河よりも長くゆるやかにとは中々いかないというか。まあ、とっくに色々と過ぎているわけで。

 顔を上げると驚いたような顔つきでこちらを見ている。きょとんとしている私に向かい彼は口にする。まさか、といった調子で。躊躇いながら。姓ではなく名前を。私の名前を口にする。今の交友関係の中に私を名前で呼ぶ人間は殆どいない。大抵は姓。でなかったら名前に「さん」を付けて呼ぶ。自分の名前が耳に這入る何かずれる感じ。違和感。一瞬。本当に一瞬、私は思う。これは誰だ。反芻する。私の名前を口にするその調子を。私は反芻する。その音の響きを。私は思いだす。その声から。その驚いた顔から。友人だった。郷里の友人だった。ずれが修正される。8年ぶりに見るその顔と、8年前、最後に電話で話した声が。そして私の口から言葉がでる。友人の名前。そして私は言う。お前、何やってんの。8年ぶりに見る顔に。あちらも同じ事を言う。お前、何してんの。そして絶句する。二人、絶句する。お互いに向き合ったまま呆然とする。互いにゆっくりと話せる状況ではなかったので、電話番号を書いた紙を渡し、後日の再会を期してわかれる。数日後、電話がかかってくる。


 駅前で待ち合わせ道すがら偶然の再会を驚く言葉を連ねる。信じられない。他人の空似かと思った。名札を付けてなかったらわからなかった? いや、うーん、かもしれない。お前はすぐに分かった? 声の感じで分かった。一瞬、信じられなかったけど。やがてカフェに落ち着き話は互いの近況に及ぶ。私は自分の近況を話す。そして私は尋ねる。
 で、お前は今なにしてんの?
 俺な―
 友人はなんだか困ったような顔で僅かに声のトーンを落とす。内緒めいた顔で。少し顔を近づけて。
 実は俺、いま、日本にいないことになってるんだ
 ……はい?
 言葉の意味を解する前に、瞬間的にスイッチの入った頭の中で違法とか密入国とか犯罪とか密輸とかそういった単語がぐるぐると回りだす。友人は言葉を続ける。
 俺、メキシコでプロレスやってんだ
 私は瞬きをする。何か聞き違えたかと思い訊き直す。
 メキシコで
 そう
 プロレスを
 そう
 ……それって、いわゆるルチャ?
 ルチャ
 マジで?
 マジで
 なんで?
 いや、話すと長くなるんだけど


 そりゃそうだろう。何というか視界がぐにゃりと音をたてて歪んだような気がした。