雲丹も好きだが筋子もね。


 必要があって割合に多くの本を斜め読みしているのだけど頭が雲丹になりそう。生のものを海辺で割って海水で洗いそのまま食べるというのもやってみたいし塩漬けの美味しいやつをご飯で食べたら日本昔話に出てくるような山盛りご飯もいけるのではないかと思うくらいには雲丹好きなのだけど、さすがに自分のみそを食う気にはならんなぁ。子牛の脳味噌はフライなんかにして食べたら旨いらしいけど。そういえば『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』の晩餐のシーンで、蓋を開けたら脳が剥き出しになった猿の頭が乗っていたなんて場面があったけど、開高健か誰かのエッセイで実際の食べ方を書いているのを読んで、それは確か中国だった気がするのだけど、広東人が食べないのは脚のあるものではテーブルだけ、翼のあるものでは飛行機だけ、四本足で食べないのはテーブルとイスだけで、二本足で食べないのは両親だけ何て言葉があるだけに、うへぇと思いながらも納得した記憶がある。


 最近、忘年会、新年会と続けて酒を飲む機会があった。私はあまり酒が強くない―どれくらい弱いかというと恐らく鳩とタメをはれるのではというくらい弱い―ので、大抵お茶でお茶を濁しているのだけど、そんな私も一度試してみたい肴がある。
 青木正児の『華国風味』に酒を飲む男の話がある。飲んでいる男というのが、身なりは労働者風だけど、見ると中々上品な顔立ちをした優男で、相当な店の道楽息子が勘当された身の上にでも見えるという。そんな男が店に入るなり奥の方に腰かけると、黙っていても肴と燗酒が出てくる。その肴というのが、炙って揉んだ浅草海苔に花鰹を一撮み入れて醤油をかけ、擦った山葵を多めにそえたというもので、男はそれを箸で混ぜると、ちょいと挟んで嘗めながらぐびりぐびりと杯を傾け始める。

花鰹は噛みしめて出る滋味を主とし、醤油に浸された揉み海苔は噛むよりはむしろ嘗めることにより発生する香気を主とし、擦り山葵は右の二つの乾物に欠けている新鮮な風味を補足して肴の味を生かすに役立っている。


青木正児『華国風味』p197)

 多分、私はその肴をというよりも、その状況を妄想して(勘当されたと思しき優男が馴染みの店にいって、そんな男だから金払いも悪く、女将さんはちょっと迷惑していてあしらいは素っ気無いけど、男の育ちの良さが垣間見える鷹揚さに好感も抱いていて、まあいいかといつものやつを出してしまい、男も女将の迷惑そうな表情に気づきながら背中を丸めて女将が出してくれた肴を嘗めながらついつい杯を重ねてしまい、これもまたツケだなと考えているみたいな)心惹かれているのだろうけど、一度試してみたいと思いながら、この肴、中々試せないでいる。もうちょっと酒が強いならなぁ。しかしこの肴、今の時勢にちゃんと作ろうとするとえらく大変そうだな。