せいろうに のの字のの字と 蕎麦でかく


 文藝春秋編『なんだか・おかしな・人たち』を読み終わる。
 古今亭志ん生「酒と女と貧乏と」の何ともユーモラスな語り口に大いに笑う。僅々12ページの本文に何回笑ったか数え切れない。電車の中で読んでいたのでとても困った。それにしても何でこう落語家には面白いエピソードがいっぱいあるのだろう。

 私は酒となると目のない方で、今は何とか暮らしてゆけるようになったから、なるべく上等な酒を飲んでいますが、金がなけりゃあ、どぶろくだって、芋の焼酎だって飲みます。酒は体にいいものですよ。此の間、知ってる人が脳溢血で倒れましたが、焼酎をガブガブ飲んだら治っちまった。焼酎で血管を消毒したわけなんでしょうな。


古今亭志ん生「酒と女と貧乏と」(文藝春秋編『なんだか・おかしな・人たち』p23)

 戦争前に満州に渡り奉天で敗戦を迎えた志ん生はそこで無条件降伏と聞かされカッとくる。しかしながら男は出刃包丁で戦車に立ち向かえという話にこりゃ駄目だと青酸カリを手に入れて自殺してやろうと思う。それが医者に青酸カリを買いにいったところ断られてしまう。

 そこでウォツカがあったのを幸い、これを飲んで死んじまおうと思ったのです。ウォツカは一本飲むと耳が聞こえなくなるといわれる位に強い酒ですが、それを一晩に六本飲んでしまった。そして、ひっくり返って、そのまま死ぬ筈だったのですが、目が覚めてみると生きている。胸が焼けて、気持ちが悪くてどうにもしょうがない。水を飲みたいけれども、向こうは水が悪いから、飲むと死んじまう。七転八倒の苦しみをしているうちに夜が明けて体はもとに戻ってしまった。それっきり未だにケロリとしている。私は余程体が丈夫に出来ているんですね。


同上(文藝春秋編『なんだか・おかしな・人たち』p32)

 ちょうどお酒を舐めながら矢野誠一「酔いどれ貴族・笑福亭松鶴」を読んでいたらこんな話があった。祖父、父と二代続けて名人を排出した筋金入りの芸人一家に生まれ自身も上方落語会の重鎮となった笑福亭松鶴(六代目)だけど、お酒の方も幼い頃から父親の薫陶をうけ物心つくころからその膝に抱かれ晩酌の相手をつとめたという。

 小学校へあがる頃には、五合のんでも、どうということはなかったというから、いっぱしの酒のみである。生まれ育った京町堀というところ、東京の築地みたいに魚河岸が近い。起きると、いいネタのある寿司屋で一杯ひっかけ、寿司をちょいとつまんでから学校へ行った。これが小学生の朝めしなのである。五年生時分になると、授業を終え、家へ帰り、ひと風呂あびてから、関東炊き、東京でいうおでんでもって、じっくりと飲むのが、このうえない楽しみだったというのだから、恐れ入る。
「その時分のこってすさかい、こんなガキが酒飲みくさってと、巡査にみつかると、えろうおこられて」


矢野誠一「酔いどれ貴族・笑福亭松鶴」(文藝春秋編『なんだか・おかしな・人たち』p209〜210)

 なんだか酒飲みの話ばかりを取り上げてしまったけど、もちろんそれだけではなく戦後の貧窮生活を飄々と描いた吉田健一「宰相御曹子貧窮す」、土田玄太(田中小実昌)が貧乏学生の頃にした「やくざアルバイト」の話、獅子文六との親交を描いた徳川夢声獅子文六行状記」などなど面白い話が満載で非常に満足。この文章で知ったのだけど獅子文六と内田百閒の初顔合わせに徳川夢声が関わっていたのだという。これは驚いた。夢声の百閒評がまた振るっていて「百閒こそは”百賢”であり、また”百剣”であり、また”飛躍拳”であり、”冷ッ見”である」ことを実例を持って獅子文六に話したのだという。初対面のやりとりも非常に面白い。百閒と文六のどこか子供じみた内気な様子が微笑ましい。

 それにしてもこの手のアンソロジーを読むたびに思うのだけど、Aについて語るB、Bについて語るC、Cについて語るD、Dについて語るE……と順繰りにいき、最後の人物についてAが語って終わるようなアンソロジーというのはないものかしらん。どこがというわけではなく何となく面白いように思うのだけど。それとも私が知らないだけでじつはあるのだろうか。