一日目

 携帯がない事に気づいたのは、車が走りだして暫くしてからだった。


 私はいつも尻ポケットに携帯を入れている。その状態で車の背もたれに深くもたれると、ずるずると尻ポケットから携帯が押しだされてきて、気づくと座席のクッションと背もたれの間にはまっているという事がよくあったので、今回もその伝かと、友人と話しながら手を後ろに回し腰の辺りを探ってみるも、何も触れない。イスの下にでも落ちたのかと、身を屈め探ってみても、触れるのはゴミの類のみ。不審な様子に気づいたのか、助手席に座った友人がどうしたのかと尋ねてきた。携帯がないのだというと、鳴らしてくれるという。この頃からじんわりと嫌な予感が背を濡らしはじめていた。その予感は携帯を手にした友人の言葉で確信に変わった。「なんか電話、留守電に繋がるよ」。こは如何に。それまで面白そうに事の成り行きを見守っていた友人が、焦る私を見かねて車を止めた。路肩に車を止め、懐中電灯をつけて、三人で車中を探る。しかし、何分、三人分の大荷物を積めた車。隙間が多すぎて探るのも難しい。いっかな見つかる気配はない。もしかしたら外に落としたのではという言葉に、記憶を手繰るも、最後に電話を使ったのは書店で友人と待ち合わせのためにかけた時。その後はすぐに友人と合流したので落とすところもない。念のためと、友人がその書店に電話し、携帯が落ちていないか聞いてくれるも、今のところ届いていないという。
 振りだしに戻る感に浸っていると、もしかしたら、と友人がいった。拉麺屋ではないかという。確かに東京をでる前に腹ごしらえをしようと、拉麺屋に立ち寄った。しかし、夜遅くに腹に何かを詰めるのが嫌だったので、私は店には入らず車に乗ったままだった。落とすはずがない。しかし、と友人は言う。君はコンビニのトイレにいったではないかと。確かに私は、出発する直前、拉麺屋の横にあるコンビニのトイレにいった。いったが、携帯を使った記憶はない、と言おうと思うも、こういう時の記憶ほどあてにならないものはない。一縷の望みをかけて、出発した地点まで車を戻してもらう。

 拉麺屋に着いた瞬間、友人が叫んだ。「うわ!携帯!」「え?どこどこ」「あそこ、あそこ」と、その指先を見ると、確かに道路に何か落ちている。急いで車を降り駆けつけると、そこにあるのは確かに私の携帯だった。深く安堵するも何か微細な違和感を覚える。4年近く使い、その細部まで見慣れている筈の携帯。拾い上げた瞬間、その違和感の正体に気づく。平べったいのだ。携帯が。ありえないくらいの平べったさで、脇からは見たことのない電子部品がべろんと舌をだしている。しばし絶句する。手にどっしりとした安定感を示す携帯は、飛ばしたら、フリスビーのように飛んでゆきそうだ。フリスビーのように飛ぶ携帯はもはや本来の機能を逸脱している。私は車に戻り、友人にその煎餅のようになった携帯を見せた。予想通り二人とも爆笑した。金曜の23時過ぎ。これが我々の関西旅行の始まりだった。


 車内では運転する人間の眠気を飛ばすため、高いテンションを維持しようと音楽をかけまくる。グループ魂はやはり良い。上がり続ける車内のテンションの中、なにをとち狂ったか古今亭志ん生をかけてしまう。途端に静まる車内。その中をやや聞き取りにくい志ん生の声が流れる。止めるタイミングもつかめず、結局『抜け雀』『強情灸』『厩火事』をみなで聞く。以下、みなの感想。


・女を演じる志ん生の声はやたらと艶っぽい。
・『抜け雀』の下げ(「俺は親不孝だ」「どうしてです」「親をかごかきに」)は今では分かりにくいか。
・昔習っていた理科の先生に声が似ている。
・『厩火事』の旦那のような身分になりたい。
・途中、次の台詞を忘れたのではないかというような間が空き、どきどきした。
・ドライブ中に聞くのにはあまり適さないのではないか。


 早朝、京都に着く。女性も泊まれるサウナを捜し睡眠をとる。瓢亭にてあさ粥をいただく。前回きた時は、白く炊いた粥に濃い目のだしに葛でとろみをつけたあんをかけていただく、というものだったけど、今回は鶉がゆを食す。冬場だけだと聞いていたので、まだ食べられる事に驚きかつ喜ぶ。白身は硬く、黄身はやわやわな二つ切りの不思議な卵―瓢亭玉子―も美味しくいただく。途中、友人に用事が入る。後で合流する事にして、しばし別行動。残った二人でゆっくりと食事を片付け、南禅寺を観光。山門に上がりお約束どおり石川五右衛門ごっこをやるも、あまりの高さと少し傾いた床に蒼ざめる。雨が降ってきたので茶屋に避難し、一杯の茶を長々と喫しながら友人を待つ。およそ小一時間、お店の人の視線が時間に比例し冷えてゆくのを眺める。合流し市内をふらついていると友人が、せっかく京都に来たんだから「My Favorite Things」が聞きたいといい始める。なにがせっかくなのかよくわからないままipodを捜してみると、John Coltraneのが入っていたのでかけてはみたものの、あのアレンジが聞きたいのだという。それは無いようだというと、ではツタヤに寄るといいだす。途中、ツタヤは見つからなかった。
 そうこうするうち、何故か苔寺にいこうという話になるも、残念ながら予約が必要だとの事。では、雨も降ってきたことだし、ここはひとつ水の神様にお参りだという事で貴船へ向かう。サナート・クマラ万歳といいながら、山沿いの細い道を登る。そばを食べたり、水占くじをひいて微妙にへこんでみたり(ちなみに私は末吉、一人も末吉、そしてもう一人は凶)、だんだんと暗くなってくる山道を歩いたりと楽しい一時をすごす。

 山を降り、思いだしたように携帯を買う。ショップに入り、煎餅状になった携帯を見せた途端、店員さんが「うわ、えぐいですね」と呟いたのにはさすが関西だと不覚にも感動した。メールデータは全滅。電話番号のデータは取れるかもしれないという言葉にがっくりする。電話帳はどうでも良い。問題はメールだ。私はメールをメモがわりに使い、色々と書き付けていたので非常に悲しい。30分程で復旧。それにしても、まさか京都にきて携帯を買うはめになるとは。色々と買い物をし、すっかり暗くなった京都を後に大阪へ出発する。
 到着後、大阪の友人に連絡すると、まだまだ仕事が終わらんという。しょうがないので街を車でてれてれとながす。夕飯は何故かケンタ。朝との差に愕然とする。日付が変わるころ、友人から連絡。ようやく終わったという。友人宅に押しかけ、一時間ほど駄弁る。とはいっても、この間会ったばかりなので、たがいに喋ることはそれほどない筈なのにやたらに盛り上がる。何故かFFの話になる。翌日の約束を交わし友人宅を辞去する。その日のねぐらを求めて街を彷徨い、ようやく一日目が終わる。長い一日だった。