思えば彼の作品からは「fuck yes」というスラングを教わった。


 東京創元社のサイトを見ていて快哉を叫ぶ。
http://www.tsogen.co.jp/wadai/0505_02.html
 ようやっとドン・ウィンズロウ「ニール・ケアリー」シリーズの最新刊が訳出されるとの事。長かった。またドアを開けるとジョー・グレアムがいるのだろうか。そして心優しき愛すべき皮肉屋ニールは相変わらず事件に巻き込まれ傷ついてゆくのだろうか。必死に減らず口を叩きながら。四作目には他の出版社から出ているドン・ウィンズロウ作品に登場する人物が出てくるみたいなのでそれも楽しみ。
 そういえば『仏陀の鏡への道』から『高く孤独な道を行け』までの3年間、二ールは寺院で「伏虎拳」という武術を修行したという設定があったように記憶しているのだけど、そういう名前の門派を聞いた事がなかったので調べてみると、どうやら実在はせず作品上のものらしい。ただ、調べている過程で洪家拳の中に「伏虎拳」という名称を持つ套路(型)がある事を知る。


 洪家拳といえば『拳児』(原作 松田隆智*1 作画 藤原芳秀)という漫画を思い出す。これは、幼い頃、祖父から習った中国武術八極拳に魅了された少年剛拳児が中国で消息を絶った祖父を探すため旅立ちその過程で様々な経験をし、やがて人として大きく成長を遂げるという、恋や友情、闘いや冒険ありの典型的なビルドゥングス・ロマンス。この作品は中国武術に限らず随所に挿入される様々な武術、武芸、武道の達人の逸話も興味深かったのだけど、その中で初め主人公のライバルが修めていた武術や香港で出会う人物が修めていたのが洪家拳だった。確か「ハンガーキン」とか表記していたように思う。
 ところで、今まで読んできた範囲内で判断するに、漫画に登場する中国武術もしくはそれに類する漢字を多用した名前を持つ武術と言えば、作中に登場するキャラクターの強さの説明理由としてしか機能していなかったように思う。それは「Aは強い。何故ならば中国拳法をやっているからだ」程度の、”中国”の”武術”という二重の神秘性が付与されたイメージに寄りかかった安易なもので、技術・思想体系、及び流派固有の歴史性を無視したいくらでも置換可能なものだった。別にある特定の門派でなくとも、”中国武術”というイメージを持つものならば何でも良いというような。だから必然的にその説明は適当であり、もしくは極度に幻想化されるきらいがあったのだけど、そんな中、管見の及ぶ限りで『拳児』は相対的に飛びぬけて精度の高い情報を盛り込みながらも、トリビアルな情報に拘泥して物語が破綻するというようなこともなく少年漫画的な意味での成長を描く事に成功した稀有な例*2だと思う。
 数多くの武術が登場する中でも、主人公の使う八極拳の描かれ方は非常に格好良く、本編完結後に書かれた外伝に登場する李書文という狷介孤高な人物も八極拳を使うのだけど、それがまた藤原芳秀の墨を用いたような流麗で力強い線で描かれると無双に格好良く、本作品が日本での八極拳人気の火付け役になったといわれるのもむべなるかなと思わせる。この作品に影響されて八極拳を始めた人はかなりの数だとか。


 余談だけど以前中国に旅行した際*3、同行した知人の紹介で日本人留学生と話した事がある。
 前々から「彼は八極拳をやっていて、『拳児』という漫画も彼から教えてもらった」と聞いていたので、会う前から楽しみにしていた。食事をしながら「やはり八極拳は『拳児』の影響で始めたのか」と尋ねたところ、首を振る彼から返ってきたのは驚くような答えだった。
 彼は九州の方の出らしいのだけど、何でも「中学生の頃、隣の家に住んでいた中国人が庭や公園で空手のような変な動きをしているのを見て興味を持った」のだという。
初めは全く教えて貰えなかったらしいのだけど、彼の熱意に負けたのか、それとも彼の父親がその家を紹介したという縁からか、いつしかぽつりぽつりと教えてくれるようになったという。それが八極拳という中国の武術だと知ったのは暫くしてからだったとか。他にも『拳児』は高校生の時、武術を習っている事を知っている友人に「拳法が出てくる面白い漫画がある」と進められたので読んでみたら自分が習っている武術の話で驚いた、という話を聞いたように思うのだけど、何分そこまで話が進むまでに大分お酒が入っていたので記憶が鮮明ではなかったりする。ただそのあと彼の口から出た言葉が非常に強く印象に残っている。曰く。
「結局四、五年近くやったのだけど、師父が言うには『これで基礎的な事は全て教えたが、これ以上の事は拝師式を行い君を正式な弟子としなければ教える事はできない』と言うので、正式な弟子にして下さいと言ったところ、『すまないが私は正式な弟子を取るつもりはない』と言って中国に帰ってしまった」と。
 他の門派でもそうなのだけど八極拳も習い伝えられた人物によって様々な伝系に分かれている。まんま物語になりそうな話だと思いながら、彼に「あなたが習ったのはどのような系譜だったのか」と尋ねたところ、「あー、知らんわ」と言われる。気を取り直し「では今でも套路(型)はやっているのか」と聞くと、「たまーにね」と言われた。麻雀の大好きな声の大きいナイスガイだった。それにしても凄い話だ、という感動に打ち震えながらその夜は徹夜で麻雀大会になってしまった事を懐かしく思い出す。東一局目、親である知人のハイテイリンシャンツモ四暗刻で始まった麻雀大会を。

*1:余談だけど武田鉄也が『刑事物語』を撮る際、役作りのため彼に中国武術(確か秘門蟷螂拳)を習ったとか習わなかったとか。

*2:他には藤田和日郎『掌の歌』(『夜の歌 藤田和日郎短編集』収録)とか。手にのった柳絮に涙腺を刺激される。あとは村上もとか『龍―RON』とか、これは微妙な気もするけど"中国武術"の幻想性と漫画としての物語性が高いレベルで融合していると感じる『スプリガン』(原作 たかしげ宙 作画 皆川亮二)あたりか。朧が格好良いし。と、ここまで書いてきたところでどうしても題名が分からずネットで調べたのだけど判然としない漫画があった事を思い出す。うああ気になる。確か80年代のコロコロに連載されていたもの。小学校が舞台で、中国武術の達人の用務員さんが放課後部活のような感じで小学生に武術を教えるというような内容だった気が……。手にのせた小鳥が飛び立とうとした瞬間その気配を察知して飛び立つ事ができないようにする場面を強烈に覚えている。真似してもできなかったから。うああ、あれは何だったんだ。『ドラゴン拳』ではない。『秘拳伝説 獅子王伝』でもない。ましてや『あほ拳ジャッキー』でもない。あああ気になる。……とまたさらに調べていたらそれらしいものを発見。魚戸おさむ『熱拳カンフークラブ』というやつだと思う。少しすっきりした。まさか魚戸おさむだったとは……。

*3:さらに余談だけどこの旅行では少林寺も見に行った。ちょっと面白いことがあったのでその時の日記から引いてみる。「7時過ぎに起床。だらだらと用意し8時頃出発。バスターミナルを探し歩く。日光の下で見る街の印象は昨日とさほど変わり無し。とても賑やか。バスターミナルを発見し乗り込むも一向に発車せず。三十分ほど待ちようやく出発。熟睡。気付けば武術の聖地・嵩山少林寺。稽古をしている人の数が尋常ではない(日本に帰ってから知ったのだが少林寺の武術学校には数万の生徒がいるらしい。でかい大学の生徒全員が吻・破とかやっているようなものかと思い、キャンパスの至るところで稽古している光景を思い浮かべればその異様さが分かるかも)。道端でお婆さんに声をかけられ話していたら下でぶんぶんと物凄い勢いで棒を回したり散打をしたりしている子供達を指差して「混ざっていかないか」という。意味が分からない。どうやら師範クラスの人だったらしい。仕掛けたら殺されてたかな。そうこうしている内に少林寺到着。二人は興味ないというので一人お堂を探す。見つからず途中行き会った坊さんに筆談で場所を尋ねる。ようやく寺院の奥まったところにあるのを発見。石畳に所々見える足跡のようなものを見て感慨に浸る。これが武術修行で凹んだという後か。本当か? おかしいよこれ。割れているのもあるよ。その後、道を教えてくれた坊さんに礼をしにいったところ懐から小さな仏像(?)を出され買わないかといわれた(のだと思う)。まあ、道も教えてくれたしいいかと思い幾らかと尋ねると、指を一本立てる。ああ、十元かと思いお金を出す。懐から札束が出てきて驚く。そこに私が払ったお金を納め何事もなかったように立ち去っていく。少林寺の坊さんは金もっとるのぉと思いながらIとYにその事を話したら「それはボッタクラレタのでは」という言葉を貰う。そんな君たちかりにも仏に仕える人がそんな事をするわけないじゃないか人は信じなきゃいけんよと思いながら歩いていると、道端に私が買ったのと同じ様な仏像を発見。二元。ボッタクラレタ。殺す。しかし仕掛けたら間違いなく殺されていたと思う。『坊主にボッタクラレル坊主にボッタクラレル坊主にボッタクラレル』