さいきんよんだ本から。

 前田速夫『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』を読んでいたら、こんな文章が眼に止まる。

 能登、越前、若狭など、上陸地点に近い地域はもとより、大和への経路である近江一帯に、点々と渡来人の里がつらなり、そこでは多く十一面観音が祀られている。菊理姫のキクリは高句麗が訛ったものという説があるくらいだ。
 おまけに、白山麓の白峰では「ギラ言葉」といって、「私」のことを「ギラ」と呼ぶなど、朝鮮語の訛りが顕著で、郷土芸能のカンコ踊りを見ても、打ち鳴らす小鼓やリズムは朝鮮のものだし、踊りのときに白いハンケチを振るのは、婦人が「ひれ」(長い袖)を降る古代の風習を今に伝えている。


前田速夫『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』河出書房新社 p43

 ここを読んだ瞬間、こんな文章を思い出した。

 ちなみに八瀬の言葉は独特で、同じ洛北でも隣りの大原や高野とは全く違う。他村の者が聞いても何をいっているのか判らない。例えば自分のことを『げら』といい、相手のことを『おれ』という。主客が転倒しているから、聞いている方は混乱してわけが判らなくなる。ここにもこの村の異常な閉鎖性がよく現れている。八瀬童子は鬼の子孫であるとか、冥界からこの世に戻る時の駕籠かきであったとか、或いは現在の八瀬の古老がいわれるように瀬戸内の海賊の裔であるとか称されるのは、すべてこの閉鎖性に理由があると思う。
 
隆慶一郎花と火の帝(上)』講談社文庫 p15

 「八瀬童子」とは比叡山西麓にある八瀬郷の住人。延暦寺に従属する一方で朝廷にも駕輿丁*1として奉仕し、課役免除の特権が認められていたという。明治、大正両天皇の葬送で棺を担いだ話は有名。その姿はいまでも葵祭でみることができる。隆慶一郎は『花と火の帝』の中で彼らを天皇直属の忍びとして、徳川政権との間に激しい闘いを演じさせている。と、それはさておき、この二つを読むと、それはもう、この「ギラ」と「げら」の共通性、近江一帯という地域性だけから、八瀬=渡来人の里と一足飛びにいってしまいたくもなるのだけど、どうなんだろう。さすがに無理があるかな。ただ、『花と火の帝』の中で八瀬童子の一族である岩介が山で天狗と自称する行者から鬼道という術を学び、それを極め、往古の八瀬童子が持っていた力を開眼させるため「冥府」へと連れてゆかれる。この「冥府」とは実は朝鮮のことであり、岩介は朝鮮の山奥に連れてゆかれ、そこでアジア各地から素質を見込まれ送り込まれてきた者たちとともに修行をするのだけど、初めて読んだ時、何故ここで朝鮮が修行の地としてでてくるのか私にはよくわからなかったし、それは今でもよくわからないのだけど、今回ふと思ったことには、作中では「冥府」とは八瀬童子の故郷であるとされている。そして、上記の通り「冥府」は朝鮮であったので、すると八瀬童子の故郷は朝鮮だという事になるかと思うのだけど、そうすると岩介は先祖の地で己の能力を最大限に発揮する修行を受けてきたわけで、それが先の文章とつながり、なんというか、面白いなぁ、と思ってしまう。隆慶一郎が「ギラ言葉」や、近江一帯に伝わる風俗と朝鮮の関係にどれだけ興味があったかは知らないけれど、そこまで考えた上で、修行の地(=八瀬童子の故郷)を朝鮮に設定したのだろうか。そして朝鮮と古代日本の関係といえば、自動的に坂口安吾のエッセイ「高麗神社の祭の笛」を思い出し、引っ張りだしてきて読んでいたら、白髯明神と高麗神社のかかわりについて「白髯明神の総本家はコマ神社と云われている*2」と述べていて、ちょうど『白の民俗学へ』でも「白鬚神社の分布が濃密な北武蔵は、どこも渡来人の開拓した土地として知られており、渡来人の本場近江とのつながりが深い」(p86)とあったりして、こう、繋がる感じがいいね。とても。そういえば『古事記』の中で日本武尊が自分の事を「げら」と云う場面があったように記憶しているのだけど、本が見つからない。残念*3

*1:主として天皇行幸のさいその輿をかつぐ者を指す職名

*2:武蔵野のか?

*3:勘違い。二人称、つまり相手の事を「おれ」という場面があったのでした。倉野憲司校注『古事記』p119 岩波文庫 他には大穴牟遅神に対して須佐之男命が呼びかけるところとか。同p48。ちなみに『古事記』では「お前、おぬし。第二人称の卑称」と注が付いている。