五色の薔薇の人。


 どこでどう曲がり、どこをどう進んだのか良く分からないままにふらふらと歩いていると小さなお寺が目に止まる。いや、この辺りはお寺が多いのかやたらに目に付くのだけど、ちょうど私が歩いていた道路沿いに門柱があったので何気なしに見てみると『大聖山 南谷寺』とある。知らないやと思いそのまま歩き続けようとしたところ、何かが気になる。首を傾げながら後ろ向きに歩を戻し、もう一本の門柱に書かれた文字を見る。先程は気に留めなかった門柱には赤い文字でこう書いてあった。『目赤不動尊』。目赤不動尊? どこかで聞いた気がすると思ったら、『虚無への供物』で出てきた「五色の不動」の一つか! あの「黒馬荘事件」が起きたところの近くか!
 どれくらい知られているのか知らないけれど、東京には五色の不動像がある。目黒区にある目黒不動、豊島区の目白不動、世田谷区の目青不動に、台東区江戸川区にあるという目黄不動、そしてここ文京区の目赤不動。その由来に付いては色々と言われており、それだけで面白いのだけど、やはり伝奇好きにうけるのは天海僧正が関わっているという話なのだろうな。詳しいことは『まぼろし五色不動by松永英明』というブログ(http://machi.monokatari.jp/author/fudou.php?&blogid=122)を参照の事。まだ連載途中だけど、とても詳しく調べられているうえ論旨が明快で面白く読める。
 入ってすぐの右手側にお堂があり見ると中に不動像が。これが目赤不動かと手を合わせ、さてまた歩くかと踵を返した瞬間、お堂の前に置かれた狛犬の阿像の方(獅子?)の台座に彫られた文字が目に止まる。そこにはこうあった。


神刀流開祖
天下無敵
日比野雷風
同   正明


 武芸者が自流の繁栄を願い神社仏閣に石碑や額などを寄進するのはよくある話で、有名どころでは日野の八坂神社には天然理心流の奉納額があり、これは欅の一枚板に大小の木刀と門人の名前が記されているというし、北辰一刀流の開祖千葉周作が上州高崎の伊香保神社に額を寄進しようとし、地元の馬庭念流と争いになり取りやめたという話は有名。これは司馬遼太郎『北斗の人』にも出ていた筈。
 日比野とはこの狛犬を奉納した人の名前なのだろうけど「神刀流」の文字が気になる。シントウ流とあるからには飯篠長威斎家直の「神道流(天真正伝香取神道流)」の流れを汲む流派あたりかと思うも、「日比野雷風」という名前に見覚えがない。帰宅後、綿谷雪 山田忠史編『増補大改訂版 武芸流派大辞典』を繰ってみる。すると神刀流という流派が三流みつかる。一つは会津藩伝の神刀流。しかしながらこちらは開祖を飯篠家直にして日比野という名前は見えない。もう一方は「『日本武術諸流派』に見ゆ」という素っ気無い表記。最後のは新刀流とあり、説明のところに「神刀流・無変流とも」とある。というわけで無変流の項を見てみると「下総結城城主結城内左衛門督政勝。政朝の子で、初名は七郎左衛門といった。はじめ松本備前守に鹿島神流を学び、さらに塚原ト伝の門人となった。ト伝流の変名ゆえ無変流という。永禄二年(一説、三年)八月死去。五十六歳」とある。これも日比野という名前と関係ないようだ。
 余談だけど、この結城家には後に家康の次男秀康が養子に入り越前初代藩主になっている。結城秀康というと隆慶一郎が描いた、有り余る自己の力とその境遇の間で苦悶する若々しい荒武者振り(『一夢庵風流記』『影武者徳川家康』などに登場)や、山田風太郎『摸牌試合』に描かれた異形の姿が強く印象に残っているので何だか感慨深い。
『摸牌試合』は凄い話なんだよ。甲賀の老忍者が秀康の男根に文字を彫り込む。それを探れと家康が服部半蔵に命ずる。場所が場所だけにどうやって探ろうかという話になり、三人のくのいちが送り込まれるも二人まで失敗する。最後に服部半蔵が考え付いた方法というのが、これがまた……。蠱惑的な文章に戦慄しながら、これを読んだのが山風作品をあまり読んでいない頃だったので、この作者は頭がオカシイと思ったのだけどそれは今でもそう思っている。こんな話、普通考えつかんよ。ちなみに摸牌とは麻雀用語。指先で表面を触り何の牌かを判断するの謂。
 閑話休題それはさて置き、巻末の索引を見ても日比野雷風・正明の文字は見えず。これはしょうがないと何の気なしに検索をかけてみると、簡単に見つかる。拍子抜け。目赤不動尊の事も出ていた(http://homepage2.nifty.com/liondog/kuron/komazatu_11.htm)。しかも公式サイト(?)(http://seibujyuku.exblog.jp/)まであった。ネット恐るべし。それで見ると明治22年に開かれた割合に新しい流派の模様。開祖がついた先生については書かれていないので伝系は分からず。残念。


 目赤不動を後にしてまたぶらぶらと歩きだす。奇しくも今日は乱歩ゆかりの地と虚無ゆかりの地を歩いていたのだなとぼんやりとした頭で思いを馳せる。五色の薔薇。紫の薔薇の人。赤、青、黄、白、黒。赤の薔薇の人はやっぱり熱血か。黒の薔薇の人はやっぱりニヒルなのか。青の薔薇の人……青ってなんだっけ、キャラが立ってない印象が、気のせいか、冷静? でもそれ黒と被らないか? 水のイメージで優しさとか? 大人しくて優しいけど物足りないのみたいな、それって駄目なんじゃないのか、そういえば速水真澄には水が入っているな神恭一郎と同期だっけ、黄の薔薇の人はカレー好きのデブで良いとしてやはりあれか誘う時は黄色い薔薇の花束を片手に汗をかきながらマヤちゃん美味しいカレー屋を見つけたんだけど食べにいかないふごふごとか言うのだろうか、白の薔薇の人、白薔薇? 白薔薇さま? ロサ・ギガンティア? マヤ、……恐ろしい子、と妄想逞しくしているとまたお寺が。門の前には『諏訪山 吉祥寺』とある。そうかそういえば駒込かここは。これがあの吉祥寺か。昔何かで読んだ話を思い出す。元々神田駿河台にあった吉祥寺が駒込に移ったのは明暦の大火と翌年の火事により全焼したためだとか。そしてその時、門前町の人々は武蔵野に移住させられそこで新田を開拓し吉祥寺新田と称したといい、それが現在の武蔵野市吉祥寺の起こりだとか云々。他に井原西鶴好色五人女』の中で描かれた八百屋お七と寺小姓吉三郎の悲恋でも知られる寺。こんなところにあったとは。歩いてみるものだ。


 さらに歩いているとやがて道の左側に煉瓦塀が続き始める。見上げると木々の間からシックな建物が顔を覗かせている。さては名のある建物かと思い門にかけられた古めかしい表札(?)を見ると『東洋文庫』とある。納得。東洋文庫はアジア全域にまたがる書籍の図書館・研究機関であり、東洋学の総本山。1917年に岩崎久弥が中華民国総統府顧問を務めたG E モリソンから購入した蔵書を中心にして、1927年に財団法人として開設。戦後は国会図書館支部が置かれる。入るには招待状が必要らしく、私も噂でしか知らないけど物凄いところだとのこと。どれくらい凄いかというと『東方見聞録』各版五四種、イエズス会士の中国東アジア関係報告・見聞録などなど貴重な資料が山とあるくらいに凄いところだとの事。そうかここにあったのか。


 途中『六義園』を囲む塀に添いながらまだまだ歩く。結局、喫茶店『花歩』から歩き始めて四時間程で目的の駅に辿り着く。私は普段だいたい時速5Kくらいで歩いているのだけど、色々と寄り道した事を考え合わせると、それでも15、6キロは歩いている計算になる。いや、古本市も考えるともう少しか。結構疲れる。荷物に加え革靴だったのもその一因か。そろそろ帰ろうかと思いながら、いつも立ち寄る本屋で新刊本の棚を冷やかしていると電話が鳴る。誰だと思ったら友人。これから飲まないかという。そのまま23時頃までサシで飲み続ける。面白い話も色々と聞けとても楽しい飲みだった。疲弊した体にお酒が緩やかに染み込んできて普段の二割増しで酔う。我ながらよく帰宅できたと思う。