ひねもす読書。


 喫茶店を転々としつつ終日ぼんやりと読書。やはり外のほうがゆっくりと読める。
 中村禎里『日本人の動物観』とギャビン・ライアル『ちがった空』を読了。


 前者は日本人の動物観の変遷を歴史的に辿る本。
 序章で日本人とヨーロッパ人の動物観を比較し、以下、神話の世界、仏教思想の浸透により形成された説話類、中世説話、近世の怪異譚を素材にして日本人の動物観の変遷を辿り、そこで取り出された話型と現在残る昔話とを比較する。
 作者の中村禎里は都立大の理学部生物学科を出て科学史を専攻しているばりばりの「理系畑」の人だが、そのためか本書の構成は整然としていて、非常に読みやすい。何を問題にし、それをどう分析し、どう結論付けるのか。資料の確定、標本の採取、分析、結論に至る過程が良く分かる。格章ごとに要約があるのも嬉しい。
 いや、「事実」だけを並べ立てたものや、仮説だけを並べたものや、飛躍が凄いものや、妄想を並べ立てたものでもそこに芸があれば好きなのだけど。芸が。


 動物の雌と人の男性との異類婚姻譚について述べられているところを読んでいて虚をつかれる。

 第一にこれには御恩のモチーフがともなうことが多い。信太妻のキツネは恩人の保名を救い、遺児に聴耳の玉をさずけた。『浦島太郎』のカメは太郎を竜宮にみちびき歓待する。『鶴の草子』のツルは、恩人に富貴をもたらした。『蛤の草子』も通婚・報恩譚のくずれらしい。『俵藤太物語』に通婚くずれの要素があるとすれば、これも報恩モチーフをともなう。
 これら通婚・報恩譚において主役を演じる動物は雌にかぎられ、オオモノヌシたちの子孫*1は恩を受けないし、したがって報恩もしない。前章ですでに指摘したが、父系制の家族において人の男性と結婚した動物が、男性の家系に繁盛をもたらすというモチーフは、トヨタマヒメ*2異類婚姻譚にすでにそなわっていたと思われる。これには仏教の殺生戒の教訓が入りこみ、男の子孫の隆盛が動物の雌との結婚そのものによってではなく、男が動物の雌を救ったことによるのだ、と改変されたのであろう。それと同時に、動物は神性を失い、人の慈悲をうけて生存する存在になりさがった。
 第二に、人の女性と動物の雄との異類婚にさいしては、動物が嫌悪・軽蔑の対象になる傾向がいっそう濃厚になる。逆の性関係をむすぶトヨタマヒメの系譜をつぐ動物においてもいくらかその例がみられるが、オオモノヌシ型の動物ほどではない。人の男性と結婚する動物は、人の父系制の家族に服従し、その発展に尽力するからである。雌のばあいは、人の社会を豊かにする。しかし雄の動物神の末裔は人の女性を奪い、その社会を犯そうとする。


中村禎里『日本人の動物観―変身譚の歴史―』
第3章 中世説話とお伽草子類 p170〜171

 何で虚をつかれたのだろう。不思議。


 最近ギャビン・ライアルを読み始めた。
 知人に、絶対好きだと言われていたが時間がないので読むまい読むまいと思っていた『深夜プラス1』をつい手にとってしまい、一読噂に違わぬ面白さに夢中になり読了感嘆措く能わずるんるん運の尽き。続いて『もっとも危険なゲーム』『影の護衛』『本番台本』と読み進め今回『ちがった空』を読む。
 もう新作を読むことはできないので大事に読んでいるのだが、面白いので何度でも読み返せるし、そもそも読みたい本は沢山あるので別にそんなに大事に読まなくとも良いかなと思いつつ、それでも読むスピードを上げることができない。気づくと夢中で数頁読み進んでいて、我に返りしばらくぼーっとしてを繰り返していたので中々進まなかった。
 脇役の皆々様、なかでもとりわけ相棒役が格好良い。

 人影は立ち上がらなかった。声だけがひびく。「連中、オールド・ファッションド目当てに来たことはないようだな、ここに。ま、五級品のコニャックが一びんある。飲むか?」
おれはこたえた。「え、ずいぶんゆっくりだったじゃないか」すわって、彼の出すグラスをつかんだ。


ギャビン・ライアル『まちがった空』

 良いなぁ。


 ちなみに原題は『The Wrong Side of the Sky』
 良いなぁ。

*1:オオモノヌシは奈良三輪山に祭られた神。本書では「動物神(主にヘビ)が人間の男になる」型の説話として「オオモノヌシ型」という言葉を使っている。引用文中の「オオモノヌシたちの子孫」は人間の男になる動物を意味する

*2:トヨタマヒメは海神の娘。本書では「動物神(主に海の神怪な動物のイメージが入り混じった存在としてのワニ)が人間の女になる」型の説話として「トヨタマヒメ型」という言葉を使っている