ひたすら狂喜。ただただ乱舞。日本語collapse。


 私は好きなものについて冷静に語る事ができない性質なのだけど、冷静に語ることができなければ、それが好きなものかといえば勿論そんなわけはなく、でもこの場合、冷静に語ることができるならば、それは好きなものではないとはいえるわけで、ええと、今、私とても混乱しています。


 つい今し方、久しぶりに演劇関係のサイトを覘いていたところ、『劇団☆新感線』の2005年秋、公開予定の新作の情報を得る。私の中で『劇団☆新感線』といえば、古田新太が所属していて、中島かずきが「阿修羅城の瞳」「髑髏城の七人」「SHIROH」といった伝奇臭の強い作品を書き下ろしているという印象しかなく、古田新太も伝奇も好きだけど、別にわざわざ新作を調べようと思うほどに思い入れのある劇団ではなかったのだけど、今日に限ってチェックしたのは虫の知らせとでもいうべきか。
 新作情報(ここ)を見た瞬間、硬直し、思わず叫び声をあげてしまう。


 ええええええ!!!!!
 隆慶一郎吉原御免状』ですか!?『吉原御免状』を舞台化するのですか!?
 さらに、出演者を見て魂を天に飛ばす。つ、堤真一は松永誠一郎ですか?まさか藤村俊二は幻斎ですか?オヒョイさんが双腕に構えた唐剣を「しえーっ!」という裂帛の気合とともに振るうのですか。松雪泰子は何ですか、高尾太夫ですか?松雪泰子が裏を返し、堤真一と馴染みになるのですか。18禁じゃないですか。それじゃ勝山は誰ですか京野ことみですか?京野ことみが「主さんに……惚れんした」というのですか。そうですか。ええと、それじゃ、おしゃぶは誰がやるのですか。10歳でしたか。やはり歳は引き上げるのでしょうか。そうすれば京野ことみですか。いやちょっと待って、もしかして古田新太が柳生義仙ですか。それしかない。古田新太たちが虎乱の陣を使うのですか。回りますか。くるくると回りますか。困りました。それだけでご飯が三杯はいけそうです。欲をいえば、『かくれさと苦界行』も混ぜてしまい、松永誠一郎の無刀取りVS柳生義仙の小太刀や、個人的には小説史に残る名場面と思っている、狂い咲きした桜の下での幻斎VSお館さまの果合をどうにか舞台化してくれたらご飯山盛り六杯いきます。


 いやぁ長生きはするもんだ。まさか隆慶一郎を舞台化する劇団があるとは。『吉原御免状』は私が隆慶一郎にぞっこん惚れ込むきっかけになった作品だけに感慨も一入。思えばこれを読んだのは今から十年と少し前。まだ私が15の頃か。一読、驚嘆し絶句する。読み終えたのが深夜だったため、夜が明けるのをじりじりしながら待ち、翌日書店が開くと同時に店に駆け込み、作品が置いてある棚に走ると、そこには山ほどの隆慶一郎作品が。その光景は昨日の事のように覚えている。そう、四十冊もあっただろうか。その量に狂喜し数ある中から五冊選び、帰宅後すぐに読み始めたところ……つまらない。これが死ぬほどつまらない。本当に同じ人間が書いたのかと思うほどつまらない。書かれているのはアクションシーンと濡れ場だけ。
「あれだけ書いているのだから、一冊くらいつまらないものがあってもしょうがないかな」と思い、一冊目を早々に読み終え他に移ったところ、これが……つまらない。いやさ、たまたま二冊連続でつまらないのに当たっただけさと我慢し、三冊目、四冊目と読み進め五冊目を読み終わった瞬間、怒り心頭。なんだこれはと思い、ふと、作者名を見たら……Oh shit!峰隆一郎。慌てて他の四冊を確認したところ、すべてに峰隆一郎の名が。脱力*1


 その後、書店で見た隆慶一郎の作品はとても少なかった。あるだけすべて買い揃え、文字通り寝食も忘れ五日で読みきった。素晴らしかった。ただただ素晴らしかった*2。しかしながら何が素晴らしかったかを考えると、実は未だにはっきり言う事が出来ない。十年近くぼんやりと考えているのだけど、どうにもしっくりこない。
 作品の構築性は空恐ろしくなるほど強固なものだし、それぞれの描写も素晴らしいし*3歴史観、わけても「非農業民」や「異形の者」の大胆な導入による作品のダイナミズムや、『夜叉神の翁』なんかに見る事のできる「技芸」と「武芸」(「能」と「武芸」)の関係への関心や、それこそ「正史」を成り立たせている様々な装置に深く入り込みながら、異なる「物語」を描くことで「正史」の同一性に揺さぶりをかけているのだ、というような利いた風な口を叩くのは気持ち悪いから何だか嫌だとしても、『花と火の帝』なんかに顕著な「ユーラシアの漂泊者たち」を視野に入れた「漂白の精神史」とでも言うべき一群の物語世界の魅力もあるのだろうけど、読み返す度に、それは今でもそうなのだけど、分析してやろうというこちらの思惑が粉々になってしまい、否応無しに物語に引きずり込まれてしまう理由、これらの作品の持つ魅力というのは、結局、作者である隆慶一郎の透徹した人間観察に裏打ちされた人間描写によるのかと思ってしまい、そう言ってしまうのは何だか悔しく、でもどうしてもそこに帰着してしまうのだ。ちくしょう。悔しい。

*1:ちなみにこの時のことが心的外傷になったのか、未だに峰隆一郎を手に取る事ができなかったりする。

*2:でも『駆込寺蔭始末』だけは微妙。これだけはどうにも面白いと思えない。後、『風の呪殺陣』も何だか中途半端な感じが否めない。後はあれだ、他にも未完の作品が多いのはしょうがないにしても『夜叉神の翁』は完成させてほしかった。いや、それを言い出すときりがないのだけど。本当に素晴らしい作品になり得たと思うだけに残念。そういえば、仄聞するところによると、全集にも収録されていない『紫式部殺人事件』という作品があるらしいのだけど、うーむ。読んで……みたい、かな。何だか微妙な題名だ。

*3:影武者徳川家康』の中で、柳生兵庫助利厳が風魔衆とともに江戸柳生の一団を切り倒す場面、『吉原御免状』で松永誠一郎がはじめて「みせすががき」を聞く場面、『鬼麿斬人剣』の『6番勝負潜り袈裟』の中で鬼麿が遊郭の雪の中で切り合う場面、『かくれさと苦界行』の最後、幻斎とお館さまが狂い咲きした桜の下で切り合う場面とかとか。鼻血でる。