今更ながら


 昨日、本当に久しぶりに馴染みの本屋に出向き新刊を見ていたら、どうやら今年も書物復権フェアが始まったもようで平棚に四角張った本がところ狭しと並べられていた。
 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス―東洋哲学のために』 、宮本常一菅江真澄(旅人たちの歴史 )』、サイード『世界・テキスト・批評家 』あたりに食指が動くも購入せず。
 それにしても一読者としていえばこれらの本は図書館で借りて読むことができてしまうためさほどの感慨もわかないのだけど、常に手元において読む必要がある人にとってはやはり嬉しいのかな。
 しかしながら、一度絶版になると中々見つけることが難しかった時代ならまだしも、ネットで簡単に古本を探せ購入できるようになったご時世に、このような形での復刊にどの程度の意義があるのかよくわからないところもある。確かに復刊される本の中には古書として高値をよんでいるものがあり、それがこのように手軽、とはいえないにしても、相対的に安い値段で購えるようになるのは良いことだとは思うのだけど、うーん。実際のところどれだけ売れているのだろう。赤字を量産しているだけなのではと思ってしまう。いや、「必要な」赤字があるというのも分かりはするのだけど。うーん。


 それはさておき、復刊された書物の中に、西郷信綱・廣末保・安東次男編『日本詞華集』を認めて驚く。
 およそ五十年前に発行されたこの本は日本の古代から近代までの俳諧、和歌、歌謡、連歌、近代詩を集めた詩歌のアンソロジー記紀風土記万葉集、古代の宮廷で歌われた神楽歌などを集めた古代篇、新古今から風雅和歌集、連歌は筑波集に犬筑波集、歌謡は梁塵秘抄などを集めた中世篇、芭蕉、蕪村、一茶から、賀茂真淵の和歌まで入った近世篇、小学歌唱集、北村透谷、上田敏三好達治西条八十などの詩に啄木や白秋の短歌、正岡子規河東碧梧桐の俳句を始めとして数多くの人名が並ぶ近代篇の四部構成からなるのだけど、ただのアンソロジーとはわけが違う。西郷信綱・廣末保・安東次男という錚々たる顔ぶれが編み上げたこの本は日本詩歌の精髄をまとめた、それは取りも直さず”日本語”を濃縮させた偉大なアンソロジーである、というのは私が昔お世話になった人の言葉で、私自身はこの本を始めて知ったとき、そんなもんか、と思っただけだった。


 私は十五歳の頃、ある老夫婦に個人的に勉強を教わっていた。二人とも高校の教師を長年勤めてきた人達で、退職後、彼らにいわせると「惚け防止のために」個人塾のようなものを開き、下は中学一年生から上は高校二年生まで六人ほどの生徒を教えていた。
 奥さんは高校で英語を教えていた人で、塾でも中学から高校までの英語を教えていた。彼女は退職後にピアノを始めたらしく、よく勉強後に覚えたばかりだといって少し恥ずかしそうにその腕前を、お世辞にも「上手い」とはいえなかったけど、披露してくれて、それを苦笑とも微笑みともつかぬ表情を浮かべて見ていた旦那さんの姿をいまでもよく覚えている。
 旦那さんは大学でテツガクを修めたとかいう人で、高校では倫理を教えていたという。では塾でも倫理を教えていたかというとそうではなく、中学から高校までの数学を教えていた。何故、数学を教えようと思ったのかと聞くと、「はじめは退職後の暇つぶしで数学をやっていたらだんだん面白くなってきてのめりこんでしまい、気づくと数Ⅲ・数Cまで手をつけてしまっていた。で、奥さんが若い人に英語を教えたいというので僕もそれに便乗したんだよ」といっていた。その時は、必要でもないのに自分でなにかを、ましてや数学なんかを勉強するなんて変な人だな、と思った。いまは何となく先生がいったその「面白い」という感じがわかるような気がするけれど、そもそも、若気のいたりというか、歳相応に生意気だった当時の私としては、大学で「テツガク」なんていう「言葉をただひねくりまわすだけのなんの役にも立たないもの」を勉強したという人に対する偏見があり、といってもそんなふうに思っているなんてことは色にもださないくらいの、羞恥心、というかそれも一種の衒いというか、可愛げがないというか、でもそのことを自覚しているから必要以上に媚を売ってしまうというか、「子供」らしいと思われるのが嫌で、より一層「子供」らしく振舞ってしまうというか、要するに歳相応に嫌らしくもあったわけで、「先生、大学でテツガクなんて勉強してなんかの役に立ちましたか」なんて、そういう揶揄するような思いを自分が持っているのではないかと思われているのではと考えるだけで恥ずかしく、ことさらに、「自分もその分野に興味はあるけどよく分からない。でも、そういうものを勉強してきた先生は凄い」というスタンスを崩さないでいた。しかしながら、歳の功というか、先方も、こちらのそういう「生意気」なところはお見通しだったようで、どこか苦笑気味というか、まあしょうがないかという感じで見ていてくれていたようで、それに加え、これは私の贔屓目かもしれないけど、そういう「生意気」な私に目をかけてくれていたようで、とても可愛がってもらった。
 あるとき、勉強に疲れて気が緩んでいたのか、ぽろりと「テツガクって面白いんですか」というようなことを口にしてしまったことがある。そのとき先生はにこにこして、「あれほど面白いものはないね。哲学というのは自分のものの見方を常に問い直す作業という面があるのだけど、自分がどうしてそう考えるのかという事を考えているとわくわくしてくるね。数学だってそうだよ。問題を解く過程や答えが何故そうなるのかというのを考えていると楽しくなってくるでしょう」というような事をいった。その言葉よりも、それを語る先生の表情に、ああ、なるほどこの人は文字通り「知を愛して」いる人なのだなと思った。
 薄い髪が全部白くかわり、ぽあぽあとした長く濃い眉毛も白く、七十を少し超えたくらいだったと思うのだけど、穏やかながらどこか飄々とした人だった。数年後、私は自分がお爺ちゃん萌えの人だと自覚したのだけど、おそらくその遠因は私の祖父とこの先生にあるのだと思う。


 先生の自宅は古い文化住宅で、その二階の畳敷きの六畳間で週に二度、一教科一時間ほど勉強を教わっていた。勉強が終わると奥さんが手作りのお菓子をだしてくれて、それがとても美味しかった。
 いつものように自宅へお邪魔して数学の問題に取り組んだあと、お菓子を頂きながら雑談をしていると、先生が「ちょっと待っていて」と何かを思い出したように奥の部屋へ入っていった。やがて戻ってきた先生の手には一冊の本があった。そして、「いやぁ、良い本が手に入ったんだよ」と嬉しそうに見せてくれたのが件の本だった。ネットなんていうものが全く普及していない時代である。何でも懇意にしている古本屋に頼んでいたものがようやっと手に入ったのだという。先生はいかにこの本が素晴らしいかをそれはもう楽しそうに熱っぽく説明してくれたのだけど、正直私にはその良さがわからなかった。記紀の時代から現代までの詩の変遷が俯瞰できることの素晴らしさや、それらを編した編者の業績や眼力を褒めていたけれどぴんとこなかった。
 まさか自分が数年後に、定住民の日常的な場に対置されるものとしての「悪場所」の分析を通して、日常を侵犯し遊行漂白する人々の歴史、空間を描いた廣末保『悪場所の発想』や、西郷信綱の一連の古代研究、とりわけ「注釈」という行為が実は恐ろしくスリリングなものなのだということを教えてくれた『古事記注釈』などに夢中になるとは知るよしもなく、その時はふんふんと相槌をうちながら話を聴いていた。
 そもそも歌なんてものにまったく興味がなかった。ただ、そのとても楽しそうな様子に、こんな風に自分の好きなものを語れるというのはいいな、と思い、この頃には大分付き合いも深くなり、その人柄に深い敬意を抱いていた私は、歳を重ねても好奇心を失わず、しなやかな知性を保つことができるのが先生の学んだ「テツガク」のおかげなら、「テツガク」というのも悪くないものだなと思ったりした。数少ない、恩師といえる人の一人かもしれない。
 その後も折に触れこの本は開かれ、先生の好きな歌をいくつか教えてもらいその意味を講釈してもらったりしたのだけど、殆ど覚えていない。
 昨日、書店で再会した懐かしさにパラパラとめくりながら、これは買ってもいいかなと値段を見たところ、予想の1.5倍ほどのお値段にそっと本を棚に戻した。先生ごめんなさい。でも、いつか買います。