せいろうに 蕎麦でかかれた のの字かな


 見出しに俳句紛いをおいたのは別に先日見にいった『タナカヒロシのすべて』で鳥肌実扮する主人公・田中弘が通う「テルミンと俳句の会」でのやりとりに触発されたからなわけでは決してなく、今日の昼下がりに大好きなそば屋でそば味噌を舐め舐め焼き鳥をつまみに燗につけたお酒を楽しんだ余韻が未だじんわりと体に残っているからだったりする。
 昼酒はきくというけれど確かに一合飲んだだけで覿面足にくる。もりを手繰りそば湯を飲みながら、そろそろそばの端境期だなと思いながらもこれまでその時期に食べて気になったことは別にないのでそれはどうでもいいや。そばの香りがなくなるというけれど暑い季節にはそのつるつるとした喉越しで得られる清涼感だけでも楽しめるし、と思いながらもその後にくる新そばの季節に胸ときめくものがあるのもまた事実。淡く緑がかったそばを奥歯で噛みしめた瞬間鼻腔をぬけるかそけき香りに陶然としているうちに気づくと食べ終わり香り以上にはかないその量になるほど幽玄とはこのことかともう一枚追加し今度はゆっくり、といってもそれなりのはやさで食べてしまいせいろに残ったそばを一本一本いじましくかき集め口に運びそば湯を飲みゆるくくちくなったお腹をかかえ外にでるというのはよいもんだなと思う。
 さらにもう少しすると鴨なんが始まる。鴨の脂が浮いた熱々の濃厚な汁に絡む蕎麦とねぎの甘味、野趣のある鴨の抱き身、骨ごと潰した鴨のつくねの旨味、後口をさっぱりさせる柚子の香りといやもう間然とするところがないのだけれど冷たくしめられたそばを熱々の汁に浸して食べる鴨せいろもたまらずその味を思うだけでしあわせになり今から涎が沸いてくるのを止められない。ああ、はやくこないかな冬。冬。冬。
 仄かに頬を染めながら夕暮れせまる古本屋街をそぞろに歩く。これが晩秋や冬のはじめだったなら冷たい風が火照った頬に心地良いのだろうけど、いかんせんはや梅雨も明けたかと思うような気候にいささか辟易する。ほんとはやくこないかな冬。耐えかねて冷房のよくきいた古本屋に逃げ込み並べられた本を見ているうちにあれもこれもと欲しくなり気づくと体以上に懐が冷え冷えとしているのはいつものことかと笑うしかない。結局、高田衛『新編 江戸幻想文学史』、杉山二郎『遊民の系譜 ユーラシアの漂泊者たち』、日本文学全集57『中山義秀集』、藤森清『語りの近代』、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『星ぼしの荒野から』を購入。
 移動して近所のブックオフを見ていると、三田村鳶魚の『公方様の話 鳶魚江戸文庫10』、『武家の生活 鳶魚江戸文庫11』、『お大名の話・武家の婚姻 蔦魚江戸文庫25』、『江戸生活のうらおもて 鳶魚江戸文庫30』、『江戸ばなし 鳶魚江戸文庫35』がすべて100円で置いてあった。状態を見ても新刊同然の美本。値札が貼りなおしてあるので在庫がだぶついたのだろうか。それにしてもと自分の目を疑う。何て良い日だ。とうぜん全て購入。ちまちまと集めてきたけれどこれであと残り10冊とちょっと。先が見えてきた感じだ。