁を温めなおし、熱々になった汁を啜りながら一人テレビを見るというのは、子供ながら中々に侘しくも楽しいものだった。
 家の流儀にしたがってつくろうかとも思ったが、一人暮らしの我が身ではつくりすぎても悪くするだけなので、いささか量を減らし、材料も少し変える。とりあえず嫌いなねぎはパス。
 大根、人参、里芋、牛蒡、こんにゃくを購入。豚肉は、先週、安く手に入った豚のバラ肉の塊を塩漬けにして、この一週間、パンチェッタ代わりにしていたものが、まだかなり残っていたのでそれを使う。
 鍋を熱しゴマ油をしく。バラ肉を食べやすい大きさに切り投入。肉の色が変わったら、大きめのいちょう切りにした大根を入れ、しばし炒める。大根がうっすらと色付いたら、人参、レンコンを入れさらに炒め、全体に油が回ったら具が被るくらい水を入れる。そこに砂糖を少しと酒を入れ、さらに半分に切った里芋、ささがきにした牛蒡、下湯でしておいたこんにゃくを入れる。煮立つにつれアクが凄い勢いで湧いてくるのひたすらすくう。ちなみに郷里では、これだけは私の仕事だった。長年の鍛錬の結果、齢16にして、おたまにすくったアクに息を吹きかけ、表面のアクだけを除いて、旨味のつまった汁だけを鍋に戻す、という高等技術をものにしたにも関わらず、汚い、という理由で母に怒られた。母はこうした職人芸に理解をよせることなく、例えばカレーの隠し味にココアやチョコレートを入れるという私のアイディア、およびその実践にも、拳骨という非理性的手段に訴えたものだった。閑話休題。それはさておき、アクがひけ、野菜に火が通ったところで、味付けにうつる。我が家では醤油味、味噌味の2パターンがあり、母のその時の気分で決まったものだが、私は昔も今も、そしてこれからも断然味噌味が好きなので、味噌で味付けする。最後に味を見ながら少々の醤油をいれ、できあがり。熱々のところに七味をふりかけ、息を吹きかけ食べる食べる。塩漬けにしておいた豚肉のねっちりとした歯ごたえと旨味、野菜の甘味と歯ざわり、濃厚な味噌の旨味に七味のぴりりとした辛味。汗を流しながら立て続けに二杯食べる。さすがに満腹。結構残ったので、明日の朝ごはんしようかと思う。問題はパンと合うかだ。