トカトントンにうってつけの日


 一晩明けると無職になっていた。
 先達て大学の卒業式があった。全体の卒業式は入れ替え制で、幾つかの学部が合同で行うのだけど、私のは午後からだったので古本屋を冷やかしながらぶらぶらとキャンパスへ向かう。
 思えば卒業式は小学校以来なので妙にわくわくする。ここ何年も緩やかに強制された状況での詰まらなさを味わう機会というものがあまりなかったので何だか新鮮かも、と思ったのは初めの数分だけで、広い会堂は段々寒くなってくるし、話は長いしで眠くなってきたのだけど、それもまた何だか楽しく。どうやら私はこういった式典の詰まらなさや退屈さが割合に嫌いではないようで、修学旅行で別に行きたくもない場所を巡る時の皆でぶつぶつ言い合う気だるい楽しさというか、詰まらなさを味わう楽しさというか。そういう楽しさは確実にあるのだと思う。そういえば各学部の総代がいたけど本当にいるんだな総代って。何だか良いものを見た。

 その後、場所を移し学部別の卒業式。最後の校歌斉唱は生演奏付きで中々の迫力。面倒くさかったのと、歌詞を良く覚えていないのとで、周りが唄うのをぼんやりと聞いていたのだけど、段々と何だか良い気分になってきて、唯一知っているフレーズのところだけを口ずさんでいるうちに何故ともなく感慨が沸いてきて、学生生活を思いだし我ともなくしみじみとした気分に浸り、胸の奥の方で何かがもぞりと動き、最後の大合唱に至り感極まりそうになった、その時です。何やら後ろの方で金槌で釘を打つようなトカトントンという音が幽かに聞えました。とたんに私ははかない夢から覚めたような、白々とした紗を隔てて周りを見ているような、何とも冷やかな気持になってしまったのです。それを何だかもったいないように思うのはきっと私が精神的な吝嗇家だからなのだろうと思い。ああ、せっかくセンチな気分になってたのにな……。


 学位授与も無事済み、その夜は友人達と徹夜。帰宅後休むまもなく、上京していた母を連れ色々と挨拶周りをし、母を駅まで送り届け、その足で、実家へ戻る後輩の送別会へ向かう。そこで常にもあらずお酒を大量に聞こし召してしまい意識白濁。河岸を変え飲みなおしたらしいのだけど、何を話したものやら殆ど覚えていない。後で聞いた話ではかなり酷い事を大声で、送別会の主賓に聞いていたらしい。お酒は怖い。その後終電を逃してしまい、一人ファミレスで夜を明かし、始発で帰り泥のように眠る。体力の限界を感じた二日間だった。


 そういえば卒業式の帰り道、古本屋によって物色していたら、レジの横に積み重ねてあった値段を付ける前の本の中に欲しい本を見つけ、駄目もとで値段を聞いてみると、まだ値段つけてないからとのつれない返事。その反応は予想ずみなので「あー、やっぱりそうですよねー」と本を手に取り、唇を噛み、欲しいなぁ光線を発射していたら*1、私の格好を一瞥したおばちゃんが、「卒業式?」と聞いてきたので、「おかげさまで」と答えたところ、「んじゃあ、しょうがないわねー。600円でいいわよ、ああ、いいや卒業だし100円おまけしてあげる」といわれる。わーい。

*1:人を間違えると物凄い値段をふっかけられる。私は一度、市価の倍の値段を言われムカついた記憶がある。