Honaloochie Boogie yeah 青春は長いな


 見終わった後、すぐに感想を喋り合いたくなるような芝居や映画というのは間違いなくあって、それはそれで本当にとても楽しいし、何人かでわいわいと喋っていると、人の感覚が見えるような時もあり中々に興味深いのだけど、でもそれは見たものの質や、見たという経験に左右されるものではなく、自分たちが今見たものを俎上に載せてあれこれと喋る行為それ自体が楽しいのだと思う。だからその作品は、「良い」ものでも「悪い」ものでも、面白くてもつまらなくても、感動してもしなくても、それを見た人間同士が互いに喋るための共通の話題を提供するものなので、すると、見る作品は今自分たちが見た「それ」である必要はなく、ただ「それ」を材料に喋り合って楽しい時間をすごせるなら、別になんでもいいんじゃないかと私は思っている。見るという経験よりも、見たもので喋る時間を共有する方に重点が置かれているというか。コミュニケーションツールとしての作品というか。


 でも、その一方で、これもやっぱり確実に、見終わった瞬間、何も話す事ができなくなるような、喉の奥で言葉がひっかかってしまうような沈黙にとらわれてしまう芝居や映画というのもあって、それは互いに、いま持った感覚について何かを口にだす事を禁止するような、いや、禁止と云うと強制されているようだけどそうではなく、互いに今見たものと、それを見たという経験を消化するのに精一杯で言葉がでてこなくなるということはあるように思う。そういう感覚を持ったときの過ごし方としては、作品を見終わった後、映画ならエンドマークがでて場内に明かりがついた瞬間、芝居なら俳優の舞台挨拶が終わった後、三々五々人が会場を後にする中、シートに腰かけて、ぼんやりとして、客が減ってきて歩きやすくなった辺りで腰を上げロビーに移動し、そこで一言二言、俳優の顔とかの感想を口にして笑い、会場をでて食事にでも行き、だらだらと今見てきたものとまったく関係ない話をして、何かの拍子に会話が止まり沈黙が訪れたとき「それにしても凄かったね」と呟き、ぽつりぽつりと互いの感想を話し、また雑談に戻るというのが良いなと思ったりしている。


 だから、見終わった後、自分で意図してやっているのかは分からないけど、どのようなものであれ、こちらに感想を強要するような話し方をする人もいて、そういう人と一緒に見に行くと初めに挙げたような楽しみ方をしたい作品だったりする場合はよいのだけど、見た経験にぼんやりと思いを馳せているときは、少し疲れてしまう。
 でも、もしかしたらあちらは、映画を見た後は感想を言い合うのが当たり前だと思っていて、こちらに話を振ってきているのかもしれないし、私にとって後者にあたる作品だったのが相手にとっては前者であったのかもしれず、だったら端から一人で見に行けと思う人もいるかもしれないけど、私は、人と一緒に作品を見にいって、同じ空間にいて、同じ時間を過ごし、「同じ」ものを見た後、それらのもたらす豊穣な時間の余韻に浸りながら、見たものとは関係ない話をだらだらして、たまにふっと、見えたものについて話すという時間の過ごし方が好きなのだからしょうがない。それ以前に、一人で見にいくほどの行動力がないというのもあるけど。いや、要するに、感覚が合うような気を起こさせる人間と何かをするというのは非常に素晴らしい事なのだろうな、ということだ。