読書


 森銃三『新編 明治人物夜話』を読み終わる。
 筆者は在野の近世学芸史研究家。明治28年(1895)生まれ、昭和60年(1985)死亡。東京帝国大学史料編纂所尾張徳川家蓬左文庫などを経て近世の人物研究や随筆を手がける。
本書は明治に生きた人々の姿を、新聞雑誌などから引いた記事、また筆者自身の回想により書き綴った文章を編したもの。
 三部構成、39篇。つまり39人の明治人が描かれている。
 第一部は西郷隆盛高橋是清幸田露伴斎藤緑雨など、主に政治家や文学者の逸聞などが収録され、第二部には三遊亭円朝川上貞奴、豊原国周などの芸人や画人、第三部には実際に筆者と交友関係にあった三田村鳶魚、狩野亨吉といった人々の思い出が綴られている。


 上記のように第一部、第二部はともに諸書、新聞、雑誌からの縦横無尽な引用の他、本書で取り上げられた人物と実地に交遊のあった人から聞いた話を元に綴られたものだけど、事柄を羅列しただけの退屈な文章にはならず、それぞれの情報を薬籠中のものとして使いこなす手腕が素晴らしい。また随所に覗く筆者の人物評には対象への愛情が横溢している。直接に知る事がなかっただろう人物にこのような情愛をそそぐことができるというのは、筆者の人としての美しさを反映しているのかと思い、文に触れているあいだ何とも心安らかになったことを付記しておきたい。
 第一部、第二部が「事実」の処理に心を砕いているのに対し、第三部は筆者自身との関係を綴る文章であるためか、人物への愛情がより細かに読み取れる。ただしその文章は抑制が効きべたついた感傷にひたるところはなく、淡々とした筆の運びの中にほのかに浮かび上がる懐旧の念、敬慕の情がとても好ましい。


 それにしても晩年の狩野亨吉博士が東京護国寺の路地裏に閑居し、書画の鑑定などを生業として暮らしていたとは。知らなんだ。この先生は屑屋が一山いくらで買った本を持ち込むと、「この本は〜、これは〜」といって、売値とともに持ち込むべき先の本屋を教えてあげていたという。
 ところで、狩野博士といえば、京都帝国大学文科大学の学長として幸田露伴内藤湖南を招き独自の学風を作り*1、野に下っては失われた江戸期の思想家、安藤昌益を「発見」した人物として有名だけど、私がこの人を知ったのは天津教の『竹内文書』を論駁した「天津教古文書の批判」という文章の筆者としてだということは恥ずかしいので内緒だ。

*1:ちなみに、1月5日id:QueSera:20050105に引用した青木正児は京大で幸田露伴の薫陶をうけている