Gone With the Money

 ネットで買い物することを好まない私が、その本があるかどうか調べてみる気になったのは偶々というやつで、まさか見つかるとは思っていなかった。50年程前の本。非売品というわけではない筈だが*1、地方の人間が身内に配るためだけに作った本だと聞いていたので、それほど部数を刷っているわけもなく、国会図書館にすら入っていないのだ。一時期、手に入れようと色々調べてみても一向に見つからず諦めていたのだが、それがまさかこうも簡単に見つかるとは。タイミングというのは実に恐ろしいものだと呟きながら、それ以上に、今更ながらネットの恐ろしさを思い知った感じがする。
 
 それで勢いがついた、というわけでもないのだが、気になっていた本を色々と調べてみる。その中で、須永朝彦 編『日本幻想文学全景』(新書館)が目に付いた。須永朝彦といえば歌人で小説家。国書の『美少年日本史』や「書物の王国」シリーズでその名前を見た記憶も強いのだが、それ以上に、以前、図書館で読んだ『日本幻想文学史』(白水社)の作者という印象が強い。この本は記紀から近代にわたる日本の「幻想文学」を俯瞰しその流れを系統的に記述した名著。ならばこの本も、と気になり題名をクリックしてみる。1998年発行という事はまだ普通に書店で手に入るかもしれないが、古本ということで値段も手ごろ。これは買いかと、置いている古本屋を見てみる。驚いた。どこかで見たことのある店名だと思ったら、普段よく行っている店だった。というわけで今日のお昼休みを利用して店まで出向く。


 お店の方にネットで見た旨を伝え捜してもらおうとしたところ、店番をしていた方がいうには、今、ネットを担当している人間がおらず、店にあるか倉庫にあるかわからないのだという。それは困った。どうにかなりませんか、と言うと、店番の方がどこかに電話をかけ始めた。しばらくして彼女は電話を置いた。
「お待たせしました。多分、この辺だと思うんだけど」と棚の方へ歩いてゆく。
「……ないわね、こっちかしら……ないわね」
「あー、ないですね」
 それほど広くはない店の中をぐるぐると一緒に棚を見て回る。そうこうしているうちにご主人と思しき人が帰ってきた。
「なにを捜してるんだ」
「『日本幻想文学全景』だって」
「それなら文学の棚だろう」
三人で棚を上から下まで見る。やはり無い。
「んー、ないな。作者の名前は?」
須永朝彦だって」
 ご主人がちょっと驚いたような顔になった。


<以下、須永様からご指摘のあった部分です>


「なんだ須永さんの本か。なら中井さんのとこだ。詩の棚だよ。弟子だからな」と言うと、私の方を向いて
「若いのによく須永さんなんて知ってるね。中井英夫の弟子だって知ってた?」
 私は曖昧に頷いた。そういえばどこかで聞いたことがあるような気もするが。
「私ね、若い頃、中井さんのところに出入りしててね。その頃ちょうど須永さんが書生みたいなことしてたんだよ」
「あ、そうなんですか。巣鴨とかでしたっけ」
「んー、あの人も転々としてるからね。その頃はたしか阿佐ヶ谷とかあの辺だったと思うけど」
「あ、それじゃ」と私は思わず言ってしまっていた。
中井英夫の弟子って、美青年っぽい人が多かったって聞いてますが……」
 ご主人が、苦笑気味にちょっと笑った。
「そりゃまあ、中井さんも、好きだったからね」
「それじゃあ、やっぱり須永さんも美青年で……」
「そうだね、いい男だったよ。あははは」
「そうですか。あははは」


<ここまで>


「それにしても見つからないわね」
 店番をしていた方が言った。
「これは倉庫の方に入っちゃったかな……」と、ご主人が困ったように呟いた。
「もうしわけないど、捜しておくから電話番号教えてもらえないかな」


 ないならないで別に構わないと言おうとしたが、わざわざ言うのもなんだか面倒だしちょうど昼休みも終わるところだったので、電話番号を告げて帰る。本は見つからなかったが、楽しい時間を過ごせたので良いとする。その後、帰りしな何時ものように古本屋を冷やかしていたら見つけてしまう。『日本幻想文学全景』を。違う店で。値段はネットで見た七掛け。暫く逡巡し、結局購入してしまう。どうしよう。これは背信だろうか。ちなみに電話はいまだにない。そして今、ネットで『日本幻想文学史』も見つけてしまった。破格の安さで。困った。手が他の本も探し始めた。誰か、止めて、くれ。

*1:勘違い。届いたのを見たら思い切り非売品だった。